第36章(優里)3枚目、
敦志君と出会って数ヶ月が経った頃。私はその時、大学にあるスタジオで1人ベースを弾いていた。
私は他のサークルメンバーとは違った味のある演奏ができている、そういう自覚はあった。けれども技術的にも優れているとは言えなかった。
バンド経験のある後輩、しっかりと練習を積み重ねた先輩、私は彼ら彼女らのような演奏技術を持っていなかった。
それならば私も練習を重ねるしかない。趣味として楽しむ為のバンドサークルと言えど、技術があるかないかでサークル内での立ち位置も変わる。バンドメンバーに楽しく演奏してもらう為にも、技術は必要不可欠なのだから。
「このゴーストノート、もっとグルーヴを……」
そう私が独り言を呟いた時、スタジオに敦志君が入ってきた。
「優里さん、個人練習ですか?」
「ええ。敦志君もどう?」
「是非」
私のベースサウンドと敦志君のパーカッションがうねりながら絡み合う。敦志君のバスドラムが私のベースのアタック音と溶け合って、一体化していくのを感じた。
ああ、これだ。これなんだ。セッションは会話だ。敦志君が考えていることを音で感じる。私が感じていることを敦志君もきっと感じている。
「ふう」
音を止め、私は息をついた。
敦志君はくるくるとスティックを回しながら言った。
「優里さんは、どういう人生を送ってきたのですか?」
「それは褒め言葉かな?」
「もちろんです。優里さんのベースは……」
「お世辞はいいのよ。でも、ありがとう」
「いえ、そんなつもりじゃ……」
敦志君は困った様子だった。
可愛い。もし私が敦志君ともっと親密な関係になれたなら、私は。
私は、なんだ。
私はどうしたのだろう。敦志君と恋人になりたいとでも思っているのだろうか。本当にどうしようもない。私は一体どこまでも欲が深くて卑しい。でも。
「優里さん」
「ん?」
「今度の土曜日、もしよかったら……」
「いいよ」
「まだ何も言ってませんよ」
「きっとデートのお誘いでしょう?」
「……はい」
「男を見せてね」
「頑張ります」
そう言う敦志君はとても嬉しそうだった。本人はそれを隠しているつもりのようだったけれど。
「私は帰るね。敦志君はもう少しやっていくの?」
「そうですね。まだ覚えてない曲もあるので」
「それじゃ、また土曜日に。詳しくはまた連絡してくれる?」
「わかりました。あの……」
「ん?」
「ありがとうございます、優里さん」
「どういたしまして」
私は本当はわかっていた。敦志君が私を好いてくれているのではない。私が敦志君を取り込んだのだ。
敦志君と初めて会った時、私は敦志君が私と似ていることに気がついた。
敦志君は甘えさせてくれる人を求めていて、それはおそらく年上の女性だろうと。そして敦志君のその欲はとても大きかった。
私は欲しかった。私を理解してくれる、私の為の恋人が。家族でもあり、異性でもあり、友達でもあり、私の心を満たしてくれる。そんな恋人がとてつもなく欲しかった。
だから私は敦志君を絡め取った。そして敦志君は素直に絡め取られた。だからこそ敦志君は、私にデートの誘いをした。
しかし、そう。私は理解しているのだ。これでは結局、敦志君は私の本当に求めている恋人にはならないと。こんなことをして隙のある男をモノにしても意味がないと。
それでも私は、私の欲を抑えられなかった。
私が欲しいものは、私にとっては手に入らないもの。それは当たり前に存在していて、私の意思に関係なく、絶対的な私の理解者で、私の全てを包んでくれるような。
そんなものはもはや空想の中にしか存在しない。私の両親は既にこの世に存在していて、そして私の求めているものにはなり得ない。ならば次にそれに近いものは、もう恋人しかない。
敦志君は格好良かった。可愛かった。彼と話していると、体の奥がジンと痛んだ。心拍数が上がって、けれど暖かい気持ちにもなった。
彼が求めているものに、私はなりたいとも思ってしまった。彼が求めている女性に、私が。
しかしそんなことをすれば、私は結局彼の為のものでしかなくなってしまう。私が求めているものは、敦志君では満たされなくなってしまう。
いずれにしろ、私は敦志君に近づきたかった。私の想いはぐちゃぐちゃに絡み合って、私自身ですらどうしていいのかわからなくなってしまっていたのだが。
敦志君が求めるもの。私が求めるもの。私だけがその違いに気付いていて、そして着実に、私と敦志君は恋人に近づいていた。
私はどうすればいいのか、決められないまま。




