表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

汗も滴る 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ふっ、こんな久しぶりの暑い日の外回りには、制汗シートが欠かせんなあ。

 若い頃は、こんなもんに頼るなんて軟弱、と思ってきたけど、年取った今は、軟弱になった自分を認めないと、えらい目に遭うからな……。

 とと、油断した端からまた汗が出てきたよ。汗っかきなの、勘弁願いたいところだが、見方を変えれば、水も滴るいい男ってか?

 ――油の滴る不快な男?

 おめえ、ひねりがない分、胸に刺さるんだけど……せめて言葉の矢じりくらい、オブラートに包んでくれやせんかねえ?

 ……ああ、話してたら昔のことを思い出しちまったぜ。汗を巡る不思議な体験だ。

 歩きながら、ちょっと聞いてみないか?

 

 中学生になって、少したった頃だったかな。俺の周りでは映画を観ることと、それに出てくる登場人物のマネっこをすることが流行っていた。

 たばこをくわえたり、酒を飲んだりとかは、その最たる例だな。どっちもきつい臭いがするから、たいていバレるけど。

 そうなると、たいていの奴は見た目だけで我慢する。ブレザーの襟を立てたり、上や下のポケットに手を突っ込んで、大股で歩いてみたり……若気の至りって奴だ。

 俺もまたポケットに手を入れていたクチだ。この頃からタッパは大きめで、肩幅もあったから、コワモテも相まって「少し威圧感がある」と言われたな。

 だが、母親には注意をされたよ。「ポケットから手を出しな。両手がふさがっていると、転んだ時に手をつけない。けがをする」ってね。

 当時の俺は反抗期。たしなめるような言い分を、素直に聞くわけがない。

「俺が何年生きてると思ってんだ。なめてんのかよ」と反発。ポケットの端がほつれてきても、それを親に話すことなく、中に手を入れ続けていたよ。


 木枯らしが吹き始めた、10月の下旬。その日は部活もなかった俺は、まっすぐに家へ向かって歩いていた。まっすぐに、というのは、推奨される通学路から外れた道を通ることでもある。

 県道沿いに建っているパチンコ屋。その駐車場の脇は、細いあぜ道を挟んで田畑が広がっている。稲刈りが済んだが、昨日の雨のせいか田んぼのあちらこちらに、小さい水たまりが見受けられた。

 未舗装のこの道を通ると、県道に沿って歩いた時と比べて7,8分は時間を縮められる。他に通っている生徒も多く、学校側も黙認しているショートカットだ。

 

 俺はさっそく足を向けた。田んぼたちを縫ってあぜ道を抜け切るまで、俺の足で正味3分ほど。それなりに道幅はあり、農作業用の重機を載せた軽トラックも通れるくらいだ。

 何度も利用されているためだろう。色が失せかけた枯れ草が生えているこの道も、タイヤが通る箇所だけは、砂利がむき出しのわだちになっている。俺個人としては、歩きやすくていい。

 だが、踏み入って1分ほど。高い建物がないんで、ここからでもあぜ道の出口まで見通せるんだが、どうもその出口付近からこちらへ向かって、赤い自転車が一台、走ってくるのが見えた。

 対向車は珍しい話じゃないし、四輪車でないから悠々とすれ違うことができる。俺はスピードを緩めず、じょじょに大きくなってくる自転車をぼんやりと観察する。

 

 前かごがなく、細いタイヤ。典型的なクロスバイク。

 運転手は分厚いダウンジャケットとオーバーズボンに、フルフェイスヘルメットで顔も見えない。そこまでする寒さではないはずなのに、これからひとりで雪山を攻めるのかとでも思う重装備だ。

 どうも嫌な感じを覚えつつ、ここまで見えていて極端に道を外れるのも、明らかに避けていると思われるだろう。

 見栄を張る俺は、平然とすれ違うことにした。

 

 すれ違いざま。件のクロスバイクが小石をいくつか、こちらに飛ばしてきたんだ。いくつかは足に当たったが、それよりも問題があった。

 大股で歩く俺の、わずかに持ち上がったつま先。それが地面に着くまでの瞬間で、タイヤが飛ばした、角のある石が靴と地面の間に滑り込んだんだ。

 認識した時には、もう遅い。体重の乗った足先を、角ばって不安定な石が支えられるわけがなく、俺は転んだ。母親の忠告通り、手を出すことができず、顔からだ。

 歩きやすい砂利の上が、かえってアダになる。顔面いっぱいに、細かい痛みが張り付いた。起き上がって振り返った時には、もう、あの自転車は姿を消している。

 転んだ砂利の上には、ぽつぽつと黒い点が。手のひらで顔を拭うと、薄く血がついた。

 ――あの野郎。

 俺ははらわたが熱くなるのを感じつつ、家から少し歩いたところにある公園へ。ひと気がないのを確かめながら、隅にある水飲み場で、存分に顔を洗う。

 ハンカチは持っていない。ブレザーの袖で乱暴に拭いて、そのまま帰宅。夕飯ができるまで、部屋で悶々としていたが、やけに汗ばんだのを覚えている。


 その晩も、翌朝も、俺は汗をかきっぱなし。のどがめちゃくちゃ乾いて、朝からウーロン茶をがぶ飲みした。

 食べている時にも、垂れてくるものを拭っていたせいか、母親に風邪を心配される。そしてやはり、素直に言うことを聞けない当時の俺。

 学校に行っても汗は止まらなかった。昨日の反省からハンカチは持ったが、それ以外の制汗グッズというのには無関心だったからな。人目につかないよう、体中をハンカチで拭き回ったものだから、三時間目を迎える辺りで、もはやぐしょぬれ。顔を袖で拭うことくらいしかできない。

