黒衣のドール(その一)
「よう、邪魔すっぞ」
「ん、あれ、ベオルークのおっさん、営業時間中にこっちに来るなんて珍しいのね。何かあったの? お茶でものみにきたの?」
メルがいつものように、営業時間中の茉莉花堂でのんびりとお客を待ちながらドールドレス作りをしていると、ベオルークがやってきた。ふだんは茉莉花堂の営業時間はベオルークにとっても作業の時間(それはベオルークにとっては麗しの“自分の愛娘”たちとの触れ合いの時間なのでとても神聖な時間だ)であるので、この時間にベオルークと顔を合わせることはそれなりには珍しい。
ベオルークはちょっと面倒くさいな、といった風に短い銀髪をがりがり掻きながらメルにこう話を切り出す。
「いや、なに、近いうちに昔なじみの知り合いのそのまた友人、ぐらいの間柄のやつがな、茉莉花堂に来たいって言うんだよ。それもだ、まぁ、貸し切り……っていえば大げさなんだけど、営業時間外とかでもいいから、とりあえず他のお客が入ってこないようにしておいてほしいんだとよ」
茉莉花堂は基本的に貴族やらお金持ち相手の商売が多いから、こういったリクエストもたまに起こる。どうも貴族やお金持ちの人々は、買い物先でぐらいはゆったり過ごしたいようである。あとは人形趣味を隠しておきたい、という客もいる。社交界とやらは意外と噂の走る速度は早いらしいから、万一知り合いなどにに遭遇したなら、ドール趣味がいつのまにか社交界全体に伝わっていた……ということも起こり得るらしい。
「別に貸し切り自体はかまわないよ。今までにもあったし。一応店主ってことになってるシャイト先生の意見も聞かないといけないけど、まあ……多分大丈夫。近いうちに来るんだよね?」
メルは縫い物の手をとめて、一応予約などのメモが書かれている紙を探す。メモを見るまでもなく、ここ数日ならば予約はないとわかっているが。
「そうか、ありがとな。その相手は結構羽振りがいいらしいから、メルがいつもの調子であれこれ品物を勧めればすぐに陥落するだろう。今度も、せいぜいむしり取ってやれ。それこそ財布の中の最後の銀貨一枚まで、な」
「陥落って何! むしり取ってなんかないよ! 一度もないってば!」
「いやぁ、噂ってのは恐ろしいものだなー!」
一人でかっかっかと大笑いをしながらベオルークは部屋の奥へと続くドアを開けてさっさと作業場へ戻ってしまった。
「もう……」
それから数日後の夕方。
予約の時間ぴったりに、そのお客様たちは茉莉花堂へやってきた。
中年のやや細身の男性と、その妻であろうちょっとふくよかな女性、それに十二歳ぐらいだろう小柄で痩せた女の子の組み合わせである。
男性はネクタイをぴしっと結んだちゃんとした身なりをして、いい色合いになった銘木の杖をついている。
女性は腰の部分が膨らんだ絹のドレスを着て、おおぶりの真珠のアクセサリーをつけて、レースの扇子を持っていた。
そして女の子は、上等な絹でできているがすべてが真っ黒な装いだった。ややぱさぱさとした明るい茶髪に結ばれたリボンも黒、ぴかぴかの靴さえも黒。おそらくは――喪服、なのだろう。
少女が腕に大事そうに抱いた、四十センチぐらいの大きさのドールですら、質素な黒い服をまとっていた。
男性はベルグラード男爵で女性はその夫人。そして、少女は男爵夫妻が養女に迎えた娘、だという。
「今日は、わたくしたちの娘となったメアリーベルの大切なお友達……えぇっと、その子のお名前はなんだったかしら、メアリーベル」
「……レナーテイア」
「そうそう、そのレナーテイアちゃんのドレスや、アクセサリー、身の回りのもの、あとはメアリーベルが気に入ればですけどレナーテイアちゃんのお友達……つまり新しいドールも探したい、と思いましてね」
「そうでしたか、ではまずレナーテイア嬢のサイズや髪の色に合いそうなドレスを……このあたりでしょうか」
レナーテイアは、髪は雪のように白くまっすぐで、肌も白く、瞳はつめたい湖の底を思わせる美しい深い青色をしていた。優しい色はもちろん合うだろうし、鮮烈な印象を与える色合いで冒険するのもいいだろう。
