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手紙  作者: サワヤ
49/58

第49章(優里)予感

 学園祭、中央ステージ。空は赤く染まっていた。


 優里はステージの上で機材のセッティングをしていた。3年間所属した軽音楽サークルでの、最後の演奏をする為に。



『ドラムの返しに。ベースの音量を少し上げてください』


 敦志がマイクを通して音響係にそう言った。



『すみません。ベースの返しにも、ベースを少しお願いします』と優里。


 優里はチェックの為に短いフレーズを演奏する。



 うん。これでいい。


 さあ、やろう。このステージが、私の最後。学園祭が終われば3年生は引退なのだから。



 きっと私はもう、ベースを演奏することはないだろう。ベースを始めたのは、大学生活での挑戦であって、単なる趣味でやっていたわけではない。このサークルから引退するのと同時に、このベースを手放そう。



「敦志君。それに秋山君」


 優里はステージの上にいる2人へと声をかけた。


 敦志はドラムのセッティングを終えたようで、じっと優里を見ている。秋山は屈んで足下にある機材をいじっていたが、耳は優里の言葉を待っているようだった。



「このサークルで、いろんな人と一緒にバンドをしたけれど。でも、最後があなた達でよかったよ」


「俺の台詞です」敦志は言う。


「あら。敦志君は最後じゃないでしょう」


「優里さんと演奏できるのは、俺も敦志さんも最後です」と秋山。


「……そうね。ありがとう」


「昨日のジャズセッションは最高でした。でも、負けませんよ」


 敦志はそう言ってスティックをくるりと回した。



「ふふっ。ステージから見えてたよ。楓ちゃんといちゃついてて聴いてなかったくせに」


「……見られていましたか」



「さ、やりますよ。時間です」


 秋山がすっ、と立ち上がって言った。




 夕焼けの中央ステージに、爆音が鳴り響いた。


 敦志と優里が生み出すハイテンポのリズムに、歪んだギターサウンドが乗る。天を突くような秋山のハイトーンボーカルは、激しく、しかしなめらかに流れていった。



 優里は演奏しながら観客を眺める。



 ああ。皆、観てくれている。あれ、あれは4年生の先輩達。それにあそこで座っているのは楓ちゃん。こうして人前で楽器を演奏するなんて、もう今後二度とないかもしれないな。



 優里はふと、敦志と秋山を見やった。秋山は遠くを見つめて一心に歌っている。敦志は優里が見ていることに気付き、口角が上がった。



 なんて楽しい場所。どうしてもうすぐ終わってしまうのだろう。まだ続けたい。でも。


 私の全てはここにあったから。ベースは、私の大学生活の象徴だから。だから楽器を演奏するのは、これで最後。


 4年7ヶ月。誰にも言っていない、誰も知らない、私の余命。もし私が4年後も生きていたら、その時はまたやってもいいかもしれないな。





『次が、最後の曲です。聴いてくださって、ありがとうございました。そして3年生の先輩方、お疲れ様でした』


 そこまで言うと、秋山は優里を見る。


 優里は首を横に振った。それを見た秋山は続ける。


『特に優里さんは喋るつもりはないようなので……。少しだけ、俺の個人的な話をさせてください。俺はこのサークルに入るつもりはありませんでした。というよりも、軽音楽サークルに入るつもりが無かったんです』



 秋山君の考えは当然だ。スタジオミュージシャンとして仕事を受けている彼からすれば、初心者だらけの大学サークルなどレベルが低すぎるのだろう。


 実際、私の演奏技術は秋山君の足下にも及ばないのだから。



『ですが、俺は、このサークルのライブを偶然見ました。その時、ここにいる敦志さんと優里さんが演奏していたんです』


 秋山は少し間を置いて、何かを思い出すように空を見上げた。


『衝撃でした。決して上手いわけじゃない。でも、優里さんの演奏は普通ではありませんでした。だから俺は、今ここにいるんです。最後の曲、いきます』



 ドラムカウントと共に、クランチサウンドが鳴り響く。



『BABY BABY』






 ライブを終え、ステージの脇の階段に優里は座っていた。機材の後片付けでがやがやと騒がしい中、自分の機材すらそのままに、優里は呆然と、ただ座っていた。



 するとそこに、敦志がゆっくりと近付く。



「優里さん」


「……敦志君」


「ありがとうございました」


「こちらこそ。本当に、良かった。うん。本当に」


「これで3年生が引退して、そうしたら俺は」


「部長だよ。決まってるでしょう」


「……頑張ります」




 その瞬間。



 何だろう。頭が痛い。悲しい。心がまた少し、欠けてしまったような、そんな感覚。



 そして突然、優里の脳裏に映像がよぎった。


『優里さん。俺は……』


 敦志が何かを言おうとしていて、しかし全てがぼんやりとしている映像。



 これは、記憶だろうか。いや、違う。こんな経験はないはず。なんだ。悲しい。頭が痛い。私は今、どうなっているのか。夢を見ている?


