青春
「青春」という言葉を聞くと、嫌悪というほどではないが、なんとなく避けたいようなよどんだ気持ちになる。
直接そう言っていなくても、スポーツ漫画であったり、仲間と協力して大きなことを成し遂げたり、(大分おおざっぱだが、)とにかくそういったものが苦手だ。
中学、いや、高校までは別段そうではなかった。というより、むしろ好きだった。少年漫画を読み、アニメを見て胸をときめかせていた。しかし、このころから僕のこの傾向は表れていたのかもしれない。小学校の時にはまっていた漫画を思い出すと、それは中学生が主要な登場人物であったし、中学では高校生が主人公のものを読んでいた。
風向きが変わったのは、高校二年か三年の時。このあたりから、それまで読んできた類の本が読みたくなくなった。
話は変わるが、僕は小中高と、クラスの地味なグループに属し、孤立しているわけではないが、女子の半分は名前を知らないだろうという、中途半端な位置にいた。部活は中学では全員参加だってので、パソコン部に入部。三年間、宿題のような単調な映像編集をして、無事引退した。高校ではもちろん帰宅部。文化祭でも、毎年、金券を切るという事務的な作業をして、特に盛り上がることもなく終えた。
せっかくの学校生活を怠惰に過ごさなければ、今こんな風にはなっていなかっただろうと少し後悔しなくもないが、過去に戻ったところで、自分のことだ、同じような選択をするとわかっている。
そう、つまり、僕は青春に人一倍憧れていたくせに、そのための行動を起こすことはなく、過去に実現しなかったことから目を背けたかったから、年上の人間が出てくる話ばかり読んでいたのだ。
青春モノのメインは多くが中学生か高校生、大目に見ても大学生くらいだ。そんな切り捨てるような読み方をしていたら、いつか行き詰る。それが高校生の時に来たというだけだ。
そして僕は現在、大学四年生。学生生活はもう完全に終わろうとしている。一浪して地元の私大の理学部に入ったから、年齢でいうと二十三歳。働き始めるには遅すぎるくらいだ。最近では、少年漫画というジャンルに近づくことすらほとんどない。唯一楽しめるのは、異世界転生ものか、完全なファンタジー。現実逃避だ。(もちろん、そんな理由で読む人ばかりではないだろうが)
僕は世間一般でいう「オタク」であるにも関わらず、女子高生アイドルのアニメは見ないし、新作も半分くらいは目を背ける。
他の人がそういう作品を楽しんでいるのを見ると、うらやましく思う。
彼らには「青春」があったのだろうか。
僕のように劣等感じみたものを感じることはないのだろうか。
照明が落ち、意識が引き戻される。前では五十代半ばの講師がスライドを使って何か説明している。周囲は皆、黒髪にリクルートスーツ。この時期に内定をもらっていない学生を集めたセミナーだから、必死な形相なもの、とりあえず指定された服装できたもののまったくやる気がないものと、様々だ。
隣のやつが気になる。構内でたまに見かけるが、いつもボサボサ頭で分厚い眼鏡をかけ、しわしわのパーカーなんかを着ているから、スーツを着ていると結構な違和感だ。しかも髪は整えられていない。就職できていないのも納得だ。僕も人のことは言えないが。
終了時刻が近づいてきた。
講師が、二人一組でグループワークをするように言った。面接対策でお互いに質問しあうものだ。隣。やっぱりこいつか。質問は紙に書いてある。名前などの基本的な質問をし合う。相手は意外にも受け答えはしっかりしている。淡々と進めていく。次の質問は、
『学生時代に頑張ったことは?』
学校にはまじめに出席していたし、行事も参加する分にはしていた。適当にそれらしいことは言える。実際今までそうしてきた。ただ、今は、なぜかそうしたくなかった。こっちから先に質問する。
「学生時代に頑張ったことは?」