メルはいくつかドレスと靴、帽子などを手早く選び出し、組み合わせる。
そうしてカウンターに広げてみせたのは三種類のコーディネートだ。
ひとつは、白に近いごくごく薄い青の色を使った、少女がお茶会に行くために着るような清楚で可愛らしいデザインのドレスだ。袖はゆるやかに膨らみ、手首できゅっと締められていて、スカートは三段になっている、その裾に飾られているレースは白、ポイントに使われているリボンもまた白い。大きな襟の片方には濃い目の青色で花の刺繍があるのが目を引く。組み合わせた靴はボタンで留めるタイプの茶色の革ブーツ。帽子は大きな白いリボン型のヘッドドレスを選んだ。それに小物として、このサイズに合う籐のバスケットをつける。このバスケットの中には小さなティーカップやティーポット、それにマカロンやクッキーなどのミニチュアのお菓子(悲しいことにこれらは人間たちには食べられないものであるが!)などがぎゅっと詰められているのだ。
ふたつめは、まるで物語に出てくる妖精のお姫様のようなドレス。かなり濃いめの緑の生地を一番下にもってきて、とても薄い白いレース生地で幾重にも覆うことで色味を優しくしているのだ。肩からは妖精の羽をイメージしたレース布のマントが背中に下がるようになっている。ノースリーブのドレスなのだが、ふんわりと広がったつけ袖も付属しているのだ。このドレスには靴はつけないほうががいい。代わりに、片足に銀とガーネットでできた小さなアンクレットを合わせた。頭には、ふちに刺繍のある白いレースのヴェールと、繊細な銀の鎖とガーネットを繋いだサークレット。これで、手に赤い薔薇の花をイメージした王錫をもたせれば、完璧に妖精の王族といったいでたちだ。
みっつめは、大陸東方をイメージしたドレスだった。東方渡りの目がさめるような真紅のつやつやした絹地に金色の糸で精緻な刺繍が施された生地できた、ドールの身体の線にぴったりするであろう上衣に、スリットからのぞくふんわりとした四段になった生成り色のスカート。ところどころに、黒い花の飾りがついているのがまた鮮烈な印象を与える。これに、白いレース絹の靴下を合わせて、靴はちょっと先の尖った大人っぽさを与える赤いかかとの高い靴。髪飾りとして、黒いレース付きの赤い生地で作られたリボンをふたつ。小物には大陸東方をイメージした文様が入った、実際に開いたり閉じたりもできる黒い扇子をあわせた。
「このようなコーディネートなど、いかがでしょうか? こちらの薄い青のドレスは『未熟な果実』という銘が、こちらの緑色のは『深き森の貴婦人』という銘、そしてこちらの赤いドレスが『東方朱牡丹』という銘がそれぞれ付けられています」
「どれも小さいのによくできているのだね……」
「ま……あ……あぁ、あぁ、可愛らしいわね、本当に可愛らしいわ。ねぇねぇ、メアリーベルはどれが良いと思う?」
このタイプの違う三つのコーディネートを、男爵夫妻はどれもとても気に入ってくれたようだ。感嘆の声をあげて、娘に同意を求めている。
しかし
「……どれも、いやだわ」
レナーテイアを抱くメアリーベルが返したのは実にそっけない返答だった。そもそもメルの作ったコーディネートを見ようともしていない。
「失礼します。メアリーベル様」
メルはそんなメアリーベルに視線を合わせるため、少しだけかがんでみる。長めの前髪に隠れそうなその瞳は泣きはらしたように、腫れている。
「このドールドレスは嫌ですか?」
「……どのドレスもいや、このお店のドレスみんな、きらいだわ。レナーテイアはこのドレスをずっと着るのよ、ずっと、ずっと」
「メアリーベル、あまりお店のひとを困らせるものじゃないよ」
「そうよ、メアリーベルあまりわがままを言うものではないわ。それにレナーテイアはもう半年もそのドレスを着ているじゃない」
養父母に咎められても、少女メアリーベルはなおも頑なに、なにかに怯えているかのようにレナーテイアを抱きしめ、拒否する言葉しか言わない。
「いや、いや」
首を振っていやだいやだいやだいやだと繰り返し続けるうちに、とうとうメアリーベルは泣き出してしまった。