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街路樹が立ち並ぶなんの変哲もない通り。二つの赤い電話ボックスの先に、それは突然現れる。
“The British Museum”
曇り空の下、シノユキがその文字を見上げていると、「どうしました?」とニーナに声をかけられる。
「いや」
短くそう答えて、シノユキは先を歩くセーラたちに追いつくよう速足で歩き出し、ニーナもそれを追いかけた。
三日後。一行はイギリス、大英博物館の前にいた。黒い旗を掲げ、すっかりツアーガイド気分になっているセーラに続き、ヨミヒト、リリィ、シノユキ、ニーナが続く。
「良かったわね、ヨミヒト」
「は?」
「目が輝いてる」
「なにを馬鹿なことを言っているんだ」
そうは言うが、少し前まで一般の大学生だったヨミヒトは、初めての大英博物館に少なからず興奮している様子だった。
多くの観光客の流れに乗って、一同は展示を一通り見ていく。エジプト関連の展示は特に語るべきこともなく、ほとんど通り過ぎる程度だったが、その先にあった古文書の展示はそれぞれ興味深そうに足を止めた。
パピルスに記された死者の書や、グーテンベルク聖書。それら記録の技術は、真の歴史書であるコロンシリーズとも深い繋がりがあった。
展示の解説を読み終わったヨミヒトが顔を上げる。その視線の先に、一冊の本があった。誰もその本を見ている人はいなかった。しかし、ヨミヒトは吸い寄せられるように近づいていく。
“Goetia”
ショーケースに貼り付けられたプレートにはそう書かれていた。
「その本はゴエティアですね」
いつの間にかニーナが横におり、身をかがめてその本を覗き込む。
「著者不明の魔導書です。魔導書と言っても、異端書みたいに能力を持っているわけじゃありませんが。確か、最初に発見されたのが大英博物館だったはず」
「表に出ているそういった類のものは、大体その時代の創作だと思ってる。後世でそれを見た奴が、“これは魔法の本だ”ってはやし立てただけだろう――うわっ」
急にセーラが肩を組んできて、ヨミヒトはため息をつく。
「それがそうとも言い切れないのだよ少年」
「どういうことだ」
「ゴエティアには八百五十三柱の悪魔についての記述があることはご存知かな?」
「ソロモン王が使役したと言われる悪魔たちですね」
ニーナが口を挟む。セーラはヨミヒトから離れ、気取ったように指をパチンと鳴らし、眼鏡の位置を直す。
「さすがニーナたそ。しかし、それを文字通りに受け取ってはいけないのさ」
「……どういうことでしょう」
「魔導書には得てして、寓話的表現が用いられる。“悪魔を使役する”というのは、“悪い結果をもたらす可能性がある力をコントロールする”という意味があるんじゃないかと、私は思うのだよ」
「力というのは、我々の持つような力ですか?」
「いいや、そういうことじゃない。もっと普遍的なものだよ。例えば商売の仕組みだったり、薬だったり、兵器だったりさ」
「それが、ソロモン王の長い統治を可能にしたというわけですか」
「それはわがんね。見できだわけじゃないから」
「……なぜ急に訛ったんですか」
「気にするな、意味はない」
「はあ」
この数年で、ヨミヒトはようやくセーラの扱いを身につけつつあった。
「さあさあ、観光気分はここまでだよ~。これから“最強君”に会いに行くんだから」
黒い旗をぶんぶん振りながらセーラが向かう先は、大英博物館の中心である図書室。
その地下だった。