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「というわけでっ、当初の予定とは打って変わって埃っぽい場所にはなってしまいましたが!」
セーラ・シュタインはワインの注がれたグラスを掲げ、そう前置いた。
複合施設内のイベントスペースには簡素な長机が並べられており、その上には被害のなかったフードコートの飲食店から運ばれた料理や飲み物が並んでいる。
周囲では暦史書管理機構の職員が瓦礫の撤去や異能力の痕跡隠滅の作業を行っていたが、気にすることなくセーラは威勢の良い声をあげる。
「ニーナちゃんの日本支部東京支局転属記念あ~んど初仕事お疲れ様でしたということでかんぱーい!」
一息で言い切ると、テーブルを囲んでいた一同も、羞恥心にややうつむきながら各々乾杯を呟いてグラスを傾け、口をつける。
「フードコートの店内でやればいいんじゃないのか……」
言いながら、ヨミヒトは眉間にわずかに皺の寄ったいつもの不機嫌顔で、異様に伸びるピザのチーズと格闘する。
「馬鹿な! 戦闘の痕跡の残る貸し切りの複合施設で飯を喰らう機会なんてあんまりないよ!」
いつにも増して腹式呼吸の発声。セーラのミュージカルのような声が響き渡る。
「確かに非日常的なシチュエーションではあるけどね。だからって羽目を外しすぎるのはダメよ、セーラ」
リリィに指摘されると、「ゴメス・ロドリゲス」というおそらく謝罪を意図した言葉を放つ。そしてグラスの中身を一気に飲み干した。
それを見て、隣に立っていたニーナも同じようにワインを飲み干す。
「おっ、いけるクチだねえニーナたそ!」
「飲みやすいですね。……たそ、とはなんですか?」
「んー、なんだろ。ミスターとかミスみたいなもん?」
「違うと思うから気にしちゃダメよ、ニーナ」
再びリリィに言われて、セーラは拗ねたように「ぷい」と顔をそむけた。
リリィは癖の強い先輩に苦笑し、ニーナに向き直る。
「ニーナはキプー共和国の出身よね?」
「はい。北太平洋に浮かぶ小さな島国です」
「自然豊かな良い国だと聞いているわ。海がとても綺麗なのよね。いつか観光に行ってみたいと思っていたの」
言いながら、水のように透き通る青い目が輝く。
「ええ。もしその機会があれば、ご案内しますよ」
リリィはニーナの言葉になにか含みがあることに気づいたが、特に追及はしなかった。取り皿を二枚用意して、ニーナの分のサラダも盛りつける。
「キプー共和国か……観光地としても有名だが、重要な軍事拠点でもあった。今でこそきな臭さのない平和な国として認知されているものの、大戦時はキプー共和国を制したものが太平洋を制すると言われたほどだったらしい」
シノユキは口を挟むと、美しさすら感じる所作で寿司を口に運ぶ。
「そうですね。その遺産も込みで観光地として認知されているのですが。私の祖父も、キプーの大地で眠っています」
伏し目がちに語りながら、ワイングラスを揺らすニーナ。一同が沈黙してしまったことに気づき、顔をあげる。
「あ、すみません。写真でしか知らない祖父ですから」
「ニーナたそはなんで日本に来たの?」
椅子の背もたれを前にして座り、一定のリズムで傾けては戻しながら、セーラが唐突に質問を投げ込む。
「アメリカの方が近かったと思うし、言語を覚えるにしても英語の方が圧倒的に汎用性高いのに」
まるでなにか裏があるのではないかと疑うようなセーラの質問に、リリィはやや冷ややかな視線を送る。
「理由は……特にないのですが。強いて言えば、母国と同じ“小さな島国だったから”でしょうか」
「なるほどねっ! いいよね島国、部屋も基本狭いし!」
セーラ以外の全員が、それには同意できないと思った。
その時、規則正しい革靴の足音が、徐々に大きくなってきていることにヨミヒトが気づいた。音の方向を見て目を見開く。
「マシューさん……!」
シックな黒のスーツを着こなした、金髪の紳士。リリィの父であり、暦史書管理機構アメリカ支部長であるマシュー・アダムズが、穏やかな笑みをたたえながらヨミヒトたちの方へと歩いてきた。
「やあ。私も混ぜてくれるかな」
そう言うと、マシューはテーブルの端にあったサンドイッチを手に取り、頬張る。すると満足そうに頷いて、親指を立てた。
「これは美味しい。マヨネーズたっぷりだ。少し小さいが……」
「パパ、どうしてここに?」
リリィは立ち上がり、父に歩み寄る。
「君たちがここにいると聞いたものだからね。君が日本支部に来たニーナか」
ニーナは名指しされると、グラスを置いて立ち上がり、丁寧に一礼する。
「キプー共和国支部より日本支部東京支局へ転属になりました。ニーナ・ハートリンドです。お目にかかれて光栄です、マシュー支部長」
「はは、日本人みたいな子だな。すっかり日本支部に居ついてしまった娘ともども、よろしく頼むよ」
「はい」
改めて、ニーナは頭を下げた。
「ちょっとパパ、そうじゃなくて私たちに会いに来た理由を聞いているの」
アメリカ支部長直々の来日。ただ事ではないことは、撤収作業に当たっていた職員も含め、その場にいる全員が察していた。
「わかっているよ。悲しいことに、このめでたい席にバッドニュースを届けなければいけない」
マシューは、脇に抱えていた資料をテーブルの空いたスペースへ置いた。
"CONFIDENTIAL"
表紙にはそう赤々と印が押されていた。
目の前にいたシノユキの心音が高まる。
アメリカ支部長のマシュー・アダムズが、わざわざ日本支部の、それも自分のチームに接触してきた。
バッドニュースを持って。
それらの情報は、発生している状況の輪郭を、ぼんやりとではあるがシノユキに伝えていた。
恐る恐るそれをめくる。
まず目に入ったのは、アンネ・ラインハルトの写真。
相変わらずの仏頂面で、ろくに手入れしていない髪は四方八方へと跳ねている。
そして次に視線が移ったのは"BETRAYAL"の文字。
それは、背信行為を意味する。
「アンネ・ラインハルトは、背信行為により異端者として指名手配された」
マシュー・アダムズは淡々とそう告げた。