目の前のやつが何と答えるのか少し興味もあった。見るからに、率先して実行委員をやるようなタイプではなさそうだし、持ち物はアニメグッズだ。クリアファイルは僕が中学の時好きだったアニメの絵だ。青空に映える制服が目に付く。経歴は僕と同じようなものだろう。どこの学校にもある行事について答えるか、それとも(全員参加の)ボランティアについて答えるか、などと思いながら見つめる。しかし、一向に話す様子はない。ぼんやりと手元を見つめている。
面接官役の交代を申し出ることもできたが、交代したところでこちらも話すことはない。
時間ばかりが過ぎていく。と、講師がこちらを見た。
「えー、終了してください。……。…………。そこのペア!このあと残って練習しておくように。………。では、本日はこれで解散です。」
講師が退室し、ほかの人も次々に出ていく。
教室には二人だけが残った。
沈黙に耐えられなくなり、話しかける。
「そのアニメ、好きなの?」
少し驚いたように顔を上げた。セミナーと関係ない話題を振られるとは思っていなかったようだ。僕も少し後悔する。さっきの質問の催促か、手助けでもすればよかったかもしれない。
「うん。」
田岡は律義に答えてくれる。(名前は田岡といった。)風に髪をなびかせる男子高校生と目があい、思わず質問する。
「それ、高校生だろ?自分はそんな風になれなかったのに、そいつが活躍してるの見て、虚しくない?」
意地悪な質問だ。自分でもそう思う。僕が逃げた作品を好きだと言ったことに苛立って当てつけをしただけだ。
田岡は不思議そうにしている。質問の意味が分からなかったのだろうか。そうであってほしい。
少し間を開けて口を開く。
「それは、このアニメのキャラに嫉妬しないのか、っていうこと?」
ストレートな質問が刺さる。自分のした質問が、みみっちくて、器の小ささをあらわにするものだったことに気づく。みじめだ。辛うじて頷き、このあと何を言われるだろうかと身構える。
しかし、そのあとに続く言葉は予想外だった。
「すごいね。宮崎は『人』として見てるんだ。俺のもいつか、そんな風に見てもらえるかな。」
田岡は悔しさがにじんだ笑みを浮かべていた。
「……?」
「俺はキャラに嫉妬はしないけど、それは架空の人物だって思ってるからだよ。宮崎みたいに本気で向き合ったことはない。」
作品に向き合った?僕が?
「漫画、描いてるんだ。なかなかキャラが表現できなくて。本当にいるような、宮崎に嫉妬してもらえるみたいな人が描きたい。」
田岡は漫画家を目指していて、バイトもその関連の会社らしい。卒業後もそこで働きたかったが、正社員になるのは厳しく、今からでも正社員として採用してくれる会社に就職するよう親に言われて今日のセミナーに参加したそうだ。
「でも、やっぱり今のところで働きたいな。今日でセミナーに来るの最後にするよ。練習止めてごめんね。じゃ、続きしようか。」
面接練習が再開した。僕の返答は相変わらず優秀とは言いがたいものだったけれど、以前のようなごまかす感じはなくなった。物語のような青春が全員に訪れるはずがない。単調な映像編集だって、一日中金券を切り続けたことなって、それが僕にとっての「青春」で、全力ではなかったにしても、確かに、僕が頑張ったことなのだ。
練習が終わると、田岡は何かを心待ちにしているような様子で帰っていった。
すっかり暗くなった教室で一人考える。
田岡はバイト先でうまくやっていけるだろうか。そういえば、あのアニメの結末はどうなったのだろう。書店に行けば売っているかもしれない。
散々避けてきた作品をもう一度味わうのははなかなかに勇気のいることだが、田岡によると、僕は「キャラに嫉妬している」だけらしい。そうだろう、漫画の主人公みたいなやつが同じクラスにいたら、皆嫉妬するに決まっている。
これから年を重ねていけば、学校生活についてもそんなものだと思えるようになるだろうか。その時には、ずっと放置している卒業アルバムも懐かしさをもって眺められるかもしれない。
明日田岡に会ったら、サインをもらっておくのもいいかもしれないな。
そんなことを思いながら、教室を出た時には、僕もまた未来を心待ちにしていた。