侵攻
手直しして10話くらいまで投稿しなおします。
気が付くと、そこには知らない白い天井があった。口には覆いかぶさるようにして空気を流し込んでくるものが、左腕には半透明の管が繋がる針が刺さっており、ここが病院だとわかる。
(そうか、俺は現実に帰ってきてしまったんだ。)
少年がヒーローになれた場所はもうその目の前には存在しない。
(さよなら、異世界。)
――それから十年が経った。
二十五歳独身。大卒。職業フリーター。それがこの男――佐藤勇人の肩書である。
フリーターとは名ばかりで、親からもらった月2万の小遣いが切れたらその補填のために短期バイトをする、ほとんどニートに近い生き方をしていた。
十一年前。彼、勇人はごく普通の高校生であった。しかし不幸とは突然訪れるものだ。
その年の夏のある日の夜、友人の家に自転車で移動していた時だった。背後から迫ってくる車のヘッドライトの灯りがやけにフラフラと、落ち着かない挙動をしていた。疑問に思い後ろを振り向いたその刹那――飲酒運転をしていたドライバーが運転する自動車に轢かれ、そのまま意識不明の重体になってしまった。
彼の意識は黒で塗り潰した闇の中にあった。訳がわからぬまま必死にここから出ようと、生きようと藻搔き、足掻き、苦しんだ。
それはいつだったか。そのときの彼の意識は苦しみに朽ち果て、もう気力なぞとっくに尽きていた。もうどうでもいいとただ漂っていた。その中で黒い空に灯る一点の光を見つける。まるで誰かが自分を呼んでいるかのような、そんな気さえした。彼が辿り着いたのは、苦しみの――いつまで続くかわからない暗闇の果て。
あとはただ、そこへ吸い込まれるようだった。
それは、運命であった。
それまでにいた暗闇からすれば眩しすぎる光に目を開けると、そこは――異世界であった。人間と亜人が闊歩し、竜が空を翔び、魔法が交わる、そんな世界。最初は幻かあの世かと疑いながらも、やがて実在する世界だと気づく。
目の前の常識を超越した光景に頭が痛くなっていたが、ある出会いによってそんなことはどうでもよくなった。
目の前に現れたのは少女。それはそれは美しい少女であった。
そして告げられる凡才なる自分が呼ばれた理由。
「世界を、救ってほしい。」
聞けば憤怒の魔王とやらが復活したらしい。
確かに最初こそ戸惑いはしたが、自らに宿る強力な力とその地で仲間となった多種多様な者たちと共に、この世界を救うため苦難の道へと出立した。
それから一年。世界を救う勇者として全ての元凶である魔王を倒し、英雄となった。
勇人は思う。このままここにいたい、と。しかし、どうやらそんなことはさせてくれないらしい。
もう二度と会えないであろう、そしてもう二度と現れないであろう、ここまで信頼できる者たちと、眩い光の中別れた。
時は経ち、十年。
最初は一年のブランクを取り戻すため高校へと通い、その後大学も受け、現役のまま合格した。順風満帆だった。
そこまでは。
不幸だったのは、他の何でもなく「全ての記憶が残っていたこと」だった。彼が歪んだ原因は異世界で得てしまった苦難過ぎる経験と、自分は「世界を救った英雄である」という矜持であった。
周りから見れば滑稽であった。しかし彼からすれば当然なのだ。彼は何度も何度も何度も死に、何度も何度も何度も蘇り、その果てに世界を救ったのだ。ならば讃えられて当然だろう。だが、周りはわかってくれない。妄言吐きの狂人と見做す。俺はお前たち「凡才」とは違うのだ。それをなぜわかってくれない。
そんなことに頭を抱え、数年かけて「佐藤勇人」という枠組みは歪んでいった。
最初こそ社会で働きはしていたが、凡夫たちとは相容れなかった。相容れるわけなどなかった。あとは二十五歳までの三年間、一人隔絶された世界で今日この日まで生きてきた。
●
「……金が無いな」
足繁く通う最寄りのコンビニからの帰り、財布の中身を見た勇人はポツリと呟く。
「またバイトでもするか」
ライブの準備なんてどうだろう、と考えていると――
――夕焼けに染まりつつある空に、一点の漆黒があることに気がつく。それは徐々に徐々に大きくなっていった。しかも何か巨大なものが降ってきているようだ。
「あれは、あの世界へのゲートか?」
あの世界。勇人が唯一英雄になることのできる世界。歓喜に打ち震える。またあの場所、あの者たちに会える。そうすれば凡人共に囲まれ腐るだけだった自分は再び誇り高き英雄になれる。
「ネットはどうなってる?」
ふと、いつも自分が確認しているサイトを覗く。あれは果たして自分以外も見えているのか。
「ふふ」
思わず笑ってしまう。どうやらあの広がりゆく黒点はこの世の全てのものに見えているらしい。しかも情報によれば、竜が降りてきて辺りを破壊しているという。
いうなればこれは『異世界侵攻』。どうやらあの世界の者たちは、こちらを滅ぼすつもりらしい。
「……どちらの世界でも英雄になれるじゃないか」
一つの案がその昂る脳に浮かんだ。
向こうの世界を救った英雄として話を持ちかけ、こちらの世界を救う。このような状態であれば異世界のことを信じるだろうし、これで彼のことを狂人だと喚いていた者も、彼のことを英雄だと認めざるを得ない。
興奮に息を荒げる。
「完璧だ」
あの世界への行き方は知っている。あとはこちらの世界を俺が救ったということを広く伝えるにはどうしたらいいか。そんなことを悩んでいると、右ポケットに入っているスマートフォンに手が当たる。
(閃いた)
勇人は準備に取り掛かるためすぐに帰宅する。
大手動画サイトで生配信を始め、そのURLを大手提示版やSNSに載せる。そして英雄に相応しい立ち振る舞いでレンズの向こうにいるであろう証人たちに向けて話しかける。
「この世界の皆さん、こんにちは。俺はかつて向こうの――今攻めてきている世界を救った英雄、佐藤勇人だ。この話を聞いた人は俺のことを狂ってるだとか頭がおかしいだとか思うかもしれない。しかし、安心してほしい。今までこの話を聞いた人は皆、そんな反応だった。今更どうこうは思わない。けど」
そこで一拍置く。
「みんなわかるだろ?あの者たちはこの世界のものじゃない。異世界の住人だって。――今から俺はあちらの世界へ行き、英雄として侵攻を止めるように言ってくる。だからみんなにはその証人になってほしいんだ」
ここで勇人は道路へ出て、スマートフォンを三脚に固定し、道路側に立つ自分を撮影する。
「……これは、非常に危険だ。正直いって賭けだ。一回しか行ったことはないからね。みんなは真似しないでくれよ?責任は取れないから」
気丈に振る舞いウィンクする。
本当に賭けであった。しかし。確固たる自信があった。だから緊張で早まる鼓動に気づいても次にとる行動を止めるようなことはしない。
英雄、英雄、英雄。俺は世界を救う英雄になるのだ。
「次会うときは俺は英雄だ!それじゃあ!」
まるで大好きな主人を見つけた子犬のように、道路に向かって駆ける。
そして右手から車が迫り――
――次の瞬間意識は無かった。