1 ダンジョンIN
ぱたぱたとクラスメートの如月さんが前方から走ってくる。私は歩きながら廊下の左側へと寄った。
ちらりとすれ違い様に見ると、如月さんのポケットから何かが落ちた。
「あ、如月さん」
思わず声をかけると、数歩先で如月さんはきゅきゅっと靴音をたてながらオーバーに体ごと振り向いた。遅れて長い髪が窓から差し込む光に照らされながら、ふわりと回った。
「えっ!? なにっ?」
威勢のよい問いかけに苦笑しながら、私は一歩如月さんの軌跡に移動して、床に落ちていたものを拾い上げる。小さなお菓子のパッケージだった。
「落としたよ」
「あっ! えへへ、ありがとっ」
如月さんは目を見開いて自分のブレザーのポケットを叩いて確認して、照れ笑いをしてから近寄ってきて、右手を差し出した。
それにお菓子を置いてあげる。
「気を付けてね。あんまり走っちゃ駄目だよ」
「わかーってるって。はい、お礼」
小動物のような如月さんは簡単に転んでしまいそうで、ついつい私はお小言のようなことを言ってしまう。
如月さんはそれを聞き流して、パッケージを開いて中のお菓子を出すと、ぱきっと二つに割って私に差し出した。
「拾ってくれたから、出血大サービスの五割あげちゃう」
「ありがと」
「どーいたしまして」
お菓子を受け取ろうと、右手で掴んだ。
「……!? え、え?」
「はぁ!?」
掴んだ瞬間、如月さんの背景がありふれた昼間の廊下から、暗い岩肌になって、意味もなく右手に力をこめながらきょろきょろした。
首を回すと、当たり前だけど如月さんのバックだけが変わったんじゃなくて、私の後ろも横も全部変わっていて、まるで、瞬間移動したみたいだ。
如月さんも驚いて首を回していて、きっと同じように力がこもったんだろう。ぱきっ、とお菓子は割れた。
とりあえずそれを口に入れながら、落ち着けと私は自分に言い聞かせる。
「如月さん。私は突然瞬間移動して驚いてるんだけど、実はこれ、如月さんグルのどっきりってことはないよね?」
「なっ、ないよ!!」
だよね。言ってみただけだから、そんな怒らないで。
如月さんが物凄く動揺して叫ぶから、私は少し冷静になれた。
とりあえず、神隠しとか、不思議なことはまあ世の中にないこともない。突然超能力に目覚めたとかなんとかで、瞬間移動したとして考えていこう。
まず、ここはどこだろう。
「落ち着こう、如月さん。洞窟みたいだね。明るいけど、どこかから、明かりが入ってきてるのかな」
「お、おおっ、落ち着いてられないよ! どうなってんの!? ここどこ!?」
「私にもわからない。でも、慌てたら余計に危ないよ。避難の時のルール、言える?」
「え? ルール? え?」
「おはし。押さない、走らない、喋らない」
「おはし!? え、おかしもて。じゃない? 押さない、駆けない、喋らない、戻らない、低学年優先で」
「駆けないとは、斬新だね。とにかく落ち着いて」
本当は私も『おはしもて』って思い浮かんだけど、『もて』が思い付かないから抜いてた。如月さん、意外と物覚えがいいなぁ。
「あ、う、うん。そうだね。危ない、もんね」
関係ないことを話したからか、如月さんも落ち着いたらしい。
よし。如月さんがパニックになって変なことされたら、私まで大変なことになるかも知れないしね。
落ち着いて回りを見回す。
上下左右どこを見ても岩のような、ごつごつした茶色の壁だ。奥に一ヶ所だけ通路のように穴が空いていて、それ以外には穴はなくて、どうして明るいのかわからない。
携帯電話をとりだしても、当然のように圏外だ。如月さんも同じらしい。どうするか。ひとまず、回りを調べよう。
今いる広場のように広い部分は、天井は体育館みたいに高い。穴はそれほどではないけど、でも二メートルくらいある。
