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花咲く都のドールブティック  作者: 冬村蜜柑
秋色なる舞姫たちの章
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そして幕は開ける(その一)


「メルちゃん、お湯使い終わった? 終わったのなら桶持っていくけど」


 こんこん、といういつもよりすこし控えめなノックの音とともに、プリムローズおかみさんの声がする。

 メルはちょうど、お湯で体を洗い終わったところだった。

「ちょうど終わったところですよ」

 そう言いながらメルは部屋のドアを開ける。

 するとプリムローズはほうっとため息をついたあと――ちょっとだけ怒っているような様子でこんなことを言ってきた。

「メルちゃん。メルちゃんはね、もうちょっともうちょっとでいいから警戒心ってものを身に着けたほうがいいと思うの。せめて何かで隠すか、下着でもいいから着てからドアを開けるべきだと思うわよ。メルちゃんは年頃の女の子なんだから」

「え? ……あぁ、でもおかみさんをお待たせするわけにも……」

「メルちゃんてば、こういう時は気を遣うものじゃないのよ。そんなことより大事なことがあるんだからね。……それじゃ、私はお湯を捨ててくるから。もう少ししたらコルセット締めに来るわ」


 階段を降りていくプリムローズの背中を見送って、メルは身支度の続きにとりかかる。


 今日は、国立舞劇場での舞劇『夢幻境』の初日なのだった。

 


 用意してあるのは、濃い青とすみれ色の見事なドレス。

 鉱物専門店『時の夢』の店主レイエに急ぎで作ってもらった、銀と青い石の髪飾りとネックレスもあるが、今はそれは白がいじってあそんでいる。

 手鏡を置いた机の上には、今日のためにとプリムローズとベオルークが特別に買ってくれたラベンダー水や真珠のおしろい、それに珊瑚色をした紅などの化粧品類と、ラベンダーの匂いのする香水、それに愛用の木櫛と髪用の油、青い絹リボン。

 床にはピカピカに光る青い靴がきれいにそろえて置かれている。


「白、髪をまとめるから手伝ってくれる?」

「はいはーい」


 白に髪を梳いてもらいながら、メルは手紙を開いた。

 シンプルな真っ白の封筒と便箋ながら、薔薇の香りがほのかにする。

 これはジルセウスの屋敷である「ノアゼット屋敷」に仕えるメイド、アンヌが数日前に届けてくれたものだ。

 その手紙はジルセウスの流麗な筆跡で、自分も『夢幻境』の初日に来るから会おう、いや、会いたい、と……ただそれだけが書かれた内容だった。


 かさり、と手紙を抱きしめて、メルはうつむき、せつなくため息をついた。


 あの求婚の返事は、まだできそうにない――




「まぁ……綺麗よメルちゃん。本当、どこの貴婦人さまにも負けないぐらいに!」

「ふむ、悪くはないな」

 支度を終えて一階に降りる。

 プリムローズはちょっと大げさなぐらいにメルの姿を褒めてくれた。

 シャイトはメルをいろんな角度から眺めてから、やはりそのドレスの青はもう少し光沢のでないものにしたほうがよかったのではないか、などとのたまったが、結局はこれも悪くないだろうと言ってくれた。これは彼にしてはかなり褒めてくれている部類である。


「こっちの舞姫も準備はできているぞ。第一幕から終幕までの衣装一通りだ。たしか先にドールに着せておくのは第一幕の衣装でよかったな?」

「うん、合ってるよ、シャイト先生」

 革製の大きなトランクを開けて確認すると、依頼人のリゼッタから預かったドール・シルフィーニアが『夢幻境』第一幕の薄紅色のドレスを着て、そこに横たわっていた。

 薄紅色のドレスは舞劇の舞台設定が極東列島ということもあり、襟や袖、それに帯などあちこちが極東列島風の作りになっている――実際の舞劇で用いられる衣装とまったく同じように。


「それじゃあ、行ってきますね」

「行ってらっしゃい、メルちゃん」

「行って来い」


 プリムローズとシャイトに見送られて、メルは手配していた貸し馬車に乗り込む。

 当たり前のことなのだが、貸し馬車はシンプルな――いや、質素なつくりで、ジルセウスの乗る馬車とはまったく違っていた。



 やがて――国立舞劇場の白い建物が見えてくる。

 すこし離れたところからでも、かなり混雑しているのが見て取れる。

 こんな人数を相手に、あの舞姫リゼッタ・シスネ・グリフォス嬢は舞を披露するのだ。

 そう思うと、なぜかメルまで緊張してくる。

 

 混雑を避けるため、早めに馬車を降りることを御者に伝える。

 規定の料金より少し多めの銀貨を支払って、メルはするりと馬車から降りた。

 ふわりと青い優美なドレスの裾が地面に着地し、見事に広がる。



 メルが歩き去った後その周囲に居た者たちが、あれはどこの令嬢だろうか、しかしお付きはいないし、自分で大きなトランクを持っていたが、お付きのメイドや従者とはぐれでもしたのだろうか……などと、ざわめいていたことを、メルは知らない。




 国立舞劇場は、よく都の人々から「まるで神殿のようだ」と、言われる。


 白亜の建物だからというだけではなく、実際に入場者は神々に出迎えられるのだ。

 舞を何よりも愛したという、風神。

 芸術を守護し司りたもう、詩神。

 一説には夫婦であるとも言われるその二柱の神の大きなレリーフが、入り口の両側に刻まれている。

 メルは思わず、その二柱のレリーフにそれぞれ小さくお辞儀をした。


 今日の舞台がうまくいきますように。


 そう、祈らずにはいられなかったのだ。



 もうすぐ、もうすぐ幕が開けるだろう――






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