表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錫の兵隊  作者: おてもと
3/3

街に消える (後)


Baby in the shell 3 

 

 『外を歩きたい、ですか。補装具は問題ないでしょうが……自分と部隊の面々は今リカルド議員と話し合いをしていましてね』


 それは知っている。だから今はここにいたくないのだ。リハビリは順調に進み、ぼくはもう一人で歩ける。周辺を散歩するだけなら問題ないはずだ。


 『ですが……いや、ルーを護衛につけましょう。彼女なら暇しています』


 止める間もなく、グリナは無線でルーを呼び出してしまった。


 『彼女はああ見えてPMCオペレーターです。護衛の任くらいは充分にこなせますよ』


 遠慮の言葉は不信と受け取られたようで、そこから逃げ出すことは叶わなかった。迷路のように入り組んだ路地や治安のことを考えれば護衛がつくこと自体当然なのだろうが、ぼくのわがままに年下の少女を付き合わせるようで気分が悪かった。


 『……』


 建てて、取り壊して、重ねて、掘り下げて、また建てる。械人街はまるでジェンガブロックのタワーのようだった。そこら中に這い回る配線配管が、建物のジェンガを絡めとって固定している。通路も作っては壊し、壊しては繋ぎを繰り返したようで滅茶苦茶だ。上に進みたかったはずだがいつの間にか下っていた。歩いているだけで目が回りそうだ。

 少女は黙って着いてくる。レインコートのフードを目深に被り、つかず離れずの距離を維持している。適当に歩いているが咎める様子はない。周辺に危険はないということだろうか。


 家族の一団とすれ違った。械人街といえばサイボーグばかりが住んでいるというイメージだったが、街では生身の人間を目にすることの方が多い。ここは難民の街でもある。どこの国も戦争から国を立て直すので精一杯で、大量に発生した難民を受け入れる余裕はなかった。無国籍地問題が解決しない原因のひとつがこれで、械人街を自国領土にするということは多すぎる難民達を受け入れるということなのだ。

 横道にそれたところに墓場を見つけた。械人街の面積は狭い。住居の間にぎゅうぎゅう詰めになっていたとしても、まともな墓地があるとは考えていなかった。難民達が作ったのだろう、仏教式やイスラム式の墓が混在する共同墓地は異様そのものだった。


 「これは……」


 ユダヤ式の墓が倒されていた。キリストを磔にしたユダヤ人は、長らく世界中で迫害の対象とされてきた。墓地が被害に遭う例は枚挙に暇がない。ぼくの家系の墓も一度それで破壊されてしまっている。死者の尊厳を踏みにじる悪辣な行為だ。この街でもそれが行われていることに強い憤りを覚え、気づいた時には体が勝手に動いていた。過負荷を警告するアラートがそれを咎める。ぼくの装具は通常生活用だ。墓石を持ち上げるには出力不足である。


 「くそ……、っ?」


 突如、鉄塊のように重かった墓石が軽くなる。見れば、人工筋肉を隆起させたルーが共に石を支えていたのだ。小柄な姿からは想像もつかない高出力、つまりは戦闘用補装具である。PMCオペレーターという話は本当らしい。


 「お前」


 『神の話、わたしにはよくわからなかった』


 表情ひとつ変えずに墓石を元の位置に戻す。


 『でも、あなたにとって大切なものだってことはわかった。きっとこれも』


 「そうかよ」


 理解できないものを認めるのは難しい。わからないものを恐れたからこそ人類は生き残ってきたのだ。選民思想と布教を行わない秘教主義がユダヤ教をなにか恐ろしいに邪教に見せてしまったように、ぼくは組成も価値観も違うサイボーグを恐れた。しかし彼女はぼくの神を恐れない。


 墓地を抜けるとすぐ近くに病院が見えた。遠くへ、遠くへと移動していたつもりだったが、実際は全く離れることができていなかった。


 『墓を直すのが用事?』


 「いや……、上に行くにはどうすればいい」


 『ついてきて』


 今度は彼女が先導だ。言われるがまま進むと、病院の裏手に昇降機があった。がたがたと音を立ててやってきた古いかごに乗り込み、二十六──この昇降機における最上階──のボタンを押した。再び音を立ててかごが動き出す。


