無題
「あーっ、疲れたー、つっかれたー。ねえ、マッサージしてよ」
「うるせぇな、重いんだよ、どけデブ」
ぴんと張っていた青いシーツは私のせいでぐしゃぐしゃになってしまった。
心底迷惑そうな顔をした弟が投げたクッションが顔面に直撃して漫画だらけの床に落ちた。
午後8時。あの後私達は逃げるように教室を出て、夜ご飯を一緒に食べて、ついさっき朝に待ち合わせした時計塔で別れた。そのまま家に帰って、もちろんお父さんは今日も明日も帰ってこないけれど、明日は土曜日で何も予定入ってないから、家事は明日やればいっか、と思って靴を脱いでそこら辺の床にスクールバッグを投げ出したら、弟の部屋にノックもせずに入って、今に至る。
もし私が部屋に入ったとき、ちょうど弟が自慰の途中だったらかなり気まずいのだけれど、弟は相変わらずスマホでゲームをしていて、ゲームというのはエロゲとかそんなんじゃなくて、普通の男子中学生がやるようなやつだったから気まずい空気にならずに済んで良かった。
ずっと一緒にいると自分では分からないが、目元が私と弟は似ているらしく、よくそっくりだと言われる。弟は一緒に居て素が出せる数少ない存在で、弟になら普段絶対言わないような、姫葉の化粧が酷いとか、本当はコーヒーがいいとか、とにかく何でも話せるのだ。
「ねえ、もう聞いてよー。姫葉がさぁ…」
姫葉が私に愚痴るように、私も弟に愚痴っている。自分がされていい気分じゃないことを弟にするなんて私性格悪いなぁ、と思う反面、弟だから愚痴れるんだよねぇ、とも思った。これから30分ぐらいこの子にくだらない愚痴を話すんだろうな。
弟は愚痴なんて聞くの嫌なはずなのに、だったら無視すればいいし、物理的な力で言えば女子高生の力より男子中学生の方がずっと力は強いんだから無理矢理でも追い出せるのに、弟はゲームをしながら軽く相づちを打って、愚痴を話させてくれる。
そういうところはやっぱりシスコンだ。私もなかなかのブラコンだけど。
今私の体勢はベッドの上で横になりながらスマホを両手にゲームをしている弟の背中の上に、どでーんと乗っかっている。そうすると、意図してやった訳じゃないけど、ちょうど私の胸が弟の背中に当たっているから、きっと弟はちょっと複雑な気持ちなんだろうな。
漫画と一緒に並べて有ったファッション雑誌を手に取り、パラパラとページをめくってみる。途中、㎏という文字がちらっと見えた。他の文字は少しも気にならないのに、体重の事を常に気にしていると、㎏という文字に異常に敏感になって、それだけがはっきり見える。通りすぎた分、ページを戻してその㎏という文字があったページを見ると、そこには女子の平均体重は53㎏といった事が書かれていた。
わたしの身長は165㎝だから女子の中では割りと高い部類に入る。だから本当は健康を重視するならばもう少し体重を増やしてもいいのだけれど、どうしてもモデル体型と呼ばれる体重を維持したいから、酷い食事制限を止められないし、そっちの方が自分に自信を持てる。
「彰人君とはうまくやってんの?」
「…うん、まあ、うまくやってる方なんじゃない?後ちょっとで一年だし。」
うまくやっているはずだ。たいした喧嘩もないし、私達は限りなく完璧だ。彰人はできるだけ私の願いを叶えようとしてくれて、私も精一杯彰人に尽くせるように頑張ってる。どこからどうみても理想のカップルのはずなのに、疲れた、とため息をつくように言葉がこぼれてしまうのは何故なのだろう。
「…彰人君と付き合ってる時の桐子、なんか変だよ。」
「演じてるんだもん、素を知ってるあんたからしたら変なのも当然でしょ。」
いつまで演じていればいいのだろう。もし、彰人と別れるってなっても、きっと演じることは終わらない。弟と親友以外にはずーっと仮面を被るのだ。
スポットライトを浴びているみたいに、みんなにちやほやされるのは心地良い。でもやっぱり疲れる。私のその疲れを癒す存在は弟と親友ぐらいで。癒す存在がいるのはいいけれど、だからって癒せるかって言われたら違う。弟と親友に頼る時間なんて私にはあまりない。演じるための努力の時間と、演じてる時間で、私の生活はいっぱいいっぱいだ。
こんなに必死になっているのは、私のしょうもないプライドと、中学生の頃のような自分に戻ってしまうという恐怖心と、学校が世界の全てだと思っている私のせいなのだ。
「中学生の頃の桐子、ああいう彰人君みたいなの、一番嫌いだったじゃん。」
「今は違うの。誤魔化したり誤魔化されたりして、ちゃんとつき合えてるって誤魔化すの。」
中身なんてどうでもいい。嘘もつき続けていれば真実になるって言うし。仮面だってずっとつけてたら顔と同化するかもしれないし。演じている自分が本当の自分になる日が来るかもしれないし。