第38章(敦志)堂々巡り
寝静まった住宅街の中にある、2階建のグレーを基調としたシンプルな外装の一軒家。
敦志は自室のベッドに寝転がっていて、目覚まし時計の秒針がカチカチと音を立てていた。
『明日か、明後日の夜。この前のバーはいかが?』
楓からのメールが敦志の携帯を震わせる。そのメールを読んだ敦志は首をかしげた。
メールの宛先を間違えたのだろうか。楓ちゃんと何か約束をした記憶はないのだけれど。いや、おそらく突然のお誘いということだろう。それならもちろん構わない。
『もちろん。明日の夜、22時でどうかな?』
送信。
しかし、何か話したいことでもあるのだろうか。あのバーを気に入ってくれた、という可能性もある。いずれにしろ、誰かからお誘いがあるというのは嬉しいことだ。
サークルのメンバーには、俺がとても社交的な人間だと思われているようだ。事実、それなりに交友関係が広いとは思う。だがあちらこちらの飲み会に顔を出すということはしない。
皆が楽しめる飲み会。あれは嫌いだ。皆が皆に気を使い、一丸となって飲み会を盛り上げるのは良いことだ。
けれども俺個人的にはお酒と会話をゆっくり楽しみたい。趣味の合う人と、好きな話をしたい。どうでもいい話を、どうでもよく話したいだけなのだ。
敦志の携帯が再び震えた。楓からの返信が画面に映し出される。
『いいよ。22時にあの駅の南口で』
春雄に連絡しておかないとな。いや、今電話をかけようか。そういえば葵ちゃんがいなくなっただとか言っていたっけな。
敦志は春雄の番号を選び、受話器のマークをタップする。呼び出し音が3回繰り返された後、春雄は出た。
『もしもし』
「どうも敦志です」
『知ってる』
「楓ちゃんに飲みを誘われたが」
『ああ。言ってなかったけれど、別れたよ』
聞き間違いだろうか。別れるような関係には見えなかったが。
「……別れた?」
『先週に』
そうか。楓ちゃんがどことなく雰囲気が変わっていたのはそれが原因だったのかもしれない。それにしても。
「何かあったの?」
『いや、何も。それに俺は今、葵を探しているだけだよ』
葵ちゃんを探しているだけ。なるほど。
「ああ、そういうことか。やっぱりそうだったんだね」
『楓さんには迷惑をかけた。俺は……』
「いや、仕方ない。そういうこともある」
『ありがとう。それじゃ』
そうして電話は切れた。
なるほど。春雄は葵ちゃんのことが好きで、葵ちゃんを追いかけることにした、ということだろう。全く。
敦志はリモコンを手に取り、テレビの電源を入れた。医療をテーマにしたドラマが画面に映った。
そういえば電磁波の被害者は心臓麻痺が起きるかもしれないだとか、そんなニュースがあったな。もう何が何やら。俺と同じ被害者の人達はよくもまあ皆冷静でいられるものだ。
いや、冷静なはずがない。皆、表に出さないだけだ。
ここのところ明らかにキャンパスにいる学生が少ない。サークルに顔を出さなくなったメンバーも何人かいる。今まで通りの大学生活をしろだなんて無理な話だ。それぞれがこの非情な事故の恐怖に直面しているに違いない。
俺は不安だった。そして余命を宣告されて、訳がわからなくなった。けれどももはや落ち込む暇もなかった。とにかく目の前のライブをなんとか成功させようと思った。
しかしライブが終わってのんびりしていると、もやもやとした感情が少しずつ膨れ上がった。俺は人並みの人生を送ることはできないのだと。
7年か。それまでになにかしらの治療法が見つかれば、という希望はどうしてもある。治療法の確立とは言わなくとも。
わかっている。現状不可能な医療技術が数年でどうにかなる可能性は低い。それに春雄は3年しか時間がない。それぞれが宣告された余命が本当に正しいのであればおそらくは。
葵ちゃんはわからない。楓ちゃんは俺と同じであと7年だと言っていたかな。いずれにしろ、俺ができることは残された7年を腐らせないこと。希望を捨てずに進むこと。
そもそも、人間はいつ死ぬかなどわからないのだ。明日、交通事故に遭うかもしれない。大災害に襲われるかもしれない。大きな病気が見つかるかもしれない。全ては不確定なのだ。7年後に死ぬかもしれない、と言われただけだ。
そう思いたい、そう思いたいのだけれど。俺も春雄も楓ちゃんも、そしておそらく優里さんや葵ちゃんも、数年後には皆死ぬ。この世に存在しなくなる。悩みも、希望も、感情も、全ては無くなって、あるいは無かったことにされてしまう。
敦志は自分の髪をくしゃ、と握った。
あと、何曲ドラムを叩けるだろうか。俺は優里さんに届くだろうか。余命宣告された俺達は就職などできるのだろうか。お父さんに孝行してあげられるだろうか。
春雄はすごい。俺とは違う。余命3年という事実などまるで意に介していない。
そもそも、春雄は何というか、普通じゃない。何が、と言われるとそれはわからないけれど、とにかく他の奴らとは何かが違うのだ。
そういう点においては葵ちゃんもそうだ。春雄と葵ちゃんはなんというか浮世離れしている。まるでどこか別の世界から来た人達みたいだ。群馬出身の人は皆そうなのだろうか。
秋山はこちら側の世界の人だから、葵ちゃんに相手にされなかったのは必然だったのかもしれない。
それなら優里さんはどうだろう。これもまたうまく説明できないが、優里さんは俺と同じ世界の人のような気がする。確かに不可解な人だけれど、それでも何故か、葵ちゃんや春雄のような別次元の何かは感じない。
俺が優里さんに届かないのは、俺に足りない部分があるからだ。俺はまだ階段を上っている途中で、そして優里さんは階段の上にいる、そんな感覚。
きっと優里さんは待ってくれている。あの時の言葉はきっとそういうことだ。俺達には時間がない。俺が早く階段を上らなければ。
ーー気持ちは凄く嬉しいよ。けれど私は敦志君の期待に応えることはできないの。
ーーでもね、もし貴方が変わってくれるのなら、私はその気持ちを受け入れるよ。
ーーだから私が大学を卒業するまでの2年半、たくさん恋愛しなさい。私じゃない女の子の誰かを心底愛してあげて。それでもまだ、私を想ってくれていたのなら、その時は貴方と一緒に生きていくよ。
ーーだって私は、あなたのお母さんにはなれないもの。




