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手紙  作者: サワヤ
21/58

第21章(楓)恋人

 蟋蟀が鳴いている。楓の1人暮らし初日。


 楓は試験前最後の講義を終え、暗い夜道を歩いていた。



 どうしてだろう。昨日も今日も葵に会った。でも何故か春雄君と付き合っていることを言い出せない。私は何の為に春雄君と付き合ったの。



 いや。本当はもう分かっている。私は。



 実際のところ、私は既に結構満足している。あの葵が間違いなく欲しがるであろう春雄君は私のもの。この事実だけで充分なのかもしれない。


 それなら今のまま、こうしてのんびりと過ごそう。それがいい。私は葵に勝ちたかったのであって、葵を傷つけたいわけではなかったのだ。



 きっと部屋では今も春雄君が引越しの片付けをしてくれている。おかげでなんとか今日中には全て終わるだろう。



 さて、明日からはバイトも今まで以上に頑張らなくちゃ。大学にもバイト先のイタリアンにも随分と近くなった。なるべく自分の生活費は自分で稼ごう。仕送りばかりに頼ってちゃダメだ。




 楓は新居のマンションに着くと、2階へと上がって203号室のチャイムを鳴らした。ガタン、と部屋の中で物音がする。5秒程経つとドアが内側から開いた。



「おかえり。片付けはあらかた終わったよ」


「ありがとう、春雄君」


 そう言って楓は部屋に入った。


 数時間前まで段ボールで埋め尽くされていたはずの部屋は、シンプルな居住空間へと変わっていた。


 ベッド、テーブル、テレビ、棚、小さなクローゼット。女子らしさは感じられない部屋だが、モノトーンで落ち着きがあった。



「わあ、本当にありがとう。ごめんね、私の引越しなのにこんなに手伝わせて」


「どうせ暇だったからね」


「そういうとこ。やっぱり私は春雄君と付き合ってよかったって思わされちゃう」


「付き合わなければよかったって思いたいのかな?」


「まさか」


 そう言って楓は笑った。



 春雄君。やっぱり悪くない。初めての彼女に尽くしちゃうってだけかもしれないけれど、でもなんだかかわいいと思う。それに見た目も少しマシになってきたような。彼女を気遣うことはできるのね。



「パスタでも作ろうか。バイト先で食べ飽きたかもしれないけれど」


「春雄君、料理もできるの?」


「1人暮らしの先輩の腕を見せましょう」


「楽しみ」



 なんだか嬉しそう。この人は本当に優しい人なのかも。


 そう遠くない日、私はいずれ春雄君を振ることになるだろう。だけどその後もどうか、春雄君には幸せになってほしいな。


 私にとって恥ずかしくない彼氏にする為にも、春雄君の未来の為にも、春雄君をもう少しマシな男の子にしてあげよう。よし。新しい私の目標だ。


 まあ少し、春雄君に対して罪悪感はある。私は不純な動機で春雄君に近づいたし、真面目に付き合うつもりもない。


 だからこそ私の罪悪感を払拭する為にも、春雄君には頑張ってもらおう。春雄君をちゃんとさせる、それが私からのプレゼント。


 私、いい彼女。春雄君は幸せ者だなあ。




 そういえば。



「春雄君、あの……」


「何?」


 食器を準備しながら春雄は答えた。



「私は7年。春雄君は、あと何年、なの?」


「3年だよ」


「そっか」



 短い。私が聞いた限りでは、一番短い。なんて言うべきだろうか。どうも当の本人は全く気にしていなさそうだけれど。



「とは言っても、まだ3年ある。それにまだ死んだ人はいない。今から気にしてても仕方ないからね」


「そう、だね。そうだよね。その通りだと思う」



 春雄君がもし本当にそう思っているのなら、彼には想像力が欠けている。もし強がりのハッタリなら、彼はまだ私に心を開いていない、ということになる。もしくは、別に死んでもいい、と思っている可能性もあるかな。いや、そんなわけないか。



 いずれにしろ、別に私に心を開かせる必要はない。というより無駄に依存されても困る。


 ただ、春雄君がどういう人なのか、如何にしてあの葵の心を掴んだのか、それくらいは知っておきたい。


 さて、どんなスタンスで付き合っていくべきかな。




「おまたせ。こちら、ジェノベーゼになります」


 楓の前に春雄の一品が出された。バジルの葉が乗っていて、ベーコンとジャガイモがそれを引き立てる。バジルソースの匂いがふわりと立ち上った。



「すごい! お店のパスタと遜色ないよ!」


「お褒めに預かり光栄です」


「私、パスタにはうるさいの。でも、これは食べなくてもわかる。美味しい!」


「いやいや、食べてくれよ」


 春雄は笑った。



 こんなの、今の短時間で作れるはずがない。つまり私が帰ってくる前から下ごしらえしてくれていたんだ。こんなことまでできたのか、この人は。



 2人の笑い声と話し声がかすかに部屋の外に漏れていた。蟋蟀がふとその部屋の灯りを見やる。そうして夜は更けていくのだった。

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