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 神保町へと到着すると、シノユキはコインパーキングに車を停めた。

 二人は車を降りて靖国通りの方へと歩き出す。するとすぐに、アンは街が賑わっていることに気づいた。


「今はちょうど古本まつりの時期だ」


 シノユキの言葉を聞いて通りへ出るなり、アンは目を輝かせる。曇り空の下、通りには淡い光を放つ提灯と、様々な古書が敷き詰められた屋台が並んでいた。

 まつりの名に相応しくかなりの人出があり、屋台の前では老若男女が本を物色している。

 洋書も数多くあるためか外国人観光客の姿も多く、アンもその中に自然に紛れ込む。

 しかし、そのアンの襟をシノユキが掴んで引き留めた。


「誰がまつりを満喫しろと言った」

「ちょっと、猫じゃないんだからやめてよ!」

「それなら人間らしい理性を見せろ。行くぞ」


 アンは近くの屋台にあったハードカバーの本でぶん殴ってやろうかと思ったが、本が可哀想だとなんとか思い止まった。

 シノユキは少し先にある本屋の中へと入っていく。アンは人混みに若干苦戦しながら、シノユキを追いかけた。

 その本屋は洋書を主に取り扱っており、棚には学術書や全集など、かなり年季の入った大判の本が陳列されていた。アンはまたそれらの本に目を奪われそうになるが、店の奥にいるシノユキのところまでまっすぐにやってくる。


「なにか買い物でもするわけ?」

「いいや。通り道だ」


 シノユキは店内に他の客がいないことを確認して、どこからともなく黒い本を取り出す。

 それはただの黒い本ではなく、“管理対象”――コロンシリーズだった。

 アンは目の前の店員に目をやって口を開こうとするが、それよりも早く店主が「お通りください」と小さく言った。


「……え?」


 シノユキは言われた通り、カウンターの奥にある扉へ入っていく。アンは本の手入れをする店主を一瞥して、シノユキに続く。

 薄暗い店の奥には、陳列しきれなかったと思われる本が積まれていた。そしてアンの目が闇になれてくると、そのさらに奥に扉のようなものがあることに気づく。

 扉の脇にあるボタンをシノユキが押すと、薄闇の中に“C2”という光が浮かんだ。


「エレベーター……?」


 アンの推測通り、その表示はC1、B2と切り替わっていく。そして1Fの表示に切り替わると同時に、その扉の奥で唸るような音が聞こえ、到着を告げるベルが鳴る。シノユキはその古びたエレベーターに乗り込んだ。


「どこへ行くか、お前は知っているだろう」


 そう言われて初めて、アンの脳内で昨年の出来事がフラッシュバックする。生唾を飲み込んで、エレベーターへと足を踏み入れた。

 シノユキがC2のボタンを押すと、扉は閉まり、小さな箱は二人を地下へと運んでいく。

 少しして扉が開いた時、目の前に現れたのはあの地下通路だった。


「こんなところから入れたのね……」

「ここだけではないがな」


 そう言って、二人は地下通路を歩き始める。アメリカ支部でも似たような通路を日常的に歩いていたアンだったが、最初の印象が悪かったせいか、この東京の地下はやはり居心地が悪かった。

 だが見覚えのある通路に入ると、少しだけアンの表情が和らぐ。少し先の方には、あの扉が見えてきていた。


「……あの子、まだいるの?」

「有栖川様を“あの子”呼ばわりか。資料をもらってから随分出世したらしいな」

「皮肉はやめて。最初に会った時はどんな立場かなんて知らなかったんだもの」


 扉の前まで来てシノユキがインターフォンを押すと、中から「はーい」という気の抜けた少女の声が聞こえてきた。

 施錠機構が動き出し、鍵が開く。そしてすぐに、内側から扉が開いた。

 顔を覗かせた少女は、アンを見て微笑む。


「お久しぶりです、アンネさん」

「アンでいいわよ。有栖川様」


 玄関から上がると、アンはユウコの格好を見て目を丸くした。


「どうしたの、エプロンなんてして……」

「ああ、これですか。実は最近料理を勉強し始めまして」

「へえ、女の子らしくていいじゃない。なにか作っていたの?」

「ふふ、前にお話した客間で待っていてくださいね」


 ユウコは得意げに言って、奥の部屋へと小走りで戻っていった。アンが鼻をすんすんと鳴らして匂いに集中すると、ほのかに食欲を誘う匂いが漂ってくる。


「猫じゃなくて犬だったか」

「あなたは嫌味を言わないと死ぬ病気かなにかなの?」

「そうらしい。客間は?」

「こっちよ」


 アンはシノユキを連れて洋室に入ると、キャリーバッグを部屋の隅へと置いてソファに腰掛けた。そこは昨年アン自身が座ったのと同じ位置。年下の女の子に醜態を晒したことを思い出し、少し気恥しい気持ちになる。

 間もなく廊下からスリッパの音がしてきて、客前の前で止まった。


「すみません、開けていただけますか」


 立っていたシノユキが扉を開けると、お盆を持ったユウコが笑顔を見せる。


「お昼ご飯まだでしょう? お蕎麦を打ってみたので、良かったら召し上がってください」


 ユウコは様々な調度品の並ぶ純洋風の客間に入ると、ベルベットのソファに座るアンの前に、湯気の立つ丼を置いた。


「……あ、これなら和室の方が良かったですね。すみません」

「気にしすぎよ。アメリカには牢屋みたいな場所で寿司を食べる店もあるしね。……良い香り」

「長南さんも、座ってください」

「失礼します」


 先ほどまでとは打って変わって従順な態度のシノユキに、アンは露骨に驚いた顔をする。


「あなた誰?」

「蕎麦が伸びるぞ子犬」

「……安心したわ」


 ユウコは二人の対面に座ると、また笑みを浮かべた。


「私も安心しました。仲良くやっているようですね」

「素晴らしい観察眼をお持ちだわ」

「ありがとうございます」


 明らかに皮肉だったが、嬉しそうにするユウコを見てアンは苦笑した。そしてようやく箸を手に取り、蕎麦を食べようとする。が、不慣れな箸に苦戦してろくに麺を掴むことができなかった。


「フォークをお持ちしましょうか?」

「いえ、結構です」


 口を開きかけていたアンが隣を見やる。


「なんであなたが答えるのよ」

「研修の目的に反する。郷に入っては郷に従え」


 これまでなんとか我慢してきたが、堪忍袋の緒が切れた。アンは箸を置いて両手で丼を持つと、口をつける。そしてそれを傾けていき、一度も口を離すことなく麺とつゆを胃に流し込んだ。

 シノユキとユウコは綺麗に空になった丼を見て顔を見合わせる。


「文句ある? ……げふ」

「アメリカンですね」

「それはアメリカに失礼です有栖川様」

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