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花咲く都のドールブティック  作者: 冬村蜜柑
秋色なる舞姫たちの章
62/88

舞手よ、祈りを捧げよ




「居なかった、とはこれまた悲しいことを言うものだ」

 落ち着いた男性の声と、二人分の足音。

 これは。


「……いいかね、君という人物は確かに今ここに居るのだよ」

「メル……。それに君はリゼッタの従者、だったね」

 落ち着いた声の中年の男性は、ベルグラード男爵。

 もうひとりは……黒髪の貴族青年、ジルセウス。


 なぜ二人がここに、と唖然とするメル。


 それに対してゼローアは、複雑そうな顔をベルグラード男爵に向けている。

「貴方は何者ですか。知ったふうな口を聞く」

 ベルグラード男爵は冷気の魔杖でもって自分の帽子のつばをくいっと上げて、こう名乗った――

「位は男爵、官職は魔薬捜査官だ――気軽にベルグラードと呼んでくれたまえ」

「……魔薬捜査官……だと」


 今度はゼローアが唖然とする番だった。

 メルはすがるような思いで、腕の中のドール・シルフィーニアを抱きしめる。




「さて、ゼローア君とやら。君が我々魔薬捜査官が追う“教団”に育てられたというのは真実かね?」

「……わざわざ確かめるまでもなく、さっき聞いていたんでしょうに」

 吐き捨てるようにゼローアは言うが、ベルグラード男爵は追及を止めない。

「真実かね?」

「……そうです」

「なるほど」

 男爵はくるくると魔杖を回す。本来はお行儀が悪いのだろうが、男爵がしてみせるとなぜか不思議と優雅だった。

「もしそうなら君は――君も“教団”の被害者の一人だ」

「……?」

 信じられないことを聞いたかのように、いや「かのように」ではない、ゼローアは本当に信じられないことを聞いたときの顔をしていた。

「俺は、俺は、俺は、暗殺者として、人を殺してきて」

「君もまた、れっきとした被害者だよ。まだ子供だというのに……辛かったろう」

「俺は……っ……」


 ゼローアは拳を構えて、ベルグラード男爵に突っ込む。


 その動きはまさしく疾風。


 メルも、そしてジルセウスも、止めることはもちろん声を上げることもできないほどに、疾く――


 

「……」

「……避けないのですね」


 

 ゼローアの拳は、ベルグラード男爵には当たっていなかった。

 いや、当たっていなかったというのは正確ではない。

 ゼローアは攻撃を寸止めしたのだ。


「当たらない攻撃は、避ける必要が無いだろう?」

「……そうですね」


 そして、ゼローアは拳を下ろした――






 ぽつり、ぽつりとゼローアは自らの過去を語り始める。


「俺は、旅から旅への巡礼者夫婦のエアルトの間に生まれたようです。でも、とても幼い頃に亡くなったようなので、俺は親の顔も名前も覚えてはいませんが。“教団”に拾われて、そこで“教団”の教えと、武術を叩き込まれました。……エアルトということもあって、小さい頃は貧弱扱いでしたよ。……いつしか、あいつはこの先、生き残る確率がゼロだから……と、ゼロ野郎、ゼロ、という呼び名で呼ばれるようになった。親からもらった本当の名前すらも、もうありません」


「そんな……」


「それでも俺はだいたい十四歳ぐらいまで生き残った。そして“教団”を脱走しました。生きるために、自分が生き残りたいから、死にたくないから。三日三晩飲まず食わずで走りました。走って、走って、そしてとある橋の下で倒れました。……恥ずかしながら、空腹で倒れたんです。次に目を覚ましたとき、俺は温かい手で水を飲ませて貰っていました。そして、今まで食べたこともないような、不思議な食べ物を貰いました。それは、体がとろけるように甘くて、どこまでも活力が湧いてくるような食べ物でした。そして、その方は俺に名前を尋ねてきたんです」


 そこで、ゼローアは昔を思い出したのか、目元をぬぐった。


「俺は、とっさにゼロ、と答えてしまったんです。……答えてしまってから……さすがに“教団”で使っていた名前そのままではまずいだろうと、思っていたら」




『ゼロ……あ……?』

『へえ、ゼローアっていうの? 変わったお名前なのね』




「……その方は、俺に名前を下さったんです。本人はまったく意識していないでしょうが。けれど――俺はそのときから“ゼロ野郎”ではなくなった。ゼローアになれたんです」


 そうして、ゼローアは……裏口のドアノブに手をかける。



「俺は、俺をゼローアにしてくれたリゼッタお嬢様のためなら――命だっていらないのです」

 だが、ドアノブにかけられた手を、ベルグラード男爵の手がそっと制する。


「何を」

「言っただろう? 私のお役目は魔薬捜査官だ――お役目の内容は“魔薬”の流通を防ぐこと、それに“魔薬”の被害者を救うことだ。そして君と君の主もまた、“魔薬”に人生を壊されようとしている被害者、だろう?」

 そんなセリフを言って、ベルグラード男爵は茶目っ気たっぷりにウインクをする。

「あなたは……酔狂なたちだって、言われませんか」

「よくわかったね、しょっちゅう言われているよ」



 こつり、こつりと小さな音。ベルグラード男爵が杖をついている。

「さて、我々は今から“魔薬”の取引現場を襲撃するわけだが――」


「それなら、ご一緒しますよ、男爵」

「乗りかかった船ってものだわ」


 とてもよく似ている、少年と少女の声。

 メルにとっては見慣れた姿が現れる――ユイハとユウハだった。


「さっき、援軍を――彼らを呼んでおいたんですよ。間に合ってよかった。あぁ、もちろん僕もご一緒しますよ」

 ジルセウスも当然のように襲撃メンバーに加わって。


「あの、私も」

「メル、君は……止めても無駄だね」

 ジルセウスが、そっとメルを抱きしめるようにして、美しくまとめられた後ろ髪をなでて、ため息をつく。

「うん、見守るよ。……それに、この子にも、シルフィーニア嬢にも見守らせてほしいの、ゼローアを」

「……」

 ジルセウスはしばらく何も言わなかった。ただ、今度はシルフィーニアの頭を優しく撫でて――

「妬いていいのかな、これは」

 とだけ。









「では、征くとしようかね」

 ベルグラード男爵の言葉とかちゃりとドアの開く音とともに、最後尾のゼローアが祈りの言葉をつぶやくのが、メルには聞こえた。


「舞を愛したもう風神よ、あなたに慈悲があるのなら、どうか、リゼッタお嬢様をお守りください、そして――」




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