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着慣れた様子のワイシャツとベージュのカーディガンに、黒のロングスカート。前を歩くイヴ・クレセントハートの後ろ姿に、シノユキはなぜか母親のような穏やかさを感じていた。
ギルドに入ってまずあったのは、いくつかのテーブルと椅子が並ぶラウンジのような空間。奥には調理場のようなカウンターがあり、数人の少年少女が楽し気に夕食の準備を進めている。
「負傷された方は一階の一番奥の部屋に。保健室です。ある程度は医薬品が揃っていますので、自由に使ってください、白衣のあなた」
「感謝しますイヴさん。私はびしょ……美女天才化学者セーラ・シュタイン。この御恩はいつか精神的にお返ししますわっ!」
セーラはイヴの手を取って一方的な握手をすると、かなり大振りに船員たちを手招きし、保健室へと早歩きで向かった。
「お二人はこちらへ。よろしければお話を聞かせてください」
そう言って、イヴはラウンジにあるテーブルの一つを示した。
到着する頃には日が傾き始め、朱色の光が大きな窓から柔らかに差し込んでいる。玉ねぎが炒められる香りを感じながら、シノユキとニーナは椅子に腰かけた。反対側にはイヴが。
すると、レイチェルが紅茶の入ったカップを三つ分、トレイに載せて運んできた。「ごゆっくりどうぞ!」と親指を立てて、慌ただしく調理場の方へ戻っていった。
「ふふ、炎のように元気な子です」
シノユキはレイチェルを見送って、少し考えてから口を開いた。
「すみません、こちらの話よりも先に、ここのことをお聞きしてもいいでしょうか。私たちは船で航行中、沢山の龍のようなものに襲われ、箒で空を飛ぶ少女に案内されてここまで来ました。なんらかの方法によって隠された島に、巨大な構造物……常識的にはありえないことばかりです。これらのことについて説明していただくことはできますか?」
イヴは一見しただけでは国籍不明な顔をシノユキに向け、わずかな時間、静かにその双眸を見つめた。
「そうですね、説明します」
紅茶で喉を潤し、イヴは静かに語り始める。
「まず、ここはクレセントハート島と呼ばれています。そして、この島を有し、バミューダトライアングルと呼ばれる海域に存在する群島が、“イーデンと呼ばれる国”です」
「国……?」
シノユキの記憶に、そんな名前の国は存在していなかった。それを察してか、イヴは微笑む。
「ご存知ないのも当然です。皆さんが体験されたであろう通り、イーデンは隠されています。彼女の“イデア”が見えますか?」
イヴは肩越しに、夕食の準備に加わったレイチェルを示す。当然のようにイデアという単語が出てきたことにシノユキは動揺していたが、言われた通り意識レベルを低下させ、レイチェルのイデアを見た。その周囲に、ぼんやりと揺らぐものがいくつか見え始める。
「炎……?」
そう口に出した瞬間、その炎たちが“振り返った”。普段あまり感情を出さないシノユキも、思わず目を丸くする。炎には目のようなものがあり、それがこちらを向いていた。
「彼女は炎の精霊と契約しています。その熱と海水の水蒸気、そして光で、イーデンを隠すと同時に、周辺海域に進入した無関係の方を隠しているんです」
「炎の、精霊……」
シノユキは理解に苦しみ、額に手を当ててうつむいたが、すぐに顔を上げた。
「いや、単刀直入にいきましょう。イデアについてご存知ということは、暦史書管理機構についてもご存知ですね?」
「ええ、もちろん。暦史書管理機構の実権を握る十二使徒の一人、ラスリウネスク家の人間は、イーデンの実質的なトップですから」
「……十二使徒!」
それはつまり、暦史書管理機構を知っているということに留まらず、むしろイーデンは、暦史書管理機構の管理化にある国と言っても過言ではないということだった。
「この国は暦史書管理機構によって徹底的に秘匿されています。一般の方たちだけでなく、暦史書管理機構内のほどんどの人間にも。なぜならここは、この星を救うための要であり、同時にこの星を滅ぼしかねないパンドラの箱でもあるからです。……お二人は、異世界の存在についてご存知ですか?」
シノユキは肯定するかわりに、テーブルの上で手のひらを見せた。そこにはなにもなかったが、イヴの目が鈍く光る。
「エイシストールの書ですね」
イヴには、イデアに形作られた古びた本が見えていた。
「それもここで発見されたものです。この島にある、大きな輪のような構造物。あれを私たちは“ゲート”と呼んでいます。ゲートはこの星と、異世界と呼ばれる別の星を繋いでいます。基本的には閉じていますが、時折“向こう側”からの干渉を受けて開いてしまう。その際この星に紛れ込んでしまった、様々な異物を回収……または処理するのが、ここギルドにいる人間たちの役割なのです」