伊勢海老との戦い
文章力を上げる為に書いた短編です
今日俺の家には楽しみにしていた奴が届く。
身はぷりぷりで、頭を味噌にすれば最高に美味しいあいつ。
嫁も子供も楽しみにしていた伊勢海老は今日の昼間に家に届く予定だ。
俺自身も楽しみで、奴の味を思い出しながら期待を膨らませた。以前奴を食べたのは八年以上も前の話、見た目や味などは思い出せないが、美味かった事は思い出せる。
ーー
そして小さな段ボールが家に届いた。
配達員に受け取った最初の感想は喜びの前に「重い」だった。
その足でキッチンに運び、中を確認してみると、奴が居ない。ワインのコルクを粉々にしたような形の木屑が敷き詰められている。
冷凍の蟹のように凍らせて届くだろうと考えていたのに、予想と大きく外れた。
俺は不思議に思い、親父に確認してみた。
「家に届いたけど、間違えて送った?」
「掻き分けて見た? ちゃんと入ってるよ」
キッチンが木屑まみれになる事を嫌がった俺は、箱の中まで確認していない事に気がついた。
木屑がキッチンの床に落ちないように慎重に掻き分け、中に潜んでいるという奴を探す。
作業を始めて数分も経たない内に奴の特徴である長い触角が見えた。
(やっと見えた! あれ? こんな感じだっけ?)
記憶にあるこいつの大きさはもっと小さかったようなイメージがある。だが今見えている触角は太く、赤黒くて違和感しかなかった。
俺が戸惑いあたふたしていると事件が起こった。
何とこいつは動いたのだ。箱の中、遥々800㎞もの間車に揺られ、釣り上げられて二、三日は経っているはずなのにこいつは生きていた。
それも一匹だけではない。小さめの段ボールの中に巨大な伊勢海老が七匹もギュウギュウに詰められていた。
確かに弱り果て動かない者もいるが殆ど全てが生きている。
親父が釣ってきたイカや魚程度なら生きたまま捌いたことが何度もあるが、こいつは別次元の敵だ。
蠢めく足、長い触角、体周りには天然の硬い鎧まで装着している。
(勝てない……)そう悟った俺は勢いよく蓋を閉め、無かった事にしようと試みた。自分の食欲には勝てない。
だが、こいつと戦う方法が思い浮かばない。
そこで俺は戦い方を知っているであろう親父を家に呼び出し、戦闘指南を受ける事にした。
幸い、親父を待っている間も箱を閉めていたからか奴に動きはない。この待ち時間で七匹全員が暴れ出したら自分の聖地であるキッチンが木屑で汚され、最悪俺も殺されてしまうだろう。
俺は自分の部屋に一時離脱し、親父が家に来るのをひっそりと待った。
嫁と子供も帰宅し残すは親父のみ。
数時間後、親父が家に来てくれた。
「こんなのも作れんのか? 簡単やろ?」
親父は素手のまま戦場に赴いた。
手際良く……とはいかないが、箱から一番弱っていた一匹を取り出した。
すると弱っていた筈の奴が急に暴れ出し、俺の神聖なるキッチンに木屑が飛び散った。
親父は悪びれもせず、流し台の蛇口を捻り奴に付いた木屑を洗い始めた。
強靭な尻尾をビクビクとさせ、キッチンが水浸しになる。
親父は、そんなことは御構い無しに頭と胴体の間に包丁を入れ、頭と身体を切り離した。
これで被害は抑えられた。そう思ったのも束の間、身体だけになった奴はまだ活き活きと動き出した。
普通の魚なら首を落とせば動きは止まる。こいつらは化け物だった。
俺は、無謀な戦いに挑まなかった事に安堵し、惚けた面構えで親父の戦いを見守った。
数分もしないうちに解体され、身体を刺身に、頭を味噌汁にして貰ってその日の食卓に並べた。
刺身はぷりぷりで、それでいて歯ごたえがあり、深い甘みのある味。高級食材に分類されるだけあってその味は美味であった。
食事も終わり、俺は残っている奴らを見た。今度はは俺が戦わなければいけない。
この味をもう一度味わうには越えなければいけない壁がある。
俺のお腹は未だ腹八分だ。今から一匹捌いてしまえば丁度お腹いっぱいになるだろう。
だが、親父が三匹親戚の元へ連れて行ったおかげで残りは二匹だ。一日で食べてしまうには非常に惜しい。
そこで俺はこの日の戦いを延期した。
一日経てば奴らも弱ってくれるかもしれない。そう、これは戦略的撤退でもあるのだ。お腹がなっていても気にも留めず、俺は奴らとの戦いから逃げ出した。
ーー
翌日の昼、家事を早々と済ませ、この日の晩御飯の為に俺は献立を考えていた。
インターネットを開き「伊勢海老 レシピ」と検索するとバター焼きやマヨネーズ焼き等、どれも食欲を唆るものばかりだ。
一匹を刺身にしてもう一匹はマヨネーズ焼きと決めた俺は、早い時間から覚悟を決めて臨戦体制に入る。
目標は段ボールの中に潜む巨大な伊勢海老二体。
親父に習って勢い良く蓋を開け、奴らとご対面した。一日経ったことで、そのまま動かなくなっているものと信じて。
だが、それは甘い期待だ。奴らは今迄動かない事で生命の維持をし、俺との対決を待っていたのだ。
頼りになる親父は居ない、俺は決意を胸に宿し、対決に臨んだ。
先ずは奴らの戦力確認。どこまで動けるのかの把握だ。
俺は鍋の蓋とお玉を武器にして慎重に近付いた。
お玉で一匹の触角にフルスイング。空振る。
次は小さくスイングして確実に目標に当てに行く。
すると尻尾の部分を機敏に動かし、箱から飛び出そうとビクビク動き始めた。それだけではない。奴は何本も生えている足を器用に動かして俺に威嚇行動をしてきた。
箱の中に残っていた木屑を撒き散らし、瀕死の虎の様な動きで暴れ始めた。
俺は、咄嗟に鍋の蓋で押さえ込み、被害の軽減に全力を尽くした。鍋の下では二体の獅子が暴れ、俺の手を押し退けようと何度も体当たりをして来る。
やがて、数秒経つと動きも収まり、死に絶えたかに思えた。
ゆっくりとした動作で蓋を上げて中を確認すると、奴らは触角のみを動かしていた。
(弱っているのかな? もう少しで死ぬかも?)
奴らの動きが段々弱まっている事に気付いた俺は、持久戦に持ち込む事にした。
お玉でつつき、跳ねてきたところを蓋で止める。触角にフルスイングをおみまいし、敵の全力を確認する。
繰り返すうちに分かったことがある。
奴らの触角、赤黒い見た目、硬い鎧、そして長く伸びた触角。何よりこの生命力の強さ。
全てにおいてアイツと似ている。俺が今迄何度となく戦い、敗れてきたあの天敵。
コードネーム[G]。
今回の敵は弱ってはいるものの、全ての特徴がGと酷似している。
日も暮れて、嫁や子供達が帰って来ても俺の戦は終わらない。
額からは冬なのに汗を流し、顔が青ざめていた俺を心配し、嫁が救援を呼んでくれた。
そう。[親父]だ。
俺は情けない気持ちで一杯になった。子供にこいつを食わせてやりたい。嫁に上手い味噌汁を食わせてやりたい。
頭で考えても俺は分かってしまった。こいつには勝てないのだと。
そして俺の戦いは終わった。