第42章(優里)5枚目。
私と敦志君は喫茶店を出た後電車に20分程乗り、そうして小さな駅で降りた。
改札を出ると辺りはすっかり暗くなっていて、それまでの都会の喧騒が嘘のように感じられた。実際、都内とは思えないほど駅の周りに建物が少なかったのだ。
「優里さん、こっちです」
そう言うと敦志君は何やら暗闇の奥へと進んでいく。
小さな道だ。その先に何があるのか、ここからはわからない。
「暗がりに連れ込むつもり?」
「まさか。そんなに信用ありませんか?」
「あら、自分の身は自分で守らなきゃいけないもの」
「優里さんは魅力的な人ですからね」
「そうね」
数分歩くと、何やら駅のような建物が見えてきた。敦志君はどうやらそこに向かっていたようで。
「あそこです。乗りましょう」
「乗る?」
「ええ。ゴンドラです」
謎の駅で敦志君が何やらチケットを係員に見せた。案内され、私と敦志君はゴンドラへと乗り込む。
観覧車のゴンドラと同じような作りになっていて、私の向かい側に敦志君が座った。
「へえ。面白いね」
「ワクワクしますよね」
「どこへ向かうのかな?」
「少し山を登ります。その先が目的地です」
「楽しみ」
ギギッ、と小さな音を立て、ゴンドラはゆっくりと動き出した。
ゴンドラの上半分は全てガラス張りのようになっていて、外の景色がよく見える。とはいえ外は夜の闇。そしてゴンドラの中に灯りは無く、駅からの光だけが差し込んでいた。
ああ。私、緊張している。きっともう、敦志君よりも。
私はいつからこんなに敦志君に惹かれてしまったのだろう。私は一体、どうしたいのだろうか。
私は本当に愚かな女だ。
私は敦志君を初めて見た時、きっと異性として憧れたのだ。顔が良くて、女の子の扱いに長けていて、お洒落で格好良く、それでいて可愛げもある、そういう男子である敦志君をただただ気に入ったのだ。
敦志君は、私に恋愛経験がないとは夢にも思っていないだろう。小学生が足の速い男の子を好きになるように、高校生がイケメンに告白するように、その程度の理由で私は敦志君に憧れたのだ。
私は無意識のうちに、敦志君に好かれるように振る舞ってきた。
どの立ち位置から、どういった会話をすれば敦志君が私を好きになるかなど、手に取るようにわかっていた。それはそうだろう。敦志君は、私と同じなのだから。
すると当然、敦志君は私のことを気に入った。敦志君からアプローチをかけてくるようになった。私は浮かれていった。
ただ気に入った異性なだけだったはずの敦志君から好かれるようになり、私はますます敦志君に惹かれてしまった。私の中で、敦志君の存在がさらに大きくなっていった。
敦志君に私の気持ちを気付かれてはならない。そんな簡単な女など、きっと敦志君は興味がない。
今までだっていくらでもいたのだろう。尽くしてくれる、憧れてくれる、そんな可愛い彼女達が。
私は敦志君にとって、特別であり続けなくてはならない。ミステリアスで、年上で、大人で、余裕があり、優しくて、それでいて全てを包んでくれるような。敦志君が真に欲している、そういう私を演じなくてはならない。
でも。
私は。私は。私は。それじゃ、私はどうしたら。
敦志君に好かれ続けるためには、敦志君の求める私を演じ続けなくてはならない。けれども私が飢えているのは、私が欲しくて欲しくてたまらないのは、私を包んでくれる愛だ。
だから成立し得ないのだ。私と敦志君では、恋人になれないのだ。
勿論、私が私の欲求を押し潰して、敦志君の為の優里さんを演じ続ければ、敦志君をモノにすることはできる。でも、それではいつか私に限界がきてしまうかもしれない。
それならば敦志君のことは諦めればいい。他の男を探せばいいじゃないか。わかっている。そんなことはわかっているのに。
私はもう、夢を見てしまったのだ。
敦志君が、私の全てを包んでくれる、私の為の敦志君となってくれることを。私にとっての家族であり、親友であり、恋人でもあり、私の孤独を100%癒し、私の存在を肯定してくれる、そんな人が敦志君であってほしい、と。
ゴンドラは山を登っていった。駅の光が随分遠くに見えた。そうして。
「優里さん、山を越えますよ」
「可愛い山ね」
「丘みたいなものです」
その時。