 「……何のために生きてるかと聞いた時、お前は死なないためと答えたな。しかし永遠に生きることはできないだろう。死んだあとのことを考えたことはないのか」


 無数の建物が上から下へ絶え間なく流れていく。実のところ、ぼくは彼女が羨ましかった。死なないために生きてると、そう言い切れるまでに強い生に対する欲動が。二十六の数字にランプが灯るまで、ルーはずっと思案に暮れていたようだった。上層に出て、何十日かぶりに太陽の光を浴びた。ブレンドに言われた過去の自分の習慣。これと言ったものは思い出せなかったが、少なくともぼくは毎日日光に当たっていたはずだった。


 『誰かに覚えていてほしいと思う。わたしが死んでも何も残らないから』


 やっと口を開いた半人半機。それは他人のことだった。彼女には死後の自分の意識という視点がない。だから自分が死んだ後も生きている「誰か」に希望を託すのだろう。


 「そうか……。お前は神がわからないとも言ったが、考え方はそれと似ているんだ。神はいつでもぼくのことを見ていて、そして永遠に覚えていてくれていると信じている」


 それで合点がいったようだ。サイボーグの子に神の存在を説くサイボーグ。なかなかシュールな絵面だと思った。


 「墓だってそのためのものなんだ。墓参りや手入れをする度に、その誰かが自分のことを思い出してくれる」


 ルーは無言で頷いてくれた。ふと視界が開ける。ずっと視界にあった建造物が遠くに見える。ぼく達がたどり着いた高台からは、街の外の様子を眺めることができた。そこはかつてのイスラエル。国を失ったユダヤの民が、新たに作った居場所。その成れ果てだった。イスラエルは大戦末期の主戦場であり、現在もおびただしい数の不発弾と対人地雷が燻っている死の廃墟だ。


 『最後にすべての死者が生き返り、ルールを守っていた人が救われる……だっけ。なんとなく、わかった。あなたがお墓を直した理由』


 同じように国を追われたサイボーグ達が、この地に自分達の国を作ったのは運命だろうか。サイボーグは血も涙もない殺人機械ではなく、食べて悩んで痛みを感じる人間だ。半人半機の子供にだって、死者への弔いを教えることができるのだ。


 『お墓にちゃんと体がないと、生き返るものも生き返れない』


 「──あ」


 そこで思考が止まった。


 頭の中でゆっくりと少女の言葉を反芻する。再点火した記憶の奔流に脳を任せる。

 忘れていた。しかし思い出した。この子が思い出させてくれた。

 瞬間。消えたと思っていた幻肢痛が身体中を嬲る。はじける。思わずうずくまる。体がばらばらに切り刻まれる幻視。

 突然の異変を感じとったルーを手で制す。


 「大丈夫だ……麻酔はいらない」


 何故ならこの痛みは"まだ"ぼくのものじゃない。だから麻酔は必要ない。この補装具がぼくに適合した理由をやっと理解した。


 『ほんとうに大丈夫……?』 


 心配そうにこちらを覗きこむルー。その顔には罪悪感の色があった。自分の言ったことが痛みの原因だと考えているらしい。むしろ彼女には感謝しなければならない。やるべきことを思い出させてくれたのだから。


 「心配いらない。ほら、もう痛くないから。それより、私はもっとこの街のことを知りたいんだ。案内してくれないか」


 神妙な顔つきの少女。もう痛くない、は嘘だ。ぼくは、おかあさんは、ずっと痛くて痛くて仕方がなかったのだ。忘れていた、だけなのだ。


 「頼むよ」

 

 

 

Making cyborg 4

 

 「臓器移植をした患者に、そのドナーに類似した記憶、傾向が現れるという話を聞いたことがありますか。記憶転移と呼ばれている現象でして、かつてはオカルト──疑似科学のひとつでした」


 『人格変化の原因はそれだと?』


 「そうです。現在ではある程度複雑化した細胞組織はその作動において獲得した情報、つまり記憶を保持していることが明らかになっています。何をもって人格とするかは未だ議論の余地がありますが、記憶の集合とそれに起因する反応を人格と呼ぶなら、ご子息の人格は以前と異なったものになっていると言えるでしょう」


