30. 解決と依存
あれから数週間が過ぎ、特に毒の影響が現れることなく日々を過ごしていた。
何度か様子を見に来てくれたトラヴィスに無理しないようにと釘を刺されたが、どうせ皆の監視が厳しすぎて屋敷から出ることは不可能に近いと大きなため息をこぼしながらリハビリも兼ねて屋敷内をうろついている。
階段を登っていると聞こえてきた女性特有のヒステリックな声。
覚えのあるそれに首を傾げていると目の前の扉が勢いよく開き、元婚約者だと名乗っていたバレンシアが現れた。
大きな瞳に大粒の涙を浮かべ、目が合うと明らかに表情が歪んでいく。
「貴女さえ現れなければっ!!」
「私のせいにするのやめてくれないかな。」
「っ。」
「そんなに好きならちゃんと公爵を説得しなよ。彼が望むのならこちらに異論はないし。」
「…したに決まってるじゃない。」
「?」
「ずっとお慕いしていたジュリアス様に拒否される私の気持ち…貴女になんかわかるはずないわ!」
ドンッと押されると身体が傾くのを感じた。
そういえばここ階段だったと遠くで考えながら来るであろう痛みに身構えたが、ぽすりと言う音ともに誰かに抱きとめられたようだ。
視線を向けると私服姿のロルフが心配そうな表情でこちらを見ている。
「…怪我はしてないか?」
「うん。ロルフのお陰で何ともないよ。」
「そうか。それで?この状況は何だ。候爵令嬢とはいえ、エレノア様に危害を加えるつもりならそれなりの覚悟があるんだな。」
腰にさした剣の柄に手をかけ、殺気を込めた視線で彼女を見ればに恐怖によって身体を震わせている。
自業自得とはいえ、結婚したいほど好きだった相手に拒否されたことが彼女の自尊心を大きく傷付けたのだろう。
可哀想な人。
哀れみの視線を彼女に向けていると意を決したような表情が見え、キラリと光る何かとともにこちらへと向かってきた。
支えられたままの体制で避けられるはずもなくただその姿を眺めていたが、ロルフの剣によって簡単に遮られると、音を立てて地面に落ちていく。
そのまま彼女の首に当てられた切っ先からは赤が流れ落ち、それを無表情のまま見据えている彼からは本気度が伝わってくる。
「…殺すなら殺しなさいよ!」
「なら遠慮はいらないな。」
「ロルフ、それ以上はダメだよ。」
「…。」
「そもそも私に実害はないし、そこまでする必要ないでしょ。」
「あるよ。エレノア、今日は少し顔色が優れないね。無理してる?」
優雅な足取りで階段を登ってきたイライアスは笑みを浮かべながらそう言うとロルフの腕の中におさまっていた私の手を取りそっとキスした。
西洋式の挨拶とわかっていても顔に熱が集まるのは仕方ないだろう。
「イライアス殿下が何故こちらに?」
「殺し屋を見つけたんだ。」
「っ!」
「優しくお願いしたらちゃんと話してくれたよ。君に雇われたってね。」
視線を彼女に向ける彼は優しくお願いしたと言っているが、そんなわけない。
殺し屋は口が堅くなければ務まらない仕事だろう。
想像するのはやめようと頭に浮かびかけたそれを振り払ってからドレスの裾を掴んだまま唇を嚙んでいるバレンシアを見た。
「本当に貴女が雇ったの?なんで?私を殺したところで意味ないでしょ。」
「…っその自信がムカつくのよ!!自分が愛されているからって…。」
「は?貴女も知っての通り私と公爵は政略結婚だよ。そこに愛なんて存在するはずない。」
「…本気で言ってるの…?」
「愛す愛さないどころかエレノアはリティル公爵を嫌っているんじゃないかな。少し可哀そうになってきたよ。」
「自業自得だろ。それよりエレノア様、本当に顔色が悪いな。部屋に戻るぞ。」
「この状況で?それに私、体調悪くないけど。」
「気付いてないだけだよ。彼女の事は俺に任せて、ロルフと部屋に戻ってね。」
満面の笑みを浮かべたイライアスに肩を掴まれたバレンシアは恐怖のあまり顔から血の気が引いているが、殺し屋を雇っていたのならそれなりに罪に問われるはずだ。
とはいえ、これから先の領域は私が関与できるものではないためロルフに促されるまま部屋へと戻っていった。
すぐさまベッドに寝かされたが、正直本当に自覚症状はない。
サイドテーブルにある手鏡で確認してみると確かに青白い顔をしているが、もとよりエレノアは白い肌をしているのだからこんなものじゃないだろうか。
少し起き上がっていたからと言ってここまで大騒ぎされる意味がわからないと溜め息を溢しながらごろりと窓側に向けて寝返りを打った。
「エレノア、気分はどうだ?」
「だから問題ないって…。」
次から次に同じ内容を聞かれることに煩わしくなり勢いよく振り返ると視界がブレる感覚。
気持ち悪いと口元を抑えると同時に歪んだ視界に金髪が映り、身体を支えられたがそのまま嘔吐してしまう。
「ごめ…。」
「気にするな。ミリアを呼んでくる間少し離れるが大丈夫か。」
「…。」
既に意識が混濁し始め、声と輪郭だけで彼がジュリアスであることは理解できていたが、反応することも出来ずそのまま枕に身体を埋めていた。
やっと意識が戻ってくるといつものネグリジェ姿で。
ミリアが着替えさせてくれたのだろう。
「エレノア、目が覚めたか。」
「…ずっといたの?」
「それくらいしかできないからな。」
「ありがとう。」
「…私のせいだと聞いた。」
「?」
「バレンシアが殺し屋を雇ったのは…。」
「何で貴方のせいになるの。」
「…。」
「勝手に罪悪感覚えられると迷惑なんだけど。」
「…それほど私が嫌いか。」
「嫌いというより煩わしい。」
「っ。」
「政略結婚は互いに仕方がなかったことでしょ。それに納得できなかったバレンシアさんの気持ちは理解できるし、女性が女性を恨むなんてよくある話だから。そこまで愛してくれる相手はそうそういないよ。」
「…。」
「だから貴方が罪悪感持つ必要なんて一切ない。まあ、でも今回の出来事で離婚したくなったのなら…。」
「それはない。」
「どうしても?」
「…離婚したら私は廃人になるだろうな。」
自傷するように小さく笑った彼は本気でそう思っているようだ。
あの日から数週間。
当然のように私のベッドに潜り込んでいる彼に困っていたが、これが理由か。
いつの間にか依存されてしまったようで、好きか嫌いかは置いても厄介な状況であることに違いない。
「…意外と平気かもしれないよ?」
「試してみるか?私を置いてしばらくアストールに身を寄せるといい。」
ごろりと寝そべった彼はそう言うと腰に腕を回し、眠る体制だ。
こうなったらもう彼を動かすのは梃子でも無理だと理解しているため、諦めたように目を閉じるのだった。




