11. 酒場と王子
本当に偶然だった。
花の都を視察するようにと父に言われ、面倒だと思いながらも仕方なく来たのがつい先日。
綺麗な花々に囲まれたここはいつもと変わらないとため息を溢しながら歩みを進める。
「王子、あの噂は聞きましたか?」
「噂?」
「例の酒場に美女のウエイトレスが入ったっていうあれですよ。」
「肉体労働者の男ばかりが集まるあのむさ苦しい酒場のこと?」
「そうです!何でも女性二人で旅をしているとかでしばらく滞在してるらしいですよ。噂なので本当に美女か怪しいですがね。」
重甲な鎧を纏った出で立ちの彼はトラヴィス。
俺を守る騎士であり、子供の頃から一緒に育った幼馴染だ。
敬語を使いながらも気軽に話しかけてくるこの関係は気に入っていたりする。
それにしてもあの酒場に美女か。
男臭さを思い出すと行くのを躊躇してしまうが、トラヴィスは気になって仕方がないようで断ったとしても一人で行くことは目に見えていた。
それならばと噴水広場の向かい側にある大きな建物に入っていく。
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?生憎混雑しているのカウンターになりますけど…。」
扉についたベルの音で振り返った彼女は営業スマイルでそう言っているが見惚れた二人には言葉など一つも耳には届かなかった。
ポニーテールにされた長く艶のある黒髪。
紫色の瞳に整った顔立ちは美女と称するのは必然で、ヴィクトリアンメイド服を可憐に着こなしている。
「どうかされましたか?」
「いや、それで構わないよ。」
「ではこちらに。」
案内された場所は厳つい店主のいるカウンター席で反射的に答えてしまったことを早速後悔した。
しかし、忙しそうに動き回る彼女はカウンターから出てくる料理やドリンクを運ぶため何度もこちらに来てくれるのだとわかるとガッツポーズしたのは言うまでもない。
「お飲み物は何になさいますか。」
後ろから聞こえてきた声は少し怒気を含んでいるようで、何事かと視線を向けるとミルクベージュの髪に青い瞳の女性が見定めるようにじろじろと上から下まで見ていた。
「…何か付いているかな?」
「いえ、何も。先に言っておきますが、あの方に手を出したら例え王子様でも叩き潰しますよ。」
指で指し示して無表情のままそう言うと次のオーダーを取りに去って言ってしまう。
あの方ということは彼女のお付きの者ということだろうか。
そんな存在がなぜこんな酒場で働いているのだ。
「エレノアちゃん、こっちにもビール頼むよ!」
「はーい。今日は蒸し鶏とアンティチョークのプレートがおすすめですが、どうします?」
「エレノアちゃんのおすすめならそれ貰うよ!」
「ありがとうございます。」
テキパキとこなすエレノアは実に楽しげで、その横で目を光らせている彼女は少しでも手を出そうとしたらその腕をへし折るが如く掴み、外へと連れ出している。
良いのかと店主に目を向けたが、頷いているだけということは公認のようだ。
あれから3時間ほどすると人も疎らになってきたようで、机を片付け始めた。
「王子、早く声掛けてくださいよ〜。俺もう飲めねえ…。」
「弱いくせに飲み過ぎるからだよ。」
「お連れの方、大丈夫ですか?お水飲めます?」
机に突っ伏してしまったトラヴィスに気付いた彼女はコップに入れた水を持ってやってくるとそっと彼の身体を起こし、介抱し始める。
これはただ酔っ払いに行う介抱。
そう思っていてもエレノアの視線がトラヴィスただ一人に向けられていることに我慢がならないと彼女の腕を掴めば困ったような表情が見えた。
「余計なお世話でしたか?」
「ち、違う!ただ、俺の方も見てほしいなと思って。」
「何かご用でも?」
「お客様、お触りは固く禁じておりますのですぐに離して下さい。じゃないとその腕切り落としますよ?」
「ミ、ミリアそれ怖いから!」
「…ミリアにエレノア…?もしかして君、リティルこうしゃ…!」
いきなり口を押さえられ、そのまま彼女に連れ出された。
「何方か存じませんが、その件は内密に。」
「それは構わないけど。君はリティル公爵の正妻だろう?何故こんなところで働いているんだい?」
「政略結婚というのはご存知ですよね?」
「勿論知っているよ。」
「リティル公爵は私には一切興味がありませんから。外泊は勿論、愛人を作ることも許可しているんです。」
「それは…辛かったね。」
「いえ、全く。私も一切興味がないのでお互い様ですし、色々あって旅に出ることに。もともと彼に一生養ってもらうつもりもありませんでしたし、丁度いい機会でした。」
「なるほど。それで、公爵夫人というのを隠しているというわけだ。」
「離婚してくれれば楽なのですが、政略結婚なのでこちらからというわけにもいかないのがもどかしいところです。」
「離婚するつもりなの!?」
「公爵にはいつでも離婚すると言っているので、このまま旅に出ていればいつかはされるかと!」
「…どうかな。でも、俺は君に一目惚れをしてしまったからそのほうが嬉しいな。」
「一目惚れ?」
「今は愛人で我慢しよう。俺と付き合ってくれる?」
「ちょ、ちょっと待って下さい!今の話からどうしてこうなったんですか。私はただ、公爵夫人であることを黙っていてほしいと…。」
「じゃあ、その代わりに付き合ってくれればいいよ。付き合ってくれないなら酒場に戻って君が公爵夫人エレノアだって声を大にして言おう。」
「…それは脅しというんじゃ?」
「脅しでも構わないね。エレノアが俺のものになってくれるならそれでいい。」
「…わかりました。」
「良かった。やっと君にこれを渡せる。」
「なんですか?これ。」
「俺の心を入れた指輪。」
「え!?」
「王家では自らの心を指輪に入れるんだよ。君に持っていてほしい。」
「王家って…?」
「ああ、ちゃんとした自己紹介がまだだったかな。俺はこの国の王子でイライアスだよ。よろしくね。」
「…王子様が愛人とか有りなんですか?」
「公爵の公認ならなんの問題もないよ。それに離婚したら俺の正妻になってもらうつもりだからね。」
その言葉に驚いたような表情をする彼女は本当に可愛い。
公爵がエレノアを探しているという伝書鳩が飛び交っていたが、関係ない。
彼女を大切にするつもりがないのならば、権力をフル活用してでも彼から奪ってやる。
そう考えながらニコニコと人の良い笑みを浮かべるのだった。




