愚者の舞い 3−25
なるほど、と、ミカは思った。
アクティースは食べる必要は無いとはいえ、酒は大好物だ。
しかも味に煩く、変な物を出せばその場でルーケを焼き殺しかねない。
慎重になって当然だろう。
だが、味見なんてして怒らないだろうかと、そっちの方が気になる。
勝手に大好物の酒を試飲しました、なんて封の開いたのを出した方が、怒りそうだ。
「あ、大丈夫。 これ、先に誰かに試しに飲んでもらおうと思って、別に同じ物を買っておいたんだ。 付き合いが長いから、アクティース様の性格は良く分かっているよ。」
そう言って、荷台の酒樽を指差し、筒を差し出す。
なるほど、この程度の筒など、一呑みにしてしまう人である。
別に新品があるなら問題ないと判断し、ミカは一口、口に含んでみた。
まろやかで、それでいてスッキリとした味わい。
「おいしぃ〜! ブドウのお酒ですか?」
「ああ。 一部の地域、それも期間限定でなかなか手に入らない逸品なんだ。 美味しいだろ?」
「はい! これは絶対に、アクティース様も気に入ると思います!」
「そりゃよかった。 安心したよ。 ・・・ところで、大丈夫?」
「え? なにがですか?」
「あ、いや、ほら、山菜採ってたんじゃないの?」
ミカの脇に置かれた籠を指差し、ルーケが慌てたように言う。
「ああ、もうほとんど終わりですよ。 山菜食べるのは、私達だけですから。 アクティース様は、『葉っぱなど食えん。』ですから。 そう言えばこの間、クーナさんがお世話になったそうで、ありがとうございました。 助かりましたよ。」
「いやいや、たまたま俺のいる所に来たからさ。 力になれて良かったよ。 話も聞けたしね。」
「ルパさんがお鍋壊しちゃって、本当に困っていたので助かりまし・・・あら?」
突然、グリンと視界が回転し、ミカはドサッと倒れ込む。
全身が麻痺して感覚がない。
「ミカちゃん? ・・・ふぅ、冷やっとしたぜ。 竜巫女にさえ効かないんじゃ、まったく期待できないからな。」
「正直、私も焦りましたけどね。 でも魔法の毒薬ですから、効かない筈が無いのです。 この毒薬は、かつて暴れまくった魔獣を退治するのにも使われた程の秘薬ですから。 麻痺させるだけなのがまた、憎い効果ですけどね。」
(な・・・何を言ってるの? この人達・・・。)
「で、この娘、どうするんだ? とどめは刺さないのか?」
「馬鹿言うなよラテル。 何のための痺れ薬だと思ってるんだ。 竜巫女は竜が生きている限り生き返るんだ。 その時に解毒もされていたらどうする? 言っておくがな、まともに戦ったら俺達は絶対に勝てない相手なんだぞ? 特にこの娘とアクティースはな。」
「いいからあんたは早く行きなって。 こいつは縛り上げて転がしておくからさ。 感づかれても意味無いだろ?」
(痺れ・・・薬・・・? 無味無臭・・・!? いけない! アクティース様!!)
「それもそうだな。 いいか、合図を聞きそびれないでくれよみんな。」
「大丈夫です。 我々は銀竜を倒した英雄になるのです。 聞き逃す筈もありません。」
「珍しく世俗的な欲求じゃないか? ロスカ。」
「私とて人間ですよ? ラテル。 人並に欲もありますよ。 ドラゴンスレイヤー、それもシルバードラゴンともなれば、研究資金はいくらでも集まります。」
「悠長に研究するのは、大陸統一後にしてくれ。 ドラゴンスレイヤーの名誉を手に、俺は初の大陸統一王になる。 そして、真の平和をもたらすんだ。 そのための多少の犠牲は已むをえん。 その事を忘れないでくれ。」
(多少!? 己の欲望のために!!)