 細胞にも記憶がある、と聞けば少なからず違和感を覚えるだろうが、そもそも記憶とは単純な情報ではない。例えば肉汁したたるステーキを思い浮かべてみて欲しい。焼けた肉という視覚情報以外にも、香辛料が焦げる匂いやナイフの手応え、その味と胃にわだかまった感覚さえ思い出せるはずだ。記憶とは、その時の細胞の状態を細胞自身のアーカイブから引き出し、適時統合したものだと言える。脳はその統合処理機と、複雑なニューロンの動き──感情や思考の記憶を保存しておく書庫を兼ねたもので、脳が全ての記録をしているのではないということだ。そして感情には感覚が伴い、その二つは不可分。細胞記憶がなくなることによって、思考の記憶をうまく再現することができなくなる。


 『あくまで自分達に落ち度はないと言いたいわけだな』


 イライが外出した後、リカルドとの経過報告に戻った。ブリーフィングには以前に話し合った時と同じ応接間を使っている。コーヒーを淹れて部屋に入ると、我らが部隊長が依頼主リカルドに詰問を受けていた。自身もサイボーグであるブレンドは、記憶障害についての説明に難儀していたらしく、こうして助け船を出してやったというわけだ。


 「記憶障害はサイボーグにとって普遍的であると主張したいだけです。重要なのはアフターケアであって、変化そのものではありません……あ、その点はご心配なく。優秀なカウンセラーとやりがいのある仕事を斡旋いたしますよ」


 サイボーグの仕事と言えば戦場跡の地雷撤去だが、サイボーグが経済に組み込まれているこの街では職業選択の自由がある。本人が望めば司祭になることだって可能だ。


 『その必要はない。私が依頼したのは特種全身補装具の作成とその調整を一ヶ月以内に完了すること、この件を内密にすることだけだ。その点において君たちは本当によくやってくれた』


 「恐縮です。では今後のメンテナンス等はいかがいたしますか?」


 『必要ない。息子は街を出るからな』


 「……何ですって?」


 街の外で生きているサイボーグが皆無というわけではない。しかしその扱いはロボットと変わらない。補装具のメンテナンスができる技師も数少なく、それができる設備は非合法だ。死ぬまで工場の部品になるか、犯罪組織の鉄砲玉として使い潰されるのがオチだ。


 『リカルド……あんた自分が言ってることの意味、わかってるのか』


 ブレンドの声こそ冷静だが、その背中からは隠しきれない怒りがにじんでいる。今までもこういった客は何度かいた。そのどれもが悲惨な末路を辿った。リカルドは議会議員としてその事例を知らないはずがない。


 『ご心配なく。すでに一度やったことだ』


 その言葉は決意か、それとも諦観か。話は終わったとばかりに、リカルドとその護衛は応接間から立ち去った。報酬の金が入ったトランクケースだけを残して。


 『一度やったこと……?』


 「そのまま受け取るしかないだろう。大方、十二年前に事故で行方不明ってことになってる妻じゃないか」


 力が抜けて、言葉が出てきた。リカルドがいなくなった来客用のソファに身を投げ出す。一滴も口をつけられなかったコーヒーを一息で飲み干した。


 『家族を補装具に入れて生かしたのは今回が初めてではない、と』


 「どちらにせよ我々の仕事は終わりだ。あちらが必要ないって言ってるんだ、俺達にできることはもうない」


 それきりブレンドは沈黙した。構わずトランクの中身を改め始める。一人、一生分のメンテナンス代がまとめて立ち消えになったのだ。これで報酬が足りなかったら大赤字である。


 『”やっている”ではなく”やった”……』


 「死んだんだろうな」


 鉄仮面の下で、ブレンドは何を思っているのだろうか。もう一度声を掛けようとしたその時、焦燥をみなぎらせた無線が耳に飛び込んできた。


 《グリナ、監視対象が……イライが、いなくなった》


 ルーだ。ある意味では予想通り、ある意味では期待外れだった。護衛に関してはまだまだ訓練不足ということだ。


 「それは気にしなくていい。先程彼は監視対象ではなくなった。帰投せよ(RTB)


