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彼女が居なくなった教室は、今まで以上に静まり返っていた。誰もが息を潜め、時だけが流れていく。






「ーータマのやつ、穢れ祓いこそ教員に任せりゃ良いのにな」






「穢れ祓いまでしてこそ巫女の勤め、なんだろう。誰も怪我はないな?」





「…はい。あの、煌希様。タマちゃんは、大丈夫なのでしょうか?」





蝶子の言葉に狐の次期当主、御先は口を閉じる。大丈夫だと言えば大丈夫なのだろうが、自分がそれに対して答える術がなかった。





栫井環妃という少女…いや女性に、九尾の狐である己でさえも恐れを抱かずには居られない。何を考えているのかも分からないからか。底知れぬ力を持っているからなのか。その両方なのかも知れないが、とにかく気を付けて相手にしなければと思ってしまう。





「あれは大丈夫だよ、イヅさん」





「なんや、朔夜?昔馴染みの自信か?」





「そうだよ。あの程度で弱る巫女なんて、ワタツミ様は必要としないしね」





「ワタツミ?」





「ありゃ、知らない?花嫁にゾッコンの海神のことだけど」






朔夜の言葉に妖たちは目眩を覚えた。なんとなく、なんとなく分かっていたけれど。まさか、本当にそうだったとは。思いもよらない、思いたくもなかった事実に目の前がチカチカした。





『そりゃ、鬼に突っ掛かって消し飛ばしているしな』とか『だから尋問だのなんだのって自信ありげに言ってたんだな』とか、それだけで納得はいったけど。





父にイザナギ、母にイザナミ、弟にスサノオを構える家宅六神が一柱として生まれた、大海を統べる神ワタツミ。裏世界では最強かもしれぬとまで言わしめている神でもある。






「あまりのビックネームに言葉が出ねえ」






「ワタツミ様は、花嫁にゾッコンだけど、愛弟子で姫巫女でもあるアイツのこともゾッコンらしいよ。えっと、親バカって言うんだっけ?」






「…ワタツミ様が、親バカ」






「俺も聞いた話だから知らないけど。だから、まあ、あれだよ。アイツはさ、神様ばっか相手してたから、人と関わるの下手くそだし、元々不器用だから、」






「ーー斎火くん。だぁいじょうぶ。誰もタマちゃんを否定しないよ。タマちゃんが不器用なのも知ってるし、アレはひよたちを思って言ってくれたことなんだよね」






気まずそうに頭を掻く朔夜。つっけんどんだった犬神の青年が、人間臭い表情をしている。そのことに女子生徒たちの心は温かくなった。うっすらと微笑んでいる少女もまた、変化し始めているクラスに胸を高鳴らせていた。






花嫁だからと守られていただけの日々。それはやがて、見えない壁となって立ちはだかっていた。






ひよと嵬くんの間にも壁があったんだよ、タマちゃん。それが、ちょっとだけ脆くなった気がするの。タマちゃんのおかげだよ。何も知らない花嫁だったけど、ほんの少しだけ彼らが生きる世界を知ることができたから。






「嵬くん。嵬くんたちが生きている世界のこと、ちゃんと教えて?」






「……しゃあないなあ。煌希、特別授業の予定入れといてや?」





「……はぁ」





「煌希、いずれは教える時が来るんだ。今教えたって、後で教えたって何も変わらないよ」






気乗りしない御先の肩を軽く宥めるように叩く朔夜。





御先は何も知らない無垢な花嫁のまま、飯綱のことを真綿で包み込みたかった。狂おしいほどの愛情は、鳴りを潜めることはない。溢れ出さんとする熱烈な愛は、御先の理性さえも焼き尽くそうとする。飯綱の目を耳を己の手で塞ぎ、手足は複数ある尾で絡め、御先煌希という存在に縛り付けていたかった。





ーーーその願望は、収まりを知らない。






「あかんな、煌希の奴トんどるわ」





「…はあ。どうせ教えなきゃならないんだし、明日にでも組んでおくようにしとくよ」





深い思考の海に堕ちた御先を横目に、特別授業の段取りは滞りなく進んでいく。






その狂気染みた愛情を抱くのは、何も御先だけではない。この場にいる全員が抱えているものだ。その愛情は、花嫁にとって盾にも矛にもなる。






何も見せないという盾。

汚ない世界の一辺でさえも見せたくないという願いは、自分たち妖に対して、恐ろしいという感情を、記憶を持たせたくないという想いからなるものだ。






何も見せないという矛。

何も教えられず、愛されているだけの日々は花嫁にとってストレスにもなる。花嫁にとって妖の狂気染みた愛情は、本当の狂気になりかねるのだ。他の妖から命を狙われる可能性がある中で、外出も自由にさせてもらえない。心を病み発狂する花嫁も少なくはない。






「栫井にぶん殴られるよ、煌希」





「…っ」





「皆、怪我ひとつなく生きてるんだから。花嫁たちはもう寮に帰らせて、俺たちも対策を立てないと。元老院や教員は役に立たないし」





「やるっきゃないか。ほな、夕食後に寮の特別室で会議っちゅうことでええな?」





「「はい」」





「それまではじっくりゆっくり花嫁と向かい合うといい」





「朔夜は何処に行くんや?タマのとこか?」





「さぁな」






背を向けた朔夜に、飯綱が声をかけた。それは、二人が知り合いだと分かってから、ずっとずっと疑問に思っていたことだ。





「ーーあのっ、斎火様!なぜ、タマちゃんのことをアレとかアイツとか仰るんですの!?タマは無理でも、せめて栫井とでも呼べばっ」






「あー…。イヅさん、それはアイツ、じゃなくて栫井に聞いて?答えてくれると思うよ。じゃ、またあとで」






振り返った顔は困惑でいっぱいだった。なんであんな顔をするんだろう。飯綱は必ず聞き出そうと密かに手を握った。



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