表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手紙  作者: サワヤ
18/58

第18章(春雄)不思議な夜

 21時47分。


 春雄はアパートの部屋を出て、大学の南門へと向かっていた。


 約束の時間は22時。春雄の部屋から南門までは、ゆっくり歩いても5分とかからない距離だった。


 多少の街灯はあるものの、自然に囲まれたこの辺りの夜は暗い。夜の静けさの中で、いくつかの鈴虫の鳴き声。夜風が木々を揺らしていた。



 春雄は歩きながら、ふう、とため息をついた。



 落ち着け。どうということはない。シーツは洗ってあるし、楓さんにはベッドで寝てもらおう。俺は床と毛布があればいい。お酒を飲みながら少し話して、それで終わりだ。




 春雄はふと、道路の反対側、暗がりに広がる空き地を眺めた。



 確か電磁波事故があった日、葵はあの空き地にいた。生い茂る雑草の中で、晴れ渡る空を見上げて。


 ということはつまり、おそらく葵も電磁波の被害を受けている、ということ。



 電磁波の影響によって余命宣告された者のほとんどは、あと7年から12年ほど生きられるようだ。


 俺は残り3年だと言われたが、それほど短い余命を診断されたという話は他に聞いたことがない。


 葵が電磁波被害を受けているのなら、彼女もまた、あと10年前後しか生きられないだろう。


 まあ、3年後に死ぬ俺には関係のない話かもしれないが。




 南門に着いた春雄は辺りを見まわした。楓の姿はない。腕時計の針は21時55分を指し示している。


 春雄は崩れたブロック塀に腰掛けた。



 あの電磁波事故の報道がされて以来、大学にはよくマスメディアの取材が来るようになった。インタビュアーが毎日の様に学生に話しかけている。どんな気持ちですか、だと。奴らには人間の心があるのだろうか。


 まあ、まともな人間の心を持っていたら、あんな仕事は務まらないのかもしれない。使えるインタビューを持って帰れなければ上司に叱責され、人事評価が下がる。


 あのサイコパスなインタビュアー達は家族を養う為に必死に働いているんだ。そう思っておこう。



 もし葵がインタビューをされたら、葵はなんと答えるだろう。私にはわからない、と言って奴らを困らせて、そうして堂々と立ち去るのだろうか。


 そんな愉快な場面ならぜひ見てみたい。




「こんばんは」


 楓はノースリーブのトップスに赤いスカートの格好をしていた。スカートの裾が夜風に吹かれて微かになびいた。



「こんばんは」


 春雄の声は震えていなかった。



 何故だろう。楓さんが現れたというのに、思っていたより緊張していない。これなら大丈夫だ。



「今日はお世話になるね。急な話なのにありがとう」



 春雄は立ち上がって、言った。


「気にしないで。じゃあ行こうか。一応、ハイボールとカクテル、それにカルメネールの赤ワインがあるよ」



 楓が少し驚いた様子で春雄を見る。


「びっくりしちゃった。春雄君、私の好みに詳しいね」


「わからなかったからいろいろ用意しといただけだよ。それにかっこつけてみたけれど、ハイボールとカクテルは缶なんだ」



 楓はふふっと笑った。


「別にいいのに」


「行こうか」



 春雄と楓は歩き出した。春雄が先に歩き、楓はその後ろにつく。


 部屋に着くまでの数分間、そこに会話はなかった。それでも春雄と楓は特に居心地の悪さを感じていないようだった。




 部屋に着き、春雄が鍵を開けると楓はすぐに中へと入った。


「お邪魔しまーす」


「どうぞ。座布団でもベッドにでも適当に座ってよ」



 楓は黒いコーヒーメーカーを見つけると顔を近づけた。


「これ、コーヒーメーカー? お洒落さんだね」


「1杯淹れようか?」


「ううん。だってコーヒーを飲んだら……なんでもない」



 なんだろう。楓さんはコーヒーアレルギーでもあるのだろうか。


「それなら、お茶、それにさっき言ったお酒があるよ」と春雄。


「赤ワインを開けようよ。えっと、なんだっけ」


「カルメネール。そういう名前の葡萄らしいんだ。チーズもあるから、少し待っててくれる?」


「本当に凄いなあ。私は泊めさせてもらう立場なのに、なんだか接待してもらってるみたいだ」


 そう言って楓は床にある茶色のクッションに座った。



 女の子がこの部屋にいる。それは違和感の塊だ。けれど気さくな楓さんのおかげだろうか、普段通りとはいかないまでも落ち着いていられる。


 念の為買っておいたコンドームの出番は無さそうだけれど、可愛い女の子と親しくなれそうなこのワクワク感は悪くない。



 春雄は冷蔵庫から出したブロック状のチーズを皿にのせ、ワインとグラスを持って小さなテーブルへと運ぶ。それから2つのグラスにワインを注いだ。


「ワイングラスじゃなくて悪いね」


「ぜーんぜん。ワイングラスの何が偉いの? 楽しい夜だね」


 そう言って楓は笑顔を見せた。



「じゃあ、乾杯」


「かんぱーい」


 春雄と楓はグラスを口へ運んだ。



 視界がぼやけたような気がする。多少アルコール耐性が低いのは事実だが、飲んだその瞬間に酔っ払うはずはないのに。




「春雄君は、彼女とか、いるの?」


「いるように見える?」


「見えるよ。マメだし、かわいいもの」


「かわいい?」


「そう。褒め言葉だよ」


「うーん、ありがとう」


「私は好きだな、春雄君みたいな人」



 お世辞だ。気を良くするな。俺のぼさぼさの黒髪を、鏡越しでもわかる陰鬱な雰囲気を、なんとか触れずに褒めてくれようとしただけだ。俺の自堕落な生活と性格は外見に現れている。楓さんだってこんな男とは付き合いたくないだろう。



「楓さんはどうなの? 彼氏」


「いないよ。でも欲しいなあ」


「そっか」



 葵に彼氏はいるのかどうか、ということについて俺は考えないことにしている。


 俺は葵のことが好きだけれど、彼氏の有無を気にしたことはほとんど無い。


 というのも、葵に彼氏はいない、となぜか思えるからだ。根拠はない。しかしそれは確信に近い。あの葵が誰かと付き合っているイメージが湧かないのだ。



「そういえば今度、敦志君達がサークルのライブするんだってね。私、そういうの観に行ったことがないんだ。もしよかったら一緒に行かない?」


「もちろん。どうせ俺も観に行くつもりだったからさ、都合がいい」


「よかった。あ、そうだ、今日私の好きな映画が放送されてるんだ。もう終わっちゃうと思うけれど、テレビ点けてもいい?」


「お好きに。リモコンはそこ」


「ありがとう。リチャード・マーズが主役なの」


「好きなの?」


「ファン、ってほどではないかな。彼の鼻が好き」



 鼻が好き。楓さんは意外と変わった人なのかもしれない。




 そうして春雄は赤ワインとハイボールに助けられながら、部屋に楓がいる不思議な時間を過ごしていく。次第に夜は更けていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