ゴンドラは山を越え、山の向こうにある景色が突然現れた。
そこには眩い光が銀河のように一面に広がっていた。青、黄色、オレンジ、緑、様々な光が瞬き、ゴンドラの中までもがその光で明るくなった。
「……綺麗」
「今日から、ここでイルミネーションが始まったんですよ。小さな遊園地なんですけどね、すごいでしょう」
宙を浮くゴンドラの眼下に広がるイルミネーションの明かりで、敦志君の顔が照らされていた。敦志君はほっとしたような笑顔を見せた。
ゴンドラは光の銀河へとさらに近づいていく。地上との距離は10mほどだろうか、銀河に近づき、飲み込まれ、ゴンドラはオレンジの光に包まれた。
「こんなにすごいイルミネーションなのに、あまり人がいないんだね」
「クリスマスが近くなると人でごった返しますよ。まだ11月の頭ですからね」
観覧車が光り輝いている。ジェットコースターのようなものもある。光り輝く屋台のようなお店で、チュロスを買っている人も見えた。
「驚いたなあ。敦志君、流石だね。こんなところがあるなんて知らなかった」
「よかったです。もうすぐ着きますよ。降りましょうか」
ゴンドラは遊園地の駅に着いた。
私と敦志君はゴンドラを降り、園内へと入る。イルミネーションの様々な光に包まれながら、のんびりと歩いて回ることにした。
「何かアトラクションにでも乗りますか? ジェットコースターは楽しいと思いますよ」
「景色は綺麗なんだろうけれど、外のジェットコースターはちょっと寒いかな」
敦志君は、はは、と笑って。
「そうですね。ああ、温かい飲み物でも買いましょうか」
私はベンチに座って、ホットコーヒーを買う敦志君を眺めた。
敦志君はきっとこう考えているのだろう。今が頑張りどころだ。落としてさえしまえば、後はずっと甘えさせてもらえる、と。
違う。それも悪くはないのだけれど、でも、私は。
コーヒーを2つ持ってきた敦志君が私の隣に座った。
「優里さん。どうぞ。ミルクとシロップは?」
「ありがとう。ブラックでいいよ」
「今日は不安でした」
「先輩を誘うとはなかなかだものね」
「ええ。しかも優里さんですから。俺にとっては正直、よくわからない人です。でも」
「でも?」
「素直で可愛らしいところもあるんですね。そういうところがやっぱり素敵だなと思います」
「私も女の子だから」
「そうですね。そして俺は、男ですからね」
敦志君はそう言うと、ふと夜空を見上げた。
敦志君が変わってくれるのなら。私の為の敦志君に、彼が成長してくれるのなら。
もしそんな夢みたいなことがあれば、私は敦志君と恋人になることができる。私にとっての絶対の存在に、敦志君がなってくれるかもしれない。
気がつくと、私と敦志君の周りには誰も人がいなくなっていた。
敦志君が私を見る。けれども私は敦志君の顔を見れずにいた。
ああ。これは来るかもしれないな。そしてやっぱり、今の私と今の敦志君では。
19歳の私は、今も泣いている。いつか夢が叶うまで。だから私は、今の私がするべきことは。
強がれ。演じろ。
「優里さん」
「どうしたの?」
「俺、優里さんのことが好きです。付き合ってくれませんか」
「そうだよね」
「ええ。優里さんみたいな人に相応しいかは正直自信がまだありません。でも」
「ふふっ。そんなことないよ」
「それじゃ……」
何かを言おうとする敦志君。
私は人差し指を立てて、敦志君の口を止めた。
「敦志君、よく聞いて」
「……はい」
「気持ちは凄く嬉しいよ。けれど私は、敦志君の期待に応えることはできないの。でもね、もし貴方が変わってくれるのなら、私はその気持ちを受け入れるよ」
「それは、どういう……」
「だから私が大学を卒業するまでの二年半、たくさん恋愛しなさい。私じゃない女の子の誰かを心底愛してあげて」
「え?」
「それでもまだ、私を想ってくれていたのなら、その時は貴方と一緒に生きていくよ。だって私は……」
私はそこで、敦志君の顔を見た。混乱と、落胆と、緊張。そんな表情だろうか。
ごめんね。
「だって私は、あなたのお母さんにはなれないもの」
私はその後の記憶がない。
おそらく先に帰ると言って別れたのだろう。
気付いた時には、私は一人で自分の部屋にいて。手鏡を見ると、目が真っ赤に腫れていた。
あの時はごめんね、敦志君。




