第15章(春雄)違い
春雄は茫然とアパートの部屋で天井を見上げていた。
天井には小さな蜘蛛がぴたりと張り付いている。春雄が体の重心を動かす度、腰掛けている安物のパイプベッドが軋む。
診断を受けてから、自分の部屋に帰ってくるまでの記憶が無い。おそらくはふらふらと歩きながら帰ってきたのだろう。
俺はあと3年だけ生きられると、石田という医師は言っていた。
癌などの余命宣告とは違って、その3年間は健康に生きられるようだ。他の病気になったり、事故に遭ったりすればそれはまた別の話だが。
そもそもこんな訳のわからない話を信じるべきなのか、という考え方もある。
軽い気持ちで受けた検査の結果が余命3年なのだ。そんなことは現実に起こり得るのか。
それでも俺は確かに感じている。これは現実だ。
白いテントの中にあった大層な機器類、石田の言葉、嘔吐した学生。あれらは確かに説得力を持っていた。
あと3年しか生きられないんだぞ、春雄。お前はどう思うんだ。
まあ、いいか。別にどうということはない。
例えば敦志はきっと自分自身に対して向上心があり、周りの人と心から付き合って、いつか何かを成し遂げるだろう。そういう未来ある人間、今は目的地に向かうまでの道中でしかないという人間にとっては、余命宣告というのは残酷なものだ。RPGのゲームをしていて、クリアするどころかボスに辿り着くことすらできないということなのだから。
しかし俺はどうだ。
気が向いたら本を読み、マスターベーションをし、両親からの仕送りをパチスロ機のサンドに入れ、何となく気になったことを考え、音楽を聴き、眠くなったら布団に潜る。
そういう人間である俺にとって、3年後に自我が無くなることなど特に問題には値しない。
社会的に価値が無い人間はいなくなってもいい、ということではない。俺自身、生死に執着が無いのだ。
死ぬ、ということが苦痛を伴うのであればもちろん御免だが。けれどもそうでないのなら、3年後に命が消えるという事実など、どうということはないのだ。
ただ、衝撃を受けたことに間違いはない。
余命宣告されるような事態に自分自身が突然陥った。そういう環境の急激な変化こそが衝撃的だったのだ。だからこそ俺は4号館からの帰り道を覚えていないのだろう。
インターホンが鳴った。
春雄は立ち上がり、ドアを開ける。そこには敦志が立っていた。
敦志は呆れた表情をして言った。
「やっぱりここに帰ってたか。全く、俺のことを忘れないでくれよ」
「ごめん。本当に忘れていたよ。自分のことで精一杯で」
春雄は敦志を部屋に入れた。
敦志と一緒に行列に並んでいたことなど今の今まですっかり忘れていた。これが俺と敦志の違い、いや、人間としての差なのかもしれない。
「それで春雄。診断ではなんて?」
敦志はクッションに座った。
「3年だとさ」
「俺は7年だと言われたよ。吐いてた奴は何年だったんだろうな」
春雄は小さな冷蔵庫を開けて、言った。
「ラガーにするか? それともエールか?」
「ラガーなら4本、ここにある」
そう言って敦志はコンビニのビニール袋を掲げた。
ビール缶が集めた水分が、ビニール袋をしっとりと濡らしていた。