 《……? ちゃんと説明して》


 ルーは突然の帰還命令に戸惑っている。説明を求めるのも当然だろう。とは言えどう解説したものか。事の顛末を頭に思い浮かべていると、


 『いや、続行だ。指定のポイントでジャックとハイドのバディに合流しろ』


 突如沈黙を破ったブレンドが回線に割って入った。


 「どういうことだ?」


 『あいつはまだ半人前以下だからね。無線封鎖した部下を監視につけていた。今は私兵どものIFVを追わせている』


 「そういうことじゃない。追ってどうする?相手はクライアントだぞ」


 『先程彼は契約関係ではなくなった。それに今は、イライが私達に助けを求めている』


 端末に標示されているのはイライの位置情報だった。救難信号──まさか街を出るとは考えていなかったので、その送信先は部隊のままになっていた。


 『私達は同じ組成でできた同胞、言わば兄弟だ。父親の元で飼い殺しにされるというなら新しい体を与えた意味がない。ルー、聞いていたな?私もすぐ行く』


 《了解(コピー)


 応対用のスーツを脱ぎ捨て、装甲と人工筋肉が剥き出しになった戦闘用全身補装具があらわになる。こちらに一瞥もくれず、ブレンドはイライの元に向かった。

 体を機械に置き換えたものの特徴。共感性、同情心といったものの欠如、一つのものに執着する傾向。そういう意味で、ブレンドは異様なまでに人間らしい。「人間らしいこと」に執着しているとも言えるかもしれないが。


 「……十二年前に失踪か」 


 いくつか引っかかっていたことがある。ひとつはイライが適合した補装具。それは拾ってきた装具の胸部を再利用したものだった。十年ほど前の型。劣悪だった整備状態。その割には金のかかった部品。


 「まさかな」


 余計な考えは締め出し、報酬の勘定に戻った。

 

   

  

 

Baby in the shell 5


 おかあさんが死んだ。


 それは子供にとってのハルマゲドンだ。

 両親とは、幼児の世界における絶体者である。その消失はあってはならないことで、ぼくには想像もできなかったことだ。今まで足をつけていた大地が消えるに等しい。吸っていた空気が無くなるのと同じだ。 


 おかあさんが生き返った。


 正確には母は死んでおらず、機械の力で生存の補助をしていたというのは後になってからわかったことだ。しかし、現代の医学ですら結論が出ていないことを童が解するのは不可能で、「生き返った」としか認識できなかった。それは楽園の再編である。突然にして永遠に失われた安息が戻ってくるのだ。


 しかし、そのおかあさんは何かが違った。

 夕食の小鉢。洗濯物の柔軟剤。誠実な祈り。抱き締められた時の肌ざわり。気分を落ち着かせる甘い香り。ぼくを受け入れてくれる余裕。そのどれもが永遠に失われたままだった。

 おとうさんは家に帰らなくなった。それに反比例するように、ぼくが家にいる時間が増えた。


 だってそうしなければ、そのおかあさんは今にも壊れてしまいそうだったから。おかあさんはすでに多くのものを失ったのだ。ぼくまで母から離れていってはいけない。ぼくが母を満足させなくてはいけない。


 友達はいなかった。ガールフレンドもいなかった。おかあさんはそれを心配しているようだったが、同時に閉じこもるぼくを見て安心してもいた。本人ですら気付いていないであろうその表情の緩みを、少年だったぼくは見逃すことができかった。


 おかあさんが死んだ。


 と言うより、壊れた。経年劣化により機械の透析能力が落ちた、と聞いた。それはぼくのハルマゲドンではなかった。ぼくの中で母はずっと前に死んでいたから。ついさっきまで母の死体が動いて、母の真似事をしていただけだったから。

 肩の荷が降りたような気さえした。おかあさんだって、水で希釈したような無意味な延命は望んでいないはずだ。これでようやくおかあさんもあの墓地に還れるのだ。むしろ晴れ晴れとした気持ちだった。信心深かかったあのおかあさんは、きっと神にも認められるはずだから。きっと最後には生き返れるはずだから。


 「どうして」


 おかあさんが葬られることはなかった。書類の中で母はずっと前にいなくなっていたから。

 死んだおばあちゃんの膝の上のような、オルゴールが聴こえるベビーベッドのような。あの安らかな時間が流れていた墓地に、おかあさんが行くことはない。永遠に。


 「どうして」 


 おかあさんの体はバラバラになった。機械の体は法で認められたものではないから。政治家になったおとうさんは、禁じられた技術を使用した自分の罪を恐れた。その発覚を、スキャンダルを、自分の地位の失墜を恐れた。


