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手紙  作者: サワヤ
29/58

第29章(春雄)予知夢と決断

 先に駆けていった楓から遅れること5分。春雄は楓の部屋の前に立っていた。


 春雄の指がインターホンを鳴らす。



 スピーカーからガチャリと音がした。


『どちら様ですか?』


「佐倉春雄と申します」


『契約ですか? ここにテレビはありませんよ。中に入って確認してくださって結構ですから』



 春雄は玄関のドアを開け、楓の部屋へと上がった。


 堂々と置かれた24型の液晶テレビが春雄の目に映る。そもそも引越しの際にこのテレビを設置したのは春雄であった。



「テレビあるじゃないですか」


「そうかもしれないね」


 楓は両腕を天井に向け、ぐっと体を伸ばしながらそう言った。


「疲れた?」


「ちょっとね。でも今日は楽しかったよ。ありがとう」



 春雄は部屋を見渡す。とある蜘蛛を見つけた。


 その蜘蛛は楓の本棚の隅で、小さく縮こまっている。春雄の表情は困惑を示すものへと変わっていった。



 いや、まさか。たまたまだろう。おそらくは同じ種類で同じ大きさの蜘蛛が偶然ここにもいたのだ。


 そう思い込もうとすればするほど、その蜘蛛に春雄の意識は惹きつけられていく。



 どうしてだろう。そんなはずはない。そんなはずはないのだけれど、なぜかあの蜘蛛が俺の部屋にいた同居蜘蛛だという確信がある。


 確かにここしばらくの間、彼(彼女かもしれないが)の姿を見かけなかった。どこかに行ってしまったのだろうかと思ってはいた。けれども楓さんの部屋にいるなど、そんな偶然が。


 俺のアパートと楓さんのアパートは確かに距離はそれほど離れていない。だがそれは人間の足で歩くとしたらの話だ。蜘蛛はそれほどの距離を移動するのだろうか。


 あるいは楓さんが?



「楓さん。あの蜘蛛……」


 楓は春雄の目線の先を見ると叫んだ。


「えっ、蜘蛛! 外へやって!」



 なるほど。


 この反応ならば楓さんがわざわざ持ってきたというわけでもなさそうだ。そもそも楓さんが俺の部屋に初めて来た時にはもう、あの蜘蛛の姿は見当たらなくなっていたはず。



 春雄はかがみこみ、その蜘蛛を優しく手のひらにのせる。そのままゆっくりと玄関の外へと蜘蛛を放した。



 ごめんね。一緒に住んだ仲なのに乱暴なことをして。他のところで元気に生きてくれ。また会う日まで。



 春雄がかつての同居蜘蛛を外へと逃がし、楓の部屋に戻ると楓が言った。


「ありがとう……」


「蜘蛛は益虫だから悪者じゃないよ」


「でも……」


「うん。気持ちはわかる」



 楓はふうと息をついた。都会の実家暮らしであった楓は、居住空間に虫が存在することに慣れていないようだ。



 春雄はベッドのすぐ横にあった小さな木の椅子に座る。そしてベッドに座る楓を見ると、履いていた細めのチノパンツが次第に窮屈だと感じるようになった。春雄は無意識に足を組み変える。


 楓はそんな様子の春雄を見て、何かに気付く。


「春雄君。電気、消そうか?」


「お見通しだね」


「でしょう」と楓は笑う。



 楓はすっと立ち上がり、部屋の明かりを消した。薄暗い部屋の中で、楓は再びベッドに戻る。春雄はそのまま木の椅子にじっと座っていた。


 楓はベッドの上でゆっくりとスカートを、ブラウスを、下着を脱いでいく。そうして楓は一糸纏わぬその姿で、ベッドにふわりと横たわった。



 春雄は目の前のベッドにいる楓の胸の膨らみを、そのゆったりとした四肢を、美しいと思った。薄暗くて楓の表情は読み取れないが、それが却って春雄の鼓動を揺さぶった。


 春雄は楓に触れようと木の椅子から立ち上がる。




 その瞬間。



 春雄はこの光景に強烈な既視感を覚えた。



 なんだ?


 この経験は以前に。そう、既に経験しているような。いや、確かに楓さんとこういうことをするのは勿論初めてではない。しかしそうではない。全く同じ時間、全く同じ空間、全く同じ光景を、俺は既に。



 そうだ。電磁波を受けたあの日。俺は講義中にも関わらず夢を見た。


 あの時俺は現実よりも現実らしい「例の変な夢」を初めて見たのだ。その夢の最初の場面。今俺が見ている光景はまさにそれだ。


 あの時、楓さんの顔は見えなかった。だからベッドに横たわる人物が誰なのかわからなかった。しかしそれは楓さんであった。


 そしてあの夢は、そうだ。俗に言う正夢だ。



 こんなに馬鹿げた、信じがたい話があるだろうか。あろうことに俺は予知夢を見ていたことになる。


 そしてあの夢では楓さんに触れること叶わず、世界に亀裂が入ったのだ。その亀裂はまるで蜘蛛の巣のように広がって、全て砕けた。そのようにして確か、夢は葵との過去へと場面が変わっていったはず。



