第52章(敦志)1人目
「わあ……。去年も見たけれど、でもやっぱり、うん。いいね」
楓はそう言って両手を広げた。
大学からほど近い、とある駅の前。夜の街に浮かぶイルミネーションの中で、敦志と楓は歩いていた。
「イルミネーションって、なんだろうね。こんなに寒いのに、どうしてか暖かくなる」と敦志。
「こんなの、ただの電飾なのに。でも、この景色を綺麗に感じてほしい、そういう人の想いがあるから」
「……うん。そうだ。音楽と一緒かもしれないな」
敦志はそう言って、光を眼に反射させてイルミネーションを見ている楓の横顔を見た。
楓。俺の彼女。俺にとって、最も大切な人。お父さんがどうだとかは置いておくにしても、楓がいてくれることが俺にとっては何よりの救い。
楓は優しい。それでいて、俺のことをよく見てくれている。俺の中には俺自身も自覚していないようなもろい部分がきっとたくさんあって、けれどもそれすら、楓は俺の一部として大切にしてくれる。
楓が俺を大切にしてくれているように、俺もまた楓を大切にしてあげられているだろうか。俺は楓という女の子を、ちゃんと理解してあげているのだろうか。
楓がくるりと振り返り、敦志に向かって。
「この道。もう少し奥まで行くと、大きな公園があるんだ」
「ああ、行こうか」
光り輝くイルミネーションの駅前とは対照的に、その自然公園は暗かった。ぽつりぽつりと立っている公園灯だけが、その公園の散歩道をわずかに照らしている。
たまに歩いている人を遠くに見かけるだけで、公園内にはほとんど人がいなかった。
「……あのさ」
楓が敦志を見て、口を開いた。それは消え入りそうな小さな声だった。
「何だい」
「敦志はさ、やっぱり、まだ……」
そこまで何かを言いかけて、そうして楓は敦志から目を逸らした。
「まだ、俺が優里さんのことを好きなのかどうか?」
「……いや、ううん、ごめん。なんでもない」
どうだろう。今の俺にとって、優里さんはどういう人なのだろうか。
俺は、そう。楓が好きだ。きっとこれは、今までにないほどの恋心、だと思う。いや、恋というより、もしかすると愛に近いのかもしれない。
そして優里さんは。俺にとっての優里さんは、そうだ、俺を導いてくれた人。優里さんと出会っていなければ、おそらく楓と付き合うことはなかった。
あれ。
俺は、優里さんが好きだった。それはもう、どれだけ時間がかかっても、優里さんと一緒になりたいと思っていた程に。
でも、今はどうだ。気付いていなかった、いや、目を逸らしていた。俺は。
俺は今、優里さんのことを何とも思っていない。
敦志は突然にめまいを覚えた。
「ごめん、楓。ちょっとベンチに座ろう」
「気分が悪いの?」
「なんだかね」
そうして敦志と楓は木製の屋根がついた少し大きめのベンチに腰掛けた。
目の前には少し大きめの池が広がっていて、しかし暗闇に隠れてその全ては見通せない。公園灯の明かりが、水面にわずかに反射していた。
「大丈夫?」
「ああ。大丈夫。ちょっとした立ちくらみだったみたいだ」
「全く。か弱い女の子じゃないんだから」
そう言って楓はくしゃ、と笑顔を見せる。
「なあ、楓」
「ん?」
「俺さ、自分でもわからないんだ。でも、わかることもあって。それはさ、俺にとって何より大切なのは、楓なんだよ」
「私のご機嫌取り?」
「そう思われてもいいけれど。でも、本当なんだ」
「ふぅん」
どうして突然、俺の中から優里さんが消えたのだろう。
楓と付き合い始めて1ヶ月。この1年の中で、他の女の子とそれくらい、いやそれ以上長く付き合うこともあった。でも、優里さんへの気持ちは少しも変わらなかった。
『だって私は、あなたのお母さんにはなれないもの』
あの時の優里さんの言葉。
そうか。
俺は、誰でもよかったんだ。俺に憧れて、俺のことをただの恋愛対象として見るだけの女の子ではなくて。俺という人間を大切にしてくれて、そして包んでくれる、そんな女の人であれば、俺は誰でもよかったんだ。
だから俺は、優里さんに惹かれた。誰よりも俺を甘えさせてくれる器量がありそうな、そんな優里さんに。そして実際に、優里さんはそれができるのだろう。でも。
優里さんは俺の成長を待ってくれているのだと思っていた。けれども違った。優里さんはただ、対等に付き合いたかったのだ。しかし、俺が甘えている限り、俺が優里さんを自分勝手に求めている限り、それは不可能だった。
だから優里さんは、俺に愛想を尽かせた。
優里さんはわかっていた。俺は優里さんを好きなのではなく、俺が求める人が優里さんに近かっただけだということを。
それを俺に気付かせる為に、優里さんは他の人と恋愛をしろと言ったのだ。ちゃんとした恋愛をすればわかる、お前は私を好きなわけではない、だからお前は私と付き合うに値しない、あの言葉はそういう意味だったのだ。
1年前のあのデートの日まで、確かに優里さんは俺を気に入ってくれていた。だが、俺は何も変わらなかった。
だから優里さんはあの時、彼氏としての俺を見捨てたのだろう。
俺は今、ようやく楓と、本当の恋愛をすることができた。そして勿論、俺にとって大切なのは。
「楓」
「……っ」
敦志は楓にキスをした。それは短く、一瞬のキスだった。池の水面がふわりと揺れて。
「俺、優里さんに伝えてくるよ」
「……うん。行ってらっしゃい」
「大丈夫。俺を信じて」
「敦志、大好きだよ」
「ありがとう。駅まで送るから」
敦志と楓はベンチから立ち上がる。枯れた落ち葉が風に乗って、するりと2人の足下を通り過ぎていった。