 「どうして」


 素材にまで分解されたおかあさんを、毎週少しずつ資源ごみに出した。だんだん小さくなっていく「それ」を見て、初めてあのおかあさんにも愛情を感じていたことを理解した。


 「どうして」


 おかあさんが街に消えていく。



 おかあさんの下半身を処分し終えたころ。反サイボーグの活動家になっていたぼくは、強硬派の仲間が独自に計画した地下道の爆破に巻き込まれた。その地下道は暫定国境線を非公式に越えることが出来、械人街のサイボーグが国に入り込む裏口の一つだった。

 ぼくはおかあさんの上半身がどうなったか、それだけが気掛かりだったはずだが、バラバラになったぼくの体と一緒に断片化され、思い出せなくなっていた。


 

 『お墓にちゃんと体がないと、生き返るものも生き返れない』


 彼女の言葉を聞いたとき。私の記憶が元に戻った。ぼくがなぜ急に補装具を動かせるようなったのか。それは他でもないあのおかあさんの体だったから。私はいつもぼくを見ていた。だから私が痛くないようにするのは簡単だった。同時にぼくは私の思いを理解した。私はずっと痛かったのだ。ぼくはバラバラにされたのだ。私は生き返れないのだ。


 「おかえり」


 「ただいま」


 ぼくは/私は、ようやく還ることができた。

 

 

 

Making cyborg 5 


 駆ける。昇る。跳ぶ。降りる。


 半人半機に通れない道などない。半獣半機を遮る壁などない。

 イライを見失ってから数分。ブレンドから指定された合流ポイントにたどり着いた。追跡対象のIFVと防弾車が停まっている。その周囲にはリカルドの私兵らしき人間達が転がっていた。既に制圧は終了したのだろうか?仲間の姿を探す。ジャックとハイド、二人とも斥候と潜入工作を得意とするサイボーグだ。時として味方からも認識されない擬装を行う彼らは、今もどこかに潜んでいるのかもしれなかった。


 ()()()

  

 「ジャック!」


 下半身がなかった。人工皮膚がちぎれ、内部が露出した両腕を力無く投げ出している。腹部の断面からは組織液が大量にこぼれてしまっていて、特有の甘い匂いを周囲に漂わせていた。いくらサイボーグとはいえ重症だ。駆け寄ってジャックの安否を確かめようとする。


 『BANG』


 こめかみに冷たい銃口を感覚した。ジャックの右腕から、まるで手品のようにデリンジャーが飛び出したのだ。


 『味方の死体を見つけたらまず罠を警戒せよ──教えたはずだぜ』


 胸を撫で下ろす。人をからかう余裕があるなら大丈夫だろう。


 『下半身を吹っ飛ばされたから死んだふりをしてたんだ。ハイドもその辺に転がってる』


 周囲を見渡すと、仰向けになって瓦礫と同化したハイドが手を振っていた。ハイドの方も左肩から先を失っているようだった。


 『無線を二十秒だけ開く。説明はそっちでするから急いで追ってくれ』


 「了解」


 緊急回線を開くと同時に追跡対象の情報が脳裏に飛び込んできた。予測地点に向かって走り出しつつジャックの声を聴く。


 《部隊長も聞こえてるな?》


 《ああ》


 《じゃ、始めるぜ。まず俺達は隊長の指示通り、患者をさらったIFVを追っていた。追跡のうちにリカルドを乗せた防弾車を捕捉。奴らは車を乗り換えるはずだから、予測地点に罠を張って待っていた》