穴の奥は遠くまで続いてるみたいでよくわからない。近寄ると、わずかに風が流れているのが感じられて、動物の遠吠えのようなものが聞こえる。
広場を慎重に一周する私の後ろを、如月さんはひょこひょこついてきて、きょろきょろして、遠吠えにびくびくしてる。
構ってあげられるほど私も心的余裕がないし、他のところを見てよと思ったけど、やっぱり自分の目で全体を確認したいし、視界から如月さんが消えても困る。
「如月さん、手を繋ごうか」
こんな空間、見張らしはいいし、はぐれるわけもないし、他に何もいないから穴さえ警戒すれば何もないとは思うけど、でもそもそもこんなところにいること自体がおかしい。
万が一床が空いて落ちる、なんてこともないとは言えない。万全を期そう。
さっきからちょいと如月さんを戦力外扱いしてる私だけど、如月さんがいなくなるなんて考えられない。例え如月さんじゃなくて近所の犬だとしても、居た方がいいに決まってる。こんなところに一人なんて耐えられない。
「う、うん!」
如月さんも同じように思ってるようで、ぱあっと表情を明るくして、元気よく私の手を取った。
如月さんとはクラスメートとして、挨拶したり掃除や同じ班活動で言葉をかわすくらいで、友達と胸を張れるほどの関係ではなかった。
当然、手を繋いだりなんてしたことない。如月さんは体も小さいけど、手は思ってたよりも小さくて細くて、ちょっとぎょっとした。
力を入れたら折れそうだ。気を付けよう。
如月さんと壁や天井、床にも目を光らせつつ、ゆっくりと一周して元の場所まで戻ってきた。
「特に何もなかったね」
「う、うん」
如月さんは頷きながら、ちらりと右下へ視線をやる。私もそっちを向く。
最初に居た場所から、私からして左手足元に、これ見よがしに宝箱があるのだ。
そう、宝箱。RPGでは洞窟内にあるのでお馴染みの、それ自体に宝石っぽい色ガラスがついてる宝箱。
あやしすぎて、とりあえずスルーしたけど、このまま無視して穴の奥へ進むわけにはいかない。
「……開けよう。蹴っ飛ばすから、如月さん、後ろに下がって」
「あ、危なくないかな?」
「危ないと思うから、下がって」
宝箱に罠があるとか、魔物とか、ゲームではお馴染みだ。非現実的な妄想だと切って捨てるには、この状況が非現実過ぎる。
本当は棒とかで開けたいけどないし、石ころは落ちてるけど、これでこの大きさの箱を転がして開ける自信はない。
手を離して如月さんを後ろに下がらせる。
「1、2、3の、3でいくから。いいね。1、2、3!」
南無三!
と心の中で唱えながら、思いっきり右足で蹴った。蓋が開くように、爪先で蹴っ飛ばした。
ガタガタっと音をたてて、一瞬箱ごと宙に浮いて、勢いよく蓋があいて、地面をバウンドしつつも倒れずに着地した。
「っ………大丈夫、かな」
蹴った瞬間に後ずさりして距離を取ったけど、特に宝箱は動いたり音や臭いをだしたりしてない。
そっと箱に近寄り、もう一度軽く箱を蹴るけど、反応はない。石を拾って投げ入れる。反応はない。
「……」
ゆっくりと近寄り、中を覗き込んでみる。特に宝箱は動き出すこともなく、中には2つ折りにされた紙が一番上で、その下には何やら色々入ってる。
もういっちょ、石を入れても反応はない。ゆっくりと、フェイントを交えながら手を宝箱に入れ、素早く一番上の紙切れだけ取り出した。
「……宝箱は問題ないみたいね」
「な、なに? 紙?」
如月さんが、おずおずと近づいてきた。私の背後まできて箱の中を覗きこむ。
紙をどけると中は一番上には布がある。膨れてるからたくさんあるみたいだけど、とりあえずはこの紙だ。
如月さんの視線を受けながら開いた。