成長
鍵をかける。
鍵をポケットに入れる。
階段を下りる。
いつもの坂を下りていく。
水道管の工事をしているので迂回する。
普段は三分程の道のりだが、今日は四分程歩いてバス停に到着する。
……鍵をかけ忘れてないか?
いや、鍵をかけた記憶はあるぞ。
『本当にそれは今日の記憶か?』
確かに、昨日の記憶かもしれん。
『鍵がかかってなかったら、大変だぞ?』
確かめに行くべきだろうか。
『確かめに行くべきじゃないか?』
時間は、まだ大丈夫そうだな。
バスが来るまで残り、十二分。
走って自宅の前まで戻る。
ドアに鍵は、かかっている。
溜息をつく。
我が家の周りは急な坂が多い。
関東平野で生まれ育った僕には数メートル歩いて上ることさえいい運動だ。
息を整える。
バスが来るまで残り、一〇分。
走ってバス停まで戻る。
間違えていつもの道で下りてしまったのでまた迂回する。
バス停に列が並んでるのが遠めに見えたので、走るのをやめる。
何事もなかったかのように歩いて、最後尾に立つ。
荒い息を抑えながら整える。
せっかく朝整えた髪が崩れてしまった。
こちらも整える。
……ガスの元栓締めたっけ?
いや、昨日の夜料理した後、締めたよな多分。
『締めた記憶はあるのか?』
いや、実を言うとない。
『ガスはさすがにまずいんじゃないか?』
でも時間もうないし…。
『ガスはさすがにまずいんじゃないか?』
バス…
『ガスはさすがに』
わかったよ、ダッシュで行くからもう…
バスが来るまで残り、六分。
急いで自宅まで走って向かう。
焦りながらも鍵を落ち着いて開け、
がちゃがちゃ
開かない。
ああ、逆じゃん、締めちゃったよもう!
がちゃがちゃがちゃ
ああ、開いた!
元栓開いてんじゃん! 危ないなあ!
ガスの元栓をひねる。
携帯をちらっと見る。
十一時二十六分。
バスの到着時刻は二十九分。
バスが来るまで残り、三分。
急坂をこれでもかという程の歩幅で駆け下りる。
下りるというよりは落ちるという感じだ、
駆け落ちる、というと語弊があるが。
遠くからバスが段々近づいてくる。
よし、間に合う!
この位置なら万が一ダメでも少し待ってくれるだろう!
…あれ、後ろのポケットが、軽い…?
財布…は?
またやったよ僕というやつはもう。
さっきガスの元栓確認しに行ったときに、
どうにも尻の財布がしゃがむのに邪魔なので、
机の上に財布をポンと置いたままにしてしまった。
はあ。
僕は何度こんなことをするんだろうか。
もう十八歳になって半年も過ぎた。
十九歳になるのも、もう遠くない。
十九歳だぞ?
というかもうお前は選挙権も持ってる立派な青年だろ。
はい、どうもすみません。
どうするんだそんなおっちょこちょいで。
へい、自分でも重々承知してます。
へい、へい、すんません、へい…
どうも僕の性格というのは、世にいう「おっちょこちょい」というやつらしい。
何年か前まで僕は自分を「不器用」だと思っていたのだが、
とある大人に僕は「雑」だということを教えてもらった。
そして段々と僕は僕自身がわかってきて、
「注意力散漫」
「おっちょこちょい」
「実力はあるのに丁寧にやらないから凡ミスをする間抜け」
であることを認識し始めた。
はあ。
最近久しぶりに自分が昔書いた小説を読み返してみた。
タイトルは「忘れ物」。
この時点で大体お察しだが、さわりはこのような感じだ。
高校一年生の僕は部室に忘れ物を取りに行く。
自転車を飛ばすも、帰りの電車の時間にぎりぎり間に合わず、
友人との約束に遅刻する。
そして実は、この日は出発の時点で予定より大幅に遅れていたことを暴露する。
はあ。
何も変わってないじゃないか。
三年前の僕はきっと今の僕と同じ性格をしているのだろう。
「おっちょこちょい」だ。
どうにもこの「おっちょこちょい」というやつとは一生付き合うことになるらしい。
僕は何かこの三年間で成長したんだろうか。
あれから部活をやめ、以前から弾いていたギターが転じて、バンド活動を始めた。
そしてそのバンド活動は受験期が始まるとともに終わった。
僕の大学受験はかなり順調に進み、第一志望にすんなりと合格した。
そもそも志望校を決める際親元を離れることを目標にしていたので、
大学入学と同時に一人暮らしを始めた。
この三年間で変わったことは何だろう。
髭が少し濃くなった。
髪型や服装に気を付けるようになった。
新しい知識をいくつも身につけた。
身長は相変わらず低いままだ。
少し他人にやさしくなった。気のせいかも。
一人で生きることがとても楽しく、寂しいことだと知った。
段々と僕も変わっているのかもしれない、と思う。
少なからず、僕の周りの世界はめまぐるしく変わっている。
聞きなれた元号はもう過去のものだ。
ニュースで見慣れた顔のおじさんが総理を辞めた。
同じぐらい見慣れた顔のおじさんが総理になった。
友達は仕事を始めたり、都会に引っ越したりして、皆忙しくなった。
何より今、世界は大変な状況だ。
誰もがみのむしのように自室に引きこもり、
恐ろしいウイルスにおびえて暮らしている。
こんなことは僕たち人間にとって初めてのことだ。
よく考えるとハリウッド映画みたいで面白いな、と一瞬思ったのは秘密だ。
三年前のエッセイに、こんなことを僕は記している。
僕は人と話す、関わる、それら諸々のことが苦手だ。
「嫌われる」のが、怖い。
今の僕はどうだろう。
人と話す、関わる、それら諸々のことは、いつの間にか大好きなことになった。
「嫌われる」ことは、当然だと割り切れるようになった。
あくまでもきっとだが、
きっと、僕は覚悟を決めたんだと思う。
ポジティブに生きる覚悟。
それが何をきっかけにできたことなのかはわからない。
でも、
『一歩踏み出して変わりたいと思えた』
と言っている三年前の僕は、
一歩踏み出して、自分を変えたのだろう。
今の僕に何ができるだろう。
こんな自分のままじゃいけない。
昔ほどそうやって頭を抱えることは少なくなったけど、
今の自分に満足してるわけでもない。
なら、変わろう。
また新しい自分に変わろう。
僕は変われることをもう知ってる。
なら、一日一日、少しずつ変わろう。
おっちょこちょいのままかもしれないけど、
それでも変わっていければ、良いと思う。
ここにたどり着けたのがきっと、
僕の成長。