 狭く入り組んだ街に、IFVが停車しても目立たない場所はそうそうない。リカルドの車の進路と、彼らの目的地を考えれば予測は容易だ。


 《予想より早く乗り換えを始めたんで、嬢ちゃんの到着を待たず仕掛けた。敵は二個分隊。制圧自体は簡単だったがな、まさか救助対象から撃たれるとは思わなんだ》


 足が止まった。


 《どういうことだ》


 《是非俺にも説明してもらいたいね。とにかくイライは俺とハイドを撃ち、リカルドを抱えて街に消えた》


 「……今わたしが追ってるのって」


 《イライだよ。奴がどういうつもりか知らんが、危なっかしいものを持ってるんでな。取っ捕まえて話を聞かなきゃならん》


 その時の視覚ログと、銃の図面データが送られてきた。ログの中でジャックを撃ったイライは、虚ろな表情のままリカルドを担ぎ、巨大な銃とともに路地裏へ消えていく。


 《これは……》


 《個人主体戦闘武器(OICW)高加速徹甲弾(HVAP)モデル。IFVの車内にあったものだ。俺達を殺すにはおあつらえ向きだな》


 当然だが銃は人間を殺傷するためにできている。物理学的には人体は水の入った袋。銃弾はその体を最大限損壊するように調節されているのだ。故に組成が何もかも違い、装甲までしているサイボーグを普通の銃で殺すのは難しい。


 「わたし達を信用してくれてなかった」


 重機関銃や対物ライフルのような武器はこの街には持ち込めない。なぜなら建物が密集した械人街では威力が大きすぎて、二次被害を免れないからだ。怪我人が出るくらいならまだしも、ジェンガブロックのように中抜きされたビルが崩れたり、最悪の場合は火災が発生してしまったりする可能性もある。街の住人達は皆、破壊的すぎる武器が使われないよう相互に監視しているのだ。それはリカルドにも説明したことで、部隊の面々が交替で彼らの護衛もしていた。


 《素直に従わなければ強行手段に出るつもりだったんだろう。それは後でキッチリ問い詰めるとしてだ。ルー、ところかまわずぶっぱなす前に奴を止めろ。通信終わり(アウト)


 「わかった」


 無線に乗らない肉声と共に、力強く踏み出した。イライの目的はわからない。だから問わねばならない。あなたの神は、今あなたを見ていないのかと。


 理解し合えると思ったのは、わたしだけだったのかと。

 

 

 

Baby in the shell 6

 

 『やめてくれ……待ってくれ、イライ』


 「ごめんなさい」


 左手を引きちぎる。聞いたことがない父の悲鳴が街の中に木霊した。傍らにあったダストシュートに左手を投げ込む。何事かと出てきた住人を銃で制した。巨大な殺意の塊に、サイボーグらしき男は恐れおののき武器を棄てる。


 『どうして、どうしてなんだイライ。おとうさんに説明してくれ』


 もう息も絶え絶えだ。拾った缶切りも切れなくなってきた。父の体の進捗は四割くらい。ペースを上げなければならない。男が棄てた拳銃を拾った。


 『なんとか言ってくれ……おとうさんが悪かった』


 「ごめんなさい」


 肩口に向けて発砲。吹き飛んだ上腕はそのままにした。また悲鳴。そして鮮血。臭いを感じないようにできるのは補装具のいいところだ。


 『イライ、どうして』


 「ごめんなさい、あなた。わたしがこうなったのに、あなただけが正しく逝くのはやっぱり許せないの」


 『お前は、お前は、だれだ……?誰なんだ』


 「忘れたのかよ」


 発砲。下顎が無くなった。もうおとうさんの説教は聞きたくない。発砲。臓物がずるりと落ちた。引き抜いてごみ箱へ。発砲。耳が取れた。抜けた乳歯の要領で屋根に放る。

 夕暮れの街は混乱していた。この銃があればサイボーグと言えど下手に手出しできない。補装具に入ってから長く忘れていた「死」そのものだから。撃たれれば死ぬ。そんな当然が街を制圧していく。まあそんなことはどうでもいい。事を終わらせられるだけの時間を稼いでくれれば、それ以上は望まない。


 しかし、死を恐れない半人半機がそこにいた。


 『銃を捨てて』


 怒っているようにも、泣き出しそうにも聞こえた。モノクロ写真みたいな少女が、私の前に立ちふさがる。


 「騙してごめんなさい。あとちょっとで終わるから、もう少し待ってくれないか」


 替わりにあばら骨をちぎって捨てる。七面鳥を解体した時のことを思い出す。


 『どうしてそんなことを』


 「お前も同じことを言うんだな。こいつはな、私を眠らせてくれなかったの。そして私をバラして捨てたんだ。ぼくだって同じようにされるんだ。そんなこと許せるか?許せないわよね?」