「行って来る。 くれぐれもしくじるなよ。」
暗転した暗闇の世界に、足音が一つと、荷車を動かす音が聞こえる。
ミカはその音を聞きながら心の中で絶叫していた。
(アクティース様! アクティース様ぁ!! この時の為に知識と技を覚えたのに、こんな策略にひっかかるなんてっ!! アクティース様ぁ!! 気が付いて!!)
命の恩人であり、長らく付き合って来たルーケだけに、ミカは全く無警戒だった・・・。
荒い息使いが二つ、森の中によく響く。
道なき道を、しかも急坂を登っていれば普通そうなるだろう。
だが、先を行く男は平然としており、息一つ乱れていないのが癪に障る。
「頑張ってくださいね。 この程度、普通ですから。」
着いて行く2人は、文句を言う気力も起きない。
と言うか、余裕がない。
薬草の採取は、当然こう言った自然の中に踏み入らなければならない。
だが、多少は慣れたポルンでさえ、厳しいと言うより限界を超えるほど厳しい。
慣れないシノンでは、尚更きついだろう。
翌日、モリオンの指定した町外れに集合するなり、2人はこの山に連れて来られた。
最初こそ緩やかな上りだったが、ドンドン急になり今に至る。う
着の身着のままの気軽な気分で来たので、当然山登りの装備などない。
モリオンもいつもと変わらない服装だったので、安心していたのだが、まさかこんな事になるとは予想さえ出来ない。
息をするのも苦痛になり喘ぎながらそれでも必死に登るのは、こんな山の中で逸れたらそれこそ死ぬ事請け合いだからだ。
人間などにとっては急峻でも、野生の動物には常の事。
草食動物ならいざ知らず、クマなどに遭遇しようものなら逃げる事もままならない。
休憩も無く、いっそ死んだ方がましと思い始めた頃、モリオンが足を止めた。
「今日はここまでにして休みましょう。」
「「・・・・・・・・・。」」
荒くつく息で言葉が出ないが、目では共通の事を訴えていた。
ここで? と。
辺りに平らな場所など無く、休むも何も、座れる場所さえ見当たらない。
そんな2人の言い分など知らんとばかりに、モリオンはドサリと背に背負っていた巨大なリュックを降ろし、シノンを手招きする。
「随分怪我をしましたね。 まずは治療しましょうか。」
言われてみると、シノンの足は血まみれだった。
ポルンはいつもズボンを履いているが、シノンは一般的な短衣。
筒状になった布の服を着て、腰の部分で紐で縛っただけの物だ。
足はミニスカート程度で、膝上程度しか隠れていない。
そんな服装で草をかき分け登って来たので、切り傷を作りまくったのだ。
モリオンは、疲れ果てているシノンを近くの木に寄りかからせると、軽く呪文を唱えて傷を癒す。
次いで懐から水筒と奇麗な布を取り出し、丁寧に拭っていく。
傷は奇麗に癒されており、血を拭き取った後は、元の奇麗な白い素肌が出て来た。
「さて、ここで一晩明かすわけですが、このままでは休めないでしょう? ですから、寝場所を作っていただきます。」
そう言って2人に、ロープで編んだ網と、寝具をリュックから取り出して差し出す。
ついでにシノンに厚手の皮で作られたズボンと、2人に山登りに適したブーツも渡す。
「明日以降はその程度の傷は治療しませんので、履いて下さい。 明かりよ。」
一足先に暗くなってきた山の中に、杖の明かりが辺りを照らしだす。
「いいですか? よく見ていて下さい。」
そう言いながら、手近かな木と木に網の端を括り付け、そこに寝具も置く。
網はハンモックだったのだ。
「自分の寝床はシッカリ作って下さいね。 落ちたらたぶん、死にますので。」
げんなりとして下を見れば、今登って来た急な坂。
たぶんはなく、確実に逝きそうだ。
疲れ果てた体に鞭打ち、2人は必死になって寝床を作り上げていく。
一回モリオンが点検し、悪い部分を指摘されて直し、2人はようやく休む事が出来た。