 私は……。






「優里さん!」


 優里は目を覚ました。目の前には敦志。



 変わらずステージ横の階段だった。敦志の腕に支えられ、困惑する優里。



「あれ、私……」


「優里さん、突然倒れて……。大丈夫ですか? 医務室に行かないと」



 敦志君。私の敦志君。ああ、少しでもこのまま敦志君に抱えられていたいけれど。



「……ううん、大丈夫。ありがとう」


 優里は起き上がり、そして立ち上がった。



「本当に大丈夫ですか? 無理はしないでください」



 あれは何だったのだろう。何かの夢だろうか。それに突然倒れたことなんて今までなかった。確かに敦志君の言う通り、後で医務室に行った方がいいのかもしれない。


 それにしても。


 どうしてこんなにも悲しいのだろう。確かに私のライブは終わった。引退。私はこれでサークル活動を失った。


 でもこの謎の悲しみの理由はおそらく、そこから来ているものではない。何か、敦志君に関することだ。




「ねえ、敦志君」


「はい」


「部長、大変かもしれないね。でも、私は何も心配していないよ。敦志君は、そうね。少しずつ変わっていると思う」


「それは……、成長ということでしょうか」


「ええ。だから、きっと大丈夫。それに、楓ちゃんはきっと、今までの彼女とは違うのね」


「そうですね。何が、と言われても答えられませんが」


「もうすぐわかるよ」




 ああ、そうか。楓ちゃんだ。


 つまり、ついに『その時』が近づいているんだ。敦志君が気付く時が。だから私は無意識にストレスを抱えていて、そして気が抜けた今、突然倒れるという形になって体に現れた。


 まあ、まさか楓ちゃんがその役割に就くとは思ってもみなかったけれど。



 あの時。敦志君に告白されたあの時、私は夢を諦めた。私の為だけの敦志君を手に入れるという夢を。


 けれども私は、敦志君を突き離せなかった。それどころか、敦志君を呪縛に閉じ込めてしまった。そしてその代わり、私は夢を見続けることができた。



『その時』が来れば、私の夢は終わる。でも、もしかしたら。あり得ないとわかってはいるけれど、もしかしたら『その時』は来ないかもしれない。


 そうだ。私は『その時』が来ないという奇跡にかけた。私が決めたことだ。私が無謀な戦いを始めたのだ。



 本当に私はみっともない。奇跡が起きない限り、敦志君は私の敦志君ではないのだ。今までもずっとそうだった。そしてこれからも。


 奇跡は起きないから奇跡なのだ。勘違いしてはいけない。だからそもそもストレスを抱えること自体、おかしなこと。


 もし『その時』が来たとしても、敦志君にとっては悪いことじゃない。むしろ良いことだ。敦志君の人生において、邪魔なのは私なのだから。



『その時』が来た後、いつか敦志君は気付くのだろう。優里という人間は、自分勝手で、自分本位で、寂しく、小さな女だったということを。





「……優里さんの目には、俺がどういう人に映っているんでしょうか」


「私がそれを簡単に答えるとでも?」


「えっ、あっ、そうですよね。俺が考えなくちゃいけないことですよね」


「そうね。でも、ヒントをあげる。敦志君のこと、お子ちゃまさん、とは思っていないよ」


「それは、俺が以前と変わったからですか?」


「ううん、最初から。敦志君は、敦志君が自分で思っているほど、弱い人間でも、小さな人間でもない」


「そうでしょうか」


「敦志君はね、もっと自信を持ちなさい。それだけの資格はあるの。自信を持つだけで、敦志君は化ける。私はそう思うよ」


「……わかりました」


「それじゃ、失礼するね。今まで何度も一緒に演奏してくれて、本当にありがとう」


「ありがとうございました、優里さん。お疲れ様でした!」



 キャンパスに夜の風が通りゆく。赤く輝いていた空はもう、すっかり黒くなっていた。


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