 首を引っこ抜いた。これはもう少し細かくしなくちゃならない。地面に置いて、拳銃の弾が切れるまで撃った。


 「私だってお前を殺したくはないんだ。お前には感謝しているんだよ。すべきことを思い出させてくれたし、ぼくを助けようともしてくれたし」


 『黙れ』


 「私に撃たせないでくれよ。この銃はサイボーグでも殺せる。あなたを撃っちゃったら、なんのためにあなたの仲間を黙らせないであげたのかわからないじゃない」


 だがルーは一歩も引かない。どうしてだろう。彼女は死なないために生きてると言ったはずなのに。これを見せればわかってくれると思ったのに。


 『確かにサイボーグは殺せるかもしれない。でも』


 灰銀の瞳が輝きを変える。


 『半獣半機(わたし)には当たらない』


 虹色の光とともにその獣が飛び出した。標準は合っている。トリガーを引く。この世の終わりのような爆裂音と共に、超音速の殺意が彼女を貫いた。


 はずだった。


 「え……?」


 目の前に黒い補装具。そして極彩色の瞳。一瞬前まで灰色だった少女の光彩。

 外した。信じられなかった。

衝撃。強烈な蹴りが顎を捕らえ、一撃で意識を刈り取られた。


 「どう……して」


 あるいは、ぼくの世界が彩度を取り戻したのは今だったのかもしれない。白黒の中で爛々と輝く虹色を最後に、私の記憶は途切れた。

 

 

 

Debriefing


 超微細水晶体集積型試製十二号人工複眼。


 それがルーの眼に埋め込まれた装置の名前だ。ごみ漁りに使っているヘッドギアの発展型にして完成形。約三万個の眼の集合が、究極の動体視力を使用者に提供する。あまりにも「目が細かい」ため、光学ディスクやしゃぼん玉などと同じように光の回折現象が発生。角度によってその色を変える、「虹の眼」というわけだ。

 もちろん普通の人間がこんなものを使いこなせるはずがない。ある実験対象はその膨大な視覚情報を接続された瞬間、発狂死した。しかし彼女は、ルーは生まれた時からこの眼を接続していた。元々彼女は目も耳も鼻もない未熟児で、サイボーグにならなければ生まれることすら許されない存在だった。彼女は唯一与えられた光を必死に求め、この人工複眼を自分のものにしたのだ。


 「これが君の敗因だ。ルーと君では年季が違ったということだ」


 その後、ブレンドによって拘束されたイライは抜け殻のようだった。どうやらあの予測は本当だったようで、母の復讐と自分の身を守るためにあのような凶業に走ったらしい。お陰で議会議員リカルド・サンチェスは死亡。議会にパイプを作るどころか新たな確執を作ってしまった。発射されたHVAPは五発。死傷者は一般人含め四名。補修工事大小合わせて三十五箇所。部隊の損害は大きい。


 「すっかり君に振り回された。癇癪を起こすのは結構だが、周囲を巻き込むのは勘弁願いたいね」 


 イライは拘束されていない。する必要がないくらい、彼からは気力を感じられなかった。時折口を開いたかと思えばごめんなさいと呟くのみ。ありがちな反応なので興味はなかった。

 しかし、先刻の彼は明らかに彼でない人格が混ざりこんでいた。細胞記憶があるなら、補装具に記憶があっても不思議ではないのかもしれない。九割方、単なる思い込みに過ぎないだろうが。


 『罰は』


 急に顔を上げたイライが言う。


 『ぼくを罰しないんですか』


 切羽詰まったような表情だ。彼の実家は母子家庭に近かったらしい。罰を求めるのはよくある傾向だ。ブレンドが重々しくそれに答えた。


 『あんたを罰しても私達に何のメリットもない。感情的な充足だけの私刑は、私達部隊の望むところではない』


 『どうして』


 ほぼ同じタイミングで、部隊の全員がため息を漏らした。惨めだ。だが、彼は明日の自分の姿かもしれない。その空っぽな問いには誰も答えたくなどないのだ。


 『お前に罰は与えない。故に赦しもない。さっさとここから出て行け』


 イライはふらふらと立ち上がり、ラボの扉に向かって歩きだす。ルーは彼に何事か言おうとして、言いよどんだ。イライは彼女を見もしなかった。

 

 そして彼は街に消える。

 

 

 


「街に消える」完


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