[5-9]
「あ、セーラさん引いてますよ」
「えっ、マジ!?」
竿の見張り番をしていたニーナがそう言うと、パラソルを立て、その下でデッキチェアに寝そべっていたセーラが飛び起きてくる。
確かに竿は均等ではない間隔で震え、時折大きくしなっていた。生物が針にかかっている証拠だった。
「うおおおお!」
セーラは腹の底から聞いたこともないような雄叫びをあげ、巧みに魚の力を逃がしながらリールを巻いていった。
少しの間格闘していると、日の光を受けて光るなにかがニーナの目に入った。素早く用意していたタモ網を持ってきて、それを掬いあげる体勢に入る。
「おりゃああああ!」
セーラ渾身の一振りで、一匹の魚が地中海の空を舞った。ニーナはそれを居合いのようなフォームでタモ網に収める。完璧なコンビネーションだった。
「やりました」
「よくやったニーナちゃん! 今度ラーメン奢る! 見せて見せて!」
心なしか目を輝かせながらニーナがタモ網をめくっていくと、釣果が姿を見せた。それまでウキウキだったセーラの表情が、ゆっくりとしかめっ面に変わっていく。
「なんこれ」
それは一見するとアンコウのようだったが、底面には小さな手足のようなものが生えており、それをじたばたと動かして暴れている。
「……新種の深海魚でしょうか」
「キモいなぁ~。海に返そう」
セーラはそれをつまみあげると、ひょいと海に放り投げた。
ちょうどその時、貨物船に積まれたコンテナの一つの扉が開いた。中から出てきたのはシノユキで、「ちょっと来てくれ」と二人を手招きする。
二人は一度顔を見合わせたあと、釣り道具をそこに放置してコンテナの中に入っていった。
船上に無数に積み上げられたコンテナ。という表現は嘘になる。
そのコンテナの内部は一つの大きな空間になっており、戦艦に匹敵する索敵装置と人員が詰め込まれていた。
正面には映画館のスクリーンほどのディスプレイがあり、周辺海域の天候や各種ソナー・センサーからの情報がリアルタイムで表示されている。
シノユキたちは揃って、船長席のところまできた。船長は作業着姿の中年男性で、特殊な人間という雰囲気はない。シノユキを一瞥すると、自分の顎を揉むように無精ひげを撫でた。
「間もなく指定のあった座標だ。確かにここはよく獲物がかかる場所ではあるよ」
「ここ数年で、なにか変わったことは?」
「都市伝説じみた失踪やらか? 最近じゃ航行技術も飛躍的に進歩してるし、怪しいものは我々が回収してる。ニュースになっている以上のことは起こっていないと思っていい」
言われて、シノユキは黙ってディスプレイへと顔を向ける。船を示す光点が、徐々にコルカノの書が指した地点へと近づいていく。しかしそこを通り過ぎてもなにかが起こることはなく、船のエンジンと時折放たれるソナーの音だけが船内に響いた。
不意に、シノユキのポケットで端末が鳴動した。すぐにそれを取り出し、画面を一度タップしてから耳に当てる。
「どうした?」
『なにかおかしい』
ダミーとなっていた艦橋にいるヨミヒトからの連絡だった。
「なにがだ?」
『光が。……“干渉”の痕跡がある』
一瞬、シノユキは口を薄く開けたまま硬直した。
「まさか……なにかが隠されているのか? 光による干渉によって」
『可能性はある。だが同じく光に干渉できる力を持つものとして、人間業だとは思いたくないな。どれほどの規模のものを隠しているにしろ、こんな遮蔽物のない海上で、年中無休の干渉を続けるなんて』
シノユキは悩んだ。
“これは手を出してもいい領域なのか?”
しかしすぐに背中を叩かれたような気がして、声が出た。
「……解けるか?」
『やってみる』
ヨミヒトはリリィに端末を預け、艦橋を出て肉眼で進行方向を確認する。
ゆっくりと右手をかかげ、意識レベルを落としていった。船が水を切る音が遠ざかっていく。そして、次第にこの世界のイデアが見えてくるはずだった。
「……なんだこれは」
ところが、実際に見えてきたのは暗闇だった。この船の周囲、どこを見渡しても完全な黒。どちらに向かって進行しているのか、もはやヨミヒトにはわからない。
しかしそれがどういうことなのか、理解するのにそれほど時間はかからなかった。
「なるほど、そういうことか」
納得した様子で、ヨミヒトはイデアル・スコープを展開する。
「なにかを隠していたんじゃない。“俺たちが隠されていた”んだ」
そう言って正面に最小限の光線を放ち、そのまま腕を直上に振り上げた。船を覆う膜のように展開されていたスクリーンが、切って落とされた。
――その瞬間、目の前に現れたのは巨大な龍だった。