愚者の舞い 3−36
呪いを恐れて手を放した人間に代わり、自分の殺害を止めた人間が、自分に歩み寄って来た。
どこか体が痛いわけではないが、身動きもしないで、ジッとその人間を見上げる。
「ふむ。 お前、よっぽどあの娘が気に入っていたようだな。 だが、お前はお前だ。」
そう言いながら、自分の体を戒めていた縄を解き始める。
「あいつにはあいつの役目がある。 お前にはお前の、生きる理由がある筈だ。 無駄に死ぬ事はあるまい。」
役目・・・理由・・・。
シェーンと話していたためか、ショコラは人間の言葉が理解出来た。
だからだろう、ムカッとして、戒めを解いたその腕に噛みついた。
(では、あの少女は死ぬために生まれて来たとでも言うのか!? 私に関わったのは、その見送る役目のためか!!)
激情に任せて、力の限り噛みついた。
だが、歯はその人間の皮膚を突き破る事さえ出来なかった。
(やはり、私は非力だ・・・。)
「なんだ、元気じゃないか。 お前は生きろ。 あいつの分まで、この世をな。 それが、あいつが望む事だろう。 違うかい、お譲ちゃん。」
ジッと目を見詰めてそう言われ、ショコラは腕を放して立ち上がり、改めてその人間を見上げた。
「お前はあいつと、長く付き合って来たんだろう? あいつが死んで、お前も後を追いたくなるくらい。 なら、あいつが何を望むような奴か、分かっているだろう?」
(ああ、そうとも。 あの人は、私の幸せしか望んでいないさ。 永遠に・・・。)
遠い過去の記憶に、そう心の中で言い放つと、忘れるように体の向きを変える。
(私はいったい、どうすればいいのだ? 教えてくれ・・・シェーン・・・。)
シェーンを殺した、人間が憎い。
だが・・・シェーンはこんな復讐を、望む少女では無かった、決して。
あの時以来、人間を憎む事、災いを振り撒く事で生きて来た。
そして、人間に知恵を授ける憎き敵の1人、アクティースを遂に倒す事が出来た。
それなのに・・・胸に満ちたのは、虚脱感と空しさ。
ショコラは信じていなかったから、過去に聞いたあの噂を思い出す事は無かった。
シェーンと呼ばれる娘の儀式を遮り、始原の神が生きながら巫女として受け取ったと。
そしてその後、始原の兄神バーセの後を追い、死して異界へ行った事も、知らない。
ファソリは我が耳を疑った。
第4軍将たる自分の進言が、それも規則に従った、正しい進言が退けられたからだ。
「て・・・天王様!? そんな・・・あの者を放置なさるおつもりですか!」
天王は渋い顔をして、目の前に膝ま付く天使を見詰め返したまま、押し黙っていた。
ファソリの言う事は、至極まっとうで正しいものだ。
だが、その進言内容の相手が始原の悪魔となると、話は別だ。
「銀竜アクティースの死を報告に来ないばかりか、勝手に蘇生の儀式を進めているそうではありませんか! 何故放置なさるのですか!? これでは秩序を保つ事は出来ますまい! 魔界から逃れ、行き場所の無くなったあ奴を引き取った天王様のご恩も忘れ・・・」
(相変わらず、融通がきかないな、天使は。 だが、確かにこのまま放置する事も出来ぬ。 どうしたものか・・・。)
天王は、傍に控える大臣が窘めても熱弁を止めないファソリを見やりつつ、仕方なく口を開いた。
「分かった、第4軍将。 そなたの進言を認めよう。」
「本当でございますか!?」
飛び上がらんばかりに喜んで、ファソリは今すぐにも行動に移そうと立ち上がりかけた。
「ただし。」
「はっ・・・?」
「軍将同士の戦争になっても困る。 あくまで諫言として赴く事。 よいな?」
「はっ、承知しました!」
ファソリは勢い込んで答えると、今度こそ気が変わらないうちにと、急いで退室して行った。
それを見届けてから、居並ぶ者達の隅に一旦目を止め、休憩を言い渡し、天王自身も別室へと下がる。
程なく、その別室の戸が静かに叩かれた。
「入れ。」
「失礼します。」
入って来たのは、見目麗しい妙齢の美女、名をボニート。
無差別に魅了するフェロモンを放つ、始原の悪魔の娘の1人だ。
もっとも、今日はフェロモンを抑える髪飾りをしているため、影響はさほどない。
ボニートは入室し、静かに戸を閉めると天王の前に進み出て膝ま付き、
「わたくしでよろしければ、行ってまいります。」
前置き無くそう言われ、天王は苦笑いを浮かべる事しかできない。
頼みたい事を先に理解し、その上で訪れ、一刻を争う事さえ理解しているのだ。
「すまない。 貴女に苦労をかけるが、頼む。 期間は任せる。」
「よろしいのですか?」
「それまでなんとか、周りは黙らせておく。 叔父上も、その辺は分かっている筈だ。」
「分かりました。 それでは、行ってまいります。」
ボニートはそう言うと、即座に行動に移る。
天王としては、彼女の存在がとてもありがたかった。
ただ、彼女が兄弟のうちの一人と結婚さえしていなければ・・・と、悔いはするが。
聖魔戦争が無ければ今も夫婦揃って天界に属し、側近として仕えてくれたであろうに、と。
あの戦争の結末に奢った天界の中、正しく戦況や力量を分かっているのは、恐らく彼女と自分、そして第1軍将のラゴラだけだろう。
それだけに、魔界堕ちした夫を慕う彼女を、側近にする事は出来ないのだ・・・。
若者の見詰める先で、キラキラと輝く。
「お前は本当に、何者だ? 千里眼でも持っているのか?」
輝く物、それは、兵士の持つ、槍の穂先。
「商人は、あくまで商人でございます。」
整然と街を出て行く軍勢から目を逸らさず、若者は苦笑いを浮かべる。
「商人ゆえの、情報網もあるのですよ。」
「ポルコよ、お前は本当に怪しい商人だな。 だが、この機会をみすみす見逃す手も無い。 伝達してくれ。 時が来たと。」
「かしこまりました。」
「事が成った暁には、お前の望みを叶えよう。」
「期待しております。」
にこやかにそう答え、退室した後、ポルコはニンマリと笑った。
「・・・ミカ・・・」
ん・・・? 誰かが呼んでいるような気がする・・・。
「・・・ミカ・・・。」
あれ? ミカって、誰?
「・・・ミカ・・・。」
ミカって・・・私の名前・・・だっけ?
「・・・ミカ・・・。」
じゃあ、アクティースって誰?
「・・・起きろミカ!」
突然、朧気に呼ばれていた声が耳元での怒鳴り声に変り、ミカはパチッと目を覚ます。
「やれやれ、やっと起きたか。 もう体は動く筈だ。 自分で機能点検してくれ。」
「機能点検って・・・。 あなたはアラム?」
いつのまにか水槽から出されており、まだ意識はボヤ〜っとして体は全身がだるい。
指を動かすのも億劫なほどだ。