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手紙  作者: サワヤ
35/58

第35章(春雄)置き手紙

 春雄は大教室へと入り、扇型に開けた大教室を見渡した。国際金融学の講義がまもなく始まるというところであった。



 ぽつりぽつりと学生が座ってはいるが、どう考えてもキャパシティがもったいない。この大きさなら300人は入るだろうに、今いる学生はせいぜい30人だ。


 これは電磁波事故の影響で学生が来ていないのではなくて、元々この講義に出席する学生が少ない。


 ではなぜこの大教室なのかと言えば、受講登録している学生自体は500人以上はいるからだ


 レポートさえ提出していれば単位はもらえる。わざわざ講義に出る必要はない。これが国際金融学に対する学生達の共通認識だった。



 それでも俺は講義になるべく出席して話を聞くようにしている。それほど時間も残っていないのだから好きに遊んだりしていればよいのだが、どうにもそういう気分になれなかった。



 春雄は大教室真ん中辺りまで歩き、端の空いている席に座った。それからふう、と息をつく。



 電磁波事故が起きた後も普段通りに大学に通っているのは俺だけではない。敦志や楓さん、そして葵もだ。敦志や楓さんはあと7年あるから、俺や葵とは違うのかもしれないが。



 春雄が講義のノートをバッグから出そうとした、その時。



「お隣いいかな?」


 春雄は顔を上げる。声の主は楓だった。


「……楓さん」


「どうも、友人の春雄君」



 驚いた。楓さんから声をかけてくれるとは思わなかった。別れたあの夜から楓さんのことは見ていなかったし、勿論会ってもいなかったのに。



「あれ。楓さん法学部なのにどうしてこの講義に?」


「別に経済学部の講義を取ってもいいの。そんなことも知らないのね。それより、いつまで私を立たせておくつもり?」


「ご、ごめん。どうぞ」


 春雄がスペースを空けると、楓はそこへと座った。




「春雄君。葵に何かした?」


「え、いや、特に……。振られただけで」


「……振られた?」


「えっと、そう。あの日に」


「ふぅん」


 そう言うと楓は何かを考え始めた。



 葵に何かあったのだろうか。いや、何も知らない俺が考えても仕方がない。きいてみないと。



「どうして?」と春雄。


「いや、それが。葵をここ数日見なくなったの。連絡もとれないし……」


「大学に来てない、ってこと?」


「そう。多分ね」



 そう言われてみれば、確かにあの日からの5日間、葵を見ていない。まあ元々、葵を見かけるのはせいぜい週に一度くらいだったけれど。


 これは一体……。葵のことだから大丈夫だとは思うけれど、しかし。



「ごめん楓さん。ちょっと空けてくれる?」


「トイレ?」


「まあそんなものかな。講義は出ないことにした」



 楓はそれを聞いて、はあ、とため息をつきながら、春雄が席を立てるようにと立ち上がる。そして呆れたように言った。



「あのね。いや、まあいいよ。行ってきなさい」


「ありがとう」


 トートバッグを肩にかけ、春雄は大教室を出た。







 15分後。


 春雄は葵の部屋の目の前に立っていた。



 5日前に来た時とは何かが違う。何だ。まあ、あの時は夜だったから、その違和感だろうか。とりあえずはインターホンを押してみるか。



 インターホンの音が小さく響いた。しかし何も起きなかった。



 出てこないな。いないのだろうか。まさかとは思うが、中で倒れていたりなんて……。



 春雄はドアノブに手をかけた。そして回そうとしたが。


 ガチ、と音を立ててドアノブは止まった。



 鍵はかかっている。おそらくは出かけているのだろうが、しかし大丈夫だろうか。


 心配だが、過干渉も良くはない。一旦戻って楓さんに相談してみよう。



 春雄が引き返そうとした、その時。



 あれ。あの部屋番号、102。確かに葵の部屋のはずだ。何かがおかしい。何か違和感がある。



 そうだ。表札。表札が無い。あの部屋番号の下に、藍原と書かれた小さな手書きの表札があったはずだ。


 それはつまり、もうこの部屋を引き払ったということだろうか。待てよ、あれは。



 春雄は部屋番号が書かれたプレートと壁の隙間に、紙のようなものが挟まっているのを見つけた。背伸びをして手を伸ばすと何とかその紙に手が届き、引っ張り出した。



 これは封筒? 手紙だろうか。どうしてあんなところに。真っ白で宛名も書いていない。いや。



 春雄が封筒を裏返すと、右下に小さく『葵』と書かれていた。



 つまりこれは、誰かが葵に向けた手紙ではなく、葵が誰かに向けて書いた置き手紙ということになる。


 ふう、と春雄は息をつく。


 それならば。葵はどこかへ行っただけで、中で倒れていることはない。とりあえずそれがわかってよかった。



 しかしこの手紙は誰に宛てたものなのか。まさか俺に宛てたものではないだろうが、家族、友人、あるいは恋人?


 いや、想像がつかない。葵の友人といえばせいぜい楓さんと俺くらい。葵の家族は群馬に住んでいるはず。そして葵に彼氏はいない。葵本人がそう言っていたわけではないけれど、おそらくいないだろう。


 となれば、俺がこの封筒を開けてもいいのではなかろうか。宛名が書いてないことから考えても、ここに来た誰かに宛てて書いたもの、という線がしっくりくる。



 よし。



 春雄はその封を開けた。中には便箋が1枚入っていた。




『春雄くんへ


 こんにちは。もしかすると、こんばんは。

 私はもう、ここには戻りません。


 確かに月は綺麗でした。

 でも、私はそれを認めることができません。

 私には資格が無いのです。


 私がもっともっと嬉しかったのは、

 一緒に飛ぼうと言ってくれたこと。


 橙色の教室で言ってくれた時も、

 月の下で言ってくれた時も。


 私はそれほどの幸せを貰いました。

 もう充分です。


 どうかお元気で。

 さようなら。』




 そしてその手紙の最後には、葵、と名前が綴られていた。



 俺に宛てた手紙。そしてこの内容。


 意味が通らない文章だけれど、おそらく葵は気持ちをそのままここに写し取ったのだろう。



 結局この手紙を読んでもわからないことだらけだが、それでも1つ理解できたことがある。


 俺は葵を探しに行かなければならない。そして俺が葵を探すことを、葵は望んでいるのか、望んでいないのか。俺はそれを確かめに行かなくてはならない。




 もう葵に『あの目』をさせたくない。俺に生きる理由があるとすれば、ただそれだけなのだから。


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