第54章(優里)普通で、素直な恋愛
夜の立川の街。街中がギラギラと輝いていて、キャッチの怪しげな男が立っている。
駅にある大きな商業施設がガラガラとシャッターを閉めていた。
「……優里さん」
敦志は改札すぐ近くで、壁に寄りかかっていた。
「待たせたかな?」
「いえ、俺もちょうど今着いたところです」
優里は腕時計を見る。
「22時ぴったり……。あ、本当に22時ぴったりだ」
「1分遅刻ではありませんね」
そう言って敦志は優里に笑いかけた。
ああ、私だけじゃないのか。あの日をここまで覚えているのは。
だめだ。泣くんじゃない。私はここに何をしに来た。戦いだ。戦いなんだ。耐えろ。
「どこかへ行くの?」と優里。
「いえ、ここで。すぐ済みますから」
「……そう。それで今日はどうしたのかな?」
優里と敦志の近くを、がやがやと慌ただしく人が通り過ぎていく。改札に駆け込む人、イヤホンをつけてスマートフォンを触りながら歩いている学生。
敦志が口を開く。
「本当に好きな人ができました」
「私は惚気を聞かされに来たのかしら」
「そう言わないでください。1年前、俺は優里さんに告白しました。あの時、優里さんが言ったことの意味、今までずっと、まるでわかりませんでした」
「でしょうね」
「でも、ようやくわかったんです。優里さん、俺は……」
私。絶望するな。受け止めろ。そして流せ。「優里さん」にとってはこんなこと、どうということはないのだから。
「俺は?」
優里は言葉に詰まった敦志を後押しする。
「俺は、楓が好きなんです。それに気付いて、俺の中から優里さんがいなくなりました。だから……」
「楓ちゃんと、幸せに、なってね」
優里の言葉はどこかたどたどしかった。
「はい。優里さん。今まで、ありがとうございました」
「……そう。それじゃ、私は失礼するね」
優里はそう言って敦志に背を向け、歩き出した。
「わざわざ呼び出してすみませんでした。最後に……」
「何かな?」
優里は立ち止まり、しかし振り返ることはしなかった。その優里の背中に、敦志は。
「優里さんは、俺のことを恋愛対象として、見てはいなかったんですよね?」
どうして。
どうしてそんなことを聞くの。どうして私にそれを答えさせようとするの。敦志君は、何もわかっていない。なんて馬鹿な男の子なんだろう。私が一体どんな想いでここに来たのか、敦志君は何も知らない。
嫌だ。涙が溢れる。止まれ。どうして涙が出る。私が泣いていることを、絶対に敦志君に知られてはいけない。
早く。黙っていたら怪しまれる。早く答えないと。もう。止まって。お願い。
「……優里さん?」
敦志は止まったまま黙っている優里の背中に、そう声をかけた。そして敦志は優里の正面に行こうと近寄る。
敦志が近づくのを優里は感じた。
「来ないで!」
「えっ、す、すみません」
敦志は驚いて、その場に立ち止まった。
さあ、私の最後だ。踏ん張れ。
「そうだよ。あのデートの日までは、敦志君と付き合うのもなくはないと思っていたけれど。でもやっぱり、敦志君には興味が出なくてね」
よし。涙声にはなっていない。
「ああ、ようやく俺、しっかりと優里さんに振られたんですね。誰かに振られたのは初めてかもしれません。でも、俺は。楓と一緒に生きると決めましたから」
「ええ。体に気をつけてね。またいつか」
「はい。優里さん、尊敬しています。またいつか」
優里は再び歩き出した。敦志は優里の背中をもう一度見て、そして敦志もまた、改札へと戻るのだった。
帰り道。優里は夜の街を歩いていた。
しかしそこは駅前とは違い、人通りのない小さな路地。街灯だけがその道を照らし、物音を立てるものは何もない。けれども数百メートル先の駅前から、都会の喧騒がさわさわとその路地まで届いていた。
ああ。やっと終わった。
私は戦い抜いたのだ。これでいい。
敦志君は何も知らない。私が何を思って、何を想っていたのかなんて。
何が、尊敬しています、だか。敦志君にとっては、私のことなんてもうどうでもいいのはわかっているよ。
例え、私の求める、私の為の敦志君でなくとも、とりあえず敦志君と付き合っていてもよかったのかもしれない。これほど辛い思いをするとわかっていたら、わざわざこんな道を選ぶことはなかっただろうな。
それでも、私は夢を見たのだから。私が選んだのだから。だからもう、後悔はしない。
私の余命、あと4年。私は何をして生きよう。そうだな、自由に芸術に触れたい。もっと、もっと。
国から振り込まれたお金がある。今まで行きたくても行けなかったスイスの美術館にだって、イギリスのロックフェスにだって、なんだって行ける。
そうして自由に生活しているうちに、いつかまた素敵な人と出会えたなら。うん、そうだ。今度は、今度こそは。
普通で、素直な恋愛がしたいな。
「……ぅう。あぁぁ、あああぁー……」
優里は屈み込んで、路地を大粒の涙で濡らした。その泣き声は小さく、誰の耳にも届かず、夜の街の騒音にかき消されていくのだった。




