第19章(春雄)海の中へ
0時を少し過ぎた頃。春雄は壁に寄りかかって座っていた。
ワインが俺の脳を溶かしてしまった。目の前がぼんやりと揺れる。カルメネールのせいだ。カルメネールなんて言葉はついこないだ知ったばかりだが。
楓はベッドの上に座り、低い天井を見上げている。そして口を開いた。
「ねえ、春雄君。近くに来てくれる?」
楓は右手で、春雄に隣に座るよう促した。
楓さんのすぐ隣。楓さんは何を考えているんだろう。けれども嫌だ、とは言えない。頭が動かない。とりあえずは楓さんの言う通りにしなければ。
春雄はゆっくりと身を動かし、立ち上がる。そうしてどさりとベッドの上、楓の隣に座った。
「私、春雄君のこと、いいなって思うよ」
楓は手を春雄の太腿に乗せた。
「何をそんな。ハニートラップ?」
「かかってみる?」
「ああ、それもいいかもね」
そう言いながら春雄の心臓は破裂しそうであった。楓に気づかれないようにしてはいるが、春雄の手はふるふると震えていた。
何だろうこれは。また夢でも見ているのか。それともカルメネールの見せる幻だろうか。仮にもしこれが現実ならば、棚にしまっておいたコンドームが日の目を見ることになる。
楓さんは可愛い。俺などに好意を持つなんてあり得るだろうか。しかしどうもこれは。間違いない。これは現実だ。
「いいよ。好きにしても」と楓は呟く。
どうすれば。こんなことは今までに経験がない。俺の鼓動が楓さんにも聞こえそうだ。いや、もう聞こえているかもしれない。
俺が童貞だと楓さんは気付いているのだろうか。気付いていないとしたら、堂々としていなければ。
大学2年生で童貞という事実。それは普通だと俺は思うのだけれど、しかし知られたくはない。
楓は春雄の手を掴み、楓の胸へと引き寄せた。
「電気を消して」
春雄は固まっていた。何も答えることができず、楓の言うように電気を消すこともできずに。
楓さんは本気だ。楓さんもアルコールで溶けてしまったのだろうか。それとも最初からそのつもりでこの部屋に来たのだろうか。
掴んでいた春雄の手を離し、楓は続けた。
「嫌なら嫌って言っていいよ。そうじゃないなら、私にこれ以上恥をかかせないでほしいな」
楓の言葉を聞き、春雄は立ち上がって電気を消した。暗闇の中、春雄は棚の中にしまっておいたものを取り出す。
俺は葵が好きだ。どうしようもなく。俺の中にある、ただ一つの恋愛感情だ。
いや、恋愛感情というには少し語弊があるかもしれない。俺は『あの目』に取り憑かれているのだから。
しかしそれは、俺の中だけの思いに過ぎない。俺は葵と恋人でありはしないし、葵が俺に対して何らかの思いを持っているとも思えない。
だから俺は、今からしようとしていることに何の罪悪感も持つ必要はない。ないはずだ。
春雄はベッドへと戻る。楓がベッドに寝ているのがうっすらと見えた。
楓のノースリーブのトップスが、その胸の膨らみを春雄に伝える。赤いスカートが少し捲れ、楓の足が更に露出していた。
春雄のベッドに横たわる楓の姿は、春雄の目に情欲の対象として映る。春雄は自身のある部分が膨張していくのをはっきりと感じていた。
楓は春雄の体をぐっと引き寄せて言った。
「私をあげる。だから、私と付き合って」
春雄の理性は飛び去り、快楽を求める本能だけがそこに残っていた。
楓の胸に顔を埋め、キスをして、服を脱ぎ捨て、そうして春雄は楓という海の中に自ら溺れていった。
春雄は果たして童貞を捨てた。同時に、人生で初めての恋人を手に入れたのだった。




