第53章(優里)打ち鮑 勝栗 昆布
スマートフォンが着信を告げた。
優里が電話に出ると。
『もしもし。優里さん、今大丈夫ですか?』
敦志君。
「ええ。どうしたの?」
『今から会えませんか? こんな時間にすみません』
優里は自室にある掛け時計へと目をやった。21時22分。
「いいよ。どこに行けばいいかな?」
『……あ、ありがとうございます。僕が立川に行きますから、優里さんは駅まで来ていただければ。そうですね、22時はどうでしょうか』
「うん。わかった。大事な話なのでしょう?」
『はい』
「全く、先輩を呼び出すなんて……」
『申し訳ないです』
「冗談。気をつけておいで」
『ありがとうございます。では』
「ええ。また後で」
優里は電話を切ると、スマートフォンを床に落とした。
ああ。来てしまった。敦志君に『その時』が来たんだ。
敦志君が今、何を考えているかまではわからない。しかし。おそらくは楓ちゃんと付き合うことで、楓ちゃんのことが大切なことに気がついた。だから、優里さん、今までありがとうございました。まあ、そんなところだろう。
私はもう、これから何を希望に生きればいいのだろう。私は敦志君を本当に失って、そうして正気でいられるのだろうか。
いや、まだわからない。違う話かもしれない。だから、まだわからないけれど。
ああ、私よ。わかっているくせに。違う話なわけがない。
でも、もし私がこの後、全ての夢を失うとしても。
いい。最初からわかっていたことだ。そして、今から私が行くのは戦場だ。私が、私が女として、女の子の藤ヶ谷優里としていられる、最後の戦場だ。
負け戦でしかない。勝ちの目などない。それでも私は戦わなくてはならない。
敦志君にとっての「俺を導いてくれた先輩、優里さん」でいるために。
人前で涙を流して、みっともなくすがりついて、私を捨てないでくれなどと、どの口が言えようか。私には私の意地があるのだ。
わかっている。今までの私と同じように、私の心はこれからも涙を流し続ける。でも、だからなんだというのか。私は私だ。だから。
私を舐めるな、山下敦志。
優里は立ち上がった。そしてファンデーション、アイライナー、ピアス、ブラウス、グレーのコート、部屋のあちらこちらから戦場へと向かう為の装備をかき集めた。
失恋だって恋のうち。普通は小学生で経験するようなことを、私はこれから経験する。失恋がわかりきっているからといって、私は女に手を抜くつもりはない。なぜならそれは。
最初で最後の、私の失恋だから。
私の物語など、誰も知らない。私が今まで悩んできたことなど、何の価値もない。私は奇跡を起こせなかったのだから。
私が書いたこの手紙は、結局誰にも読まれることがない。私が今まで思っていたこと、考えていたこと、たくさん書いたのに。
手紙さん、ごめんね。本当は敦志君に読んでもらいたかった。
この世界に、神はいるのだろうか。もしそんなものがあるのなら。もし神が私を見ているのなら。
私を笑えばいい。馬鹿な女だと、嘲ればいい。
私は恋に負ける。夢に負ける。愛に負ける。私は当然に、当たり前に、奇跡など起こせなかった。そうしてただ、ぼろ雑巾のように捨てられる。
でも、でも、だからといって。
負けるからなんだ。失うからどうした。そんな私は惨めではない。これから私は、私の為に戦うのだから。
私は逃げない。これは私が決めたことだ。そうだ。私は。
私は、私に負けない。
優里は、手紙を破り捨てた。