 それでいて、喉はカラカラ。休み時間になるたび、水道で水分を補給する。口を上に向けてがぶがぶ飲む、あのスタイルだ。

 心なしか、一部の女子からは距離を取られる始末。自分の評価と落ち度に、過剰反応する中学生の時分では、なかなか手厳しい反応だった。

 

 ――買うか? 汗用の道具。

 部活の合間を縫って、その手の道具をいつも使っている友達を捕まえる。

「俺はきつめのすっきりタイプが多いが、お前の肌に合うか分からん。まずは弱めな奴から試してみろ」と、いくつかサンプルを使わせてくれた。

 ずいぶんと肌が敏感だと分かった俺。友達は、一緒に行こうかとも提案してくれたが、この手の道具を買うのは、他人の前だとどこかこっぱずかしい。

 部活が終わると、俺は足早に学校から少し離れたコンビニへ向かう。近いと、巡回している先生と鉢合わせするかもしれなかった。


 冬場で早く部活も終わるから、コンビニに着いたのは午後5時過ぎ。

 店内に客はいなかったが、店員の姿もない。レジにも、商品棚にも、店舗の外にも。

 ビールケースに似た、品出しのかごがいくつか床に置いてある。中には、商品も残ったままだ。

 この時間帯で、あまり見ない光景だなと思いつつ、化粧品売り場の横に並ぶ、エチケット用品の棚へ。ズボンのすそで、手にかいた汗を拭きつつ、さっと目を通していく。

 棚の前へ立つのとほぼ同時に、大型冷凍庫の脇のバックヤードから、店員が出てきた。

 若い。高校生くらいか。薄く化粧をしていて、長い黒髪にほっそりとしたスタイル。顔も含めて、なかなか俺の好み。

 つい、二度、三度と見やってしまい、その間で店員はケースのひとつを手に取って、俺の方へ近づいてくる。

 見てたの気取られた? と思うと同時に、近くでご尊顔を拝める、という高鳴りがして、後者が勝つ。

 俺はわざともたついて選ぶふりをして、汗ばんだ顔に半渇きのハンカチをあてがいながら、店員が近づいてくるのを待ったが、いざそばに来てみると、別の意味で緊張を覚える。


 まず、棚でほとんど隠れしていた、彼女の持つケースの中身。それはサンドイッチ類だったんだ。明らかにエチケットスペースに持ってくるような物品じゃない。

 次に、店員はケースを近くに置くと、やたらと俺の横へ並ぶように、棚を整理し始めた。各商品の表と裏を何度も見て、期限などを確認しているようにも見えたが、ひと通り見て回ったら、また最初に触れたものに戻って……というのは不自然だ。

 しかも俺を挟み、その左右を行ったり来たりして、同じことをする。商品棚が陸ならば、俺はそこに架かった橋のようだった。

 ついには、俺の手元近くにあるヘアワックスにまで、点検作業をかます店員。「失礼します」のひとこともなく、黙々と作業を続ける。眺めては戻し、眺めては戻し……。


 もう、俺の胸のときめきは、ばくつきに変わっていた。関わり合いにならない方がいいと、頭が告げている。

 品を選ぶのはあきらめ、店員が入り口側から移動するのに合わせ、すれ違うようにすり抜けようとした、その時だ。

 べろり、と頬をなめられる感覚。汗ごと、右頬の熱を持っていかれた。

 さっと振り返る。ほんの数歩先で背を向けて、黒髪を揺らす店員。その顔の横から10センチ以上、不自然に舌が伸びている。

 その舌の上には、指先ほどの大きさで、赤と黄色に明滅する小さな石が乗っかっていた。

 口元と思しき位置へ、引っ込んでいく舌。それはほんの一秒足らずで、すぐにガリゴリと固いものを咀嚼する音が続き、ごくんと喉を鳴らした店員がつぶやく。

「おかえり」と。


 俺に対して帰れといったのか、あの石が自分の元へ戻ってきたから声をかけたのか。

 考える余裕もなく、俺は逃げ出す。家に帰った時には汗だくになっていたが、洗面所のタオルで身体をくまなく拭うと、もう汗は出てこない。

 翌日。学校で注意喚起のプリントが一枚、回ってきた。あの日、俺が立ち寄ったコンビニで、店員が亡くなっていたとのことだ。

 死亡推定時刻は、俺が立ち寄る少し前。聞いた話によると、犠牲になったのは、近所の高校に通う女子学生。髪は茶色に染めて、体型もぽっちゃりしていたらしい。

 犯行現場とおぼしきバックヤードに置かれていた彼女の荷物は、漁られた形跡はなく、ただ店員の制服だけが盗まれていた、とのことだ。

 そして、俺の異常な発汗はぴたりとおさまっちまったよ。次の日も、その次の日も。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                      近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