 まるで蜘蛛の巣のように亀裂が広がって。





 突然、春雄の頭の中で声が響いた。


 それは間違いなく鼓膜で受け取った空気の振動ではない何か。けれども確かな説得力を持って、春雄にメッセージを伝えた。



『春雄くん、テレビをつけて』




 春雄はその声に従って、テレビのリモコンを握り、テレビの電源を入れた。



 楓が起き上がる。服を脱いだ自分のことを突然に無視した上に、テレビを見るという春雄の行動に疑問を持ったようだ。



「どうしたの?」


「ごめんね。なんだかよくわからないけれど、テレビを見ないといけないらしい」



 テレビの画面にニュース番組が映し出された。


 楓は不機嫌そうに下着を再び身に付けながら、春雄と共にその画面を見やっていた。


 テレビから流れる音声がその部屋に響く。


『続いては、電磁波事故のニュースです。昨夜、被害者の1人である20歳の男性が突然の心臓麻痺によって亡くなりました。その男性はあと1年という診断を受けていました。専門機関はこの事態について調査中であるとしながらも、電磁波の影響によるものである可能性は否定しきれないとするコメントを出しました』


ニュースキャスターはそこまで言うと、目線をふっとカメラから外した。すると裏方のスタッフから、何らかの資料が彼に渡される。彼はそれを読み上げた。


『えー、今入った情報によりますと、専門機関による新たな見解が発表されたようです。電磁波の影響を大きく受け、短い余命を診断された被害者の方は、先程お伝えした症状が現れる可能性があるとのことです。被害者の方は、今一度専門機関での受診をお願いします。繰り返します。昨夜……』



 心臓麻痺だと。余命宣告が短い者ほどそれを待たずして突然死する可能性があるというのか。まさかさっきの石田からの電話は。



「なにこれ……。嫌だよ、春雄君。やめて……」


 楓も春雄と同じことを考えていたようで、彼女の声は震えていた。



 楓さんは7年だからまだ可能性は低いのだろう。まあ報道内容が真実だとすれば、の話ではあるが。しかし石田から電話がかかってきたことを考えても、おそらく俺には報道と同じように心臓麻痺になる可能性がある。



 まあいいだろう。


 3年後に死ぬのか、明日死ぬのか、半年後に死ぬのか。それらに大きな違いはない。心臓麻痺がどれほどの苦しみなのかは少し気がかりだが。それと楓さんに申し訳ない気持ちもあるけれど。




 待てよ。


 俺だけじゃない。俺よりもよっぽど短い余命を診断された人がいる。



 葵。




 ああ。そうか。そうなのか。


 やはり俺はどうしようもなく藍原葵に囚われているのだ。どう自分を騙そうと、どんなに幸せな思いをしようと、藍原葵にしか俺の心が向くことはない。葵は俺の世界において、絶対的な存在なのだ。



 葵に会いに行かないと。



 会いに行ってどうなる。そもそも会えるかわからない。でも。



 俺は葵と一緒に飛ぶのだから。






 やがて春雄が口を開いた。


「楓さん。葵はあと5ヶ月しか生きられないんだ」


「……嘘。私、知らない。だって葵は……」



 俺。覚悟を決めろ。もう楓さんに甘えるな。楓さんの優しさにつけこむな。楓さんに迷惑をかけちゃいけない。俺はどうしようもない人間だけれど、せめて。



「俺は葵のところに行かなくちゃ」


「私を捨てるの?」


「そうだ」


「葵のところに行くの?」


「そうだ」


「私はどうなるの?」


「素敵な時間を本当にありがとう。夢みたいだった」


「どれだけあなたは勝手なの?」


「ごめん」


「どこまで私を虚仮にすれば気がすむの?」


「ごめん」



 楓はもはや、春雄に対する怒りと春雄を失う恐怖を通り越して呆然としているようだった。少なくとも春雄にはそう見えた。


 数秒の間、薄暗い部屋に沈黙が流れる。


 テレビと窓の外の街灯しか明かりがなく、楓の表情は見えない。けれども楓の声が震えているのは涙を流しているからだと、春雄は否が応にも理解してしまった。



「葵は、葵は!」


 楓が震える声を張り上げた。



「うん」


「葵は、援助交際してたんだよ! そんな女なの!」


「そうなんだ。知らなかったよ」


「私は、誰よりも、あなたを大切に想ってる。だから……」


「ごめんね。俺は葵のところへ行く」



 楓は俯いて静かに涙を流していた。


 俺には楓さんが今何を考えているのか、何を感じているのかを知ることはできない。しかし少なくとも楓さんを殴りつけた俺の心は酷く痛んでいる。


けれども俺はそれを乗り越えるしかない。




 すると楓がふふっ、と笑って。


「馬鹿だなあ。葵は春雄君に会いたくなんかないでしょうに」


「俺は面倒なストーカーだろうね」


「気持ち悪い」


「うん」


 楓はまたしばらく黙っていたが、やがて下着姿のまま立ち上がり、部屋の明かりをつけた。


 突然の眩しい光に春雄は顔をしかめる。目が光に慣れずに楓の姿がぼやけて見えていた。



「本当にあなた気持ち悪いから。さっさと私の部屋から出て行って。もう私に関わらないでくれませんか」


 楓の声が冷たく響いた。



「ああ。今までありがとう。すまなかった」



 春雄は立ち上がって楓に背を向けた。そのまま歩き、靴を履いて玄関のドアノブを回し、部屋の外へと踏み出した。



「さようなら。春雄君」



 春雄は楓の言葉に応えることも振り返ることもせず、玄関のドアを閉めたのだった。


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