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COLON:SERIES - アンネ・ラインハルトの記録  作者: 志室幸太郎
ANNE:2020 - アンネ・ラインハルトの黙示録
39/53

[5-2]

「危険でーす、立ち入らないでくださーい」


 二〇二〇年五月。千葉県某所にある大型の複合施設。訪れた買い物客たちは、切れ長の目を持つ顔立ちの整った警備員によって入口で止められていた。その時点で群衆の目的は買い物から野次馬へとすり替わる。


「なにがあったんですか?」

「爆発物を仕掛けたという脅迫があったため、現在施設内を調査中です。ご迷惑をおかけしますが、事態の収束までお待ちください」


 言われて、群衆は不安そうな表情をしたり、興味深そうに中を覗き込もうとしたりした。

 警備員は一つ息を吐くと、振り向いて胸元の無線機に触れる。


「封鎖完了。好きにやってくれ」


    ・・


「おっけー、シンおじ」

『あのな、俺はまだおじさんって歳じゃない。大体なんで警備員A役なんだ。俺の語学力やコミュニケーション能力を発揮できるもっと最適なポジションがあったんじゃないのか? 確かに荒事は得意じゃないがもっとスマートに――』

「おっと、敵のジャミング攻撃だ! アウト」


 セーラ・シュタインは一方的に無線を切った。


「ふう、これだからおじさんは……さて」


 セーラはいつもの白衣姿で、吹き抜けになっている複合施設の二階から階下のイベントスペースを見つめていた。

 アンダーリムの眼鏡の位置を指先で直すと、インカムに手を当てる。


「えー、マッチングが完了しました。これより鬼ごっこ開始でーす。ぐっどらっくはぶふぁん」


    ・・


「マッチング……? なんのことだ」

「セーラの言ってることをいちいち考えちゃダメなことくらい、そろそろわからない?」


 有栖川ヨミヒトとリリィ・アダムズは、様々なアパレルショップが軒を連ねる通路に立っていた。普段は買い物客で賑わうその場所も今は静寂に包まれている。


「せっかくのゴールデンウィークだっていうのに、大損ね」

「さっさと済ませればいい」


 ヨミヒトの視線の先には、通路のど真ん中でベンチに座って煙草をふかす男がいた。この施設は当然ながら禁煙で、ベンチも本来その場所にあるものではない。男が勝手にどこかから持ってきたものだった。

 この男が単なる迷惑な客であれば、それこそ本物の警備員や警察を呼べば解決する話だった。

 しかし男の周囲には、おもちゃコーナーにあったエアガンや調理器具売り場にあったナイフや包丁が、なにかに吊られているかのように浮遊していた。

 そして、足元には血だまりの中に横たわる女性の姿があった。

 男はヨミヒトたちに虚ろな目を向ける。


「君たちは……警察か? そんなわけないよな」


 言いながら、煙草を床に押しつけて火を消す。


「ああ、警察じゃない。だから大人しく言うことを聞いてもらえると助かる。その人も助けられるかもしれない」

「死んだよ」


 間髪入れず、男は震える声でヨミヒトに言った。


「殺してしまったんだ、俺は……。なんでこんなことに……なんでこんなことが……」

「あなたは特別な力を持っていて。その使い方を誤ってしまっただけよ」


 男はリリィに視線を移す。


「日本語が上手いな」

「ありがとう。その力の使い方について、私たちはあなたにアドバイスをすることができると思う。コントロールする方法を覚えて、そして罪を償うのよ」


 諭されて、男は神妙な顔で何度か頷いた。


「君は、罪を犯したことがあるのか」


 その質問に、リリィは一瞬呼吸を止めた。


「私は、私のできる限り正しく生きてきたつもりよ。だけどもちろん、誰かを傷つけたこともある」

「殺したことはあるのか」


 ヨミヒトが一歩前に出ようとして、それをリリィが手をあげて制止した。


「あるわ」

「だったら、わかってもらえると思うが、そう。俺は、ああ、この罪を背負って生きていける自信がない」


 男の右足の貧乏ゆすりが激しさを増す。自分を落ち着けるように、顎の無精髭を撫でる。


「俺はもう五十過ぎだ。若ければ再起をはかることもできただろうが、今から罪を償っていたら人生が終わってしまう。こ、この子の家族も、きっと俺を殺したいほど憎むだろう」

「だから?」


 ヨミヒトはすでに発言の意図を汲み取っていたが、苛立たしげな様子で続きを促す。


「俺はこの力を使って、ここから逃げようと思う。ああ」


 そう言うと同時に、右足の動きがぴたりと止まった。そしてゆっくりと立ち上がる。


「残念ながらそれは不可能だ」

「やってみる価値はある」


 男の言葉と同時に、通路と店舗を隔てていたガラス板が砕け散った。


「なっ――!」


 それらは重力に従って通路に散らばるはずだったが、物理法則を無視してそのままの勢いでヨミヒトたちに迫る。

 完全に虚を衝いた攻撃だった。

 リリィの水を操る能力はもちろん、ヨミヒトの光を操る能力も、突然の全方位からの攻撃に展開が間に合わない。

 誰に遮られることもなく、ガラス片の飽和攻撃は男の意志通りに動き、進行方向にあったあらゆるものを貫いた。叩きつけられた衝撃でガラス片は粉砕され、塵となってあたりに漂う。

 男は服の裾で鼻と口を覆い、その場から逃げ去った。


 警報音が鳴り響く。展示されていたマネキンには無数の穴が開き、大理石の柱すらも穿っていた。

 なにかが崩れ落ちたり倒れたりする音に混じって、水が流れる音がし始める。

 次の瞬間。空気中を漂っていた塵が、ある地点を中心に消え去った。


「危なかったな」


 非常階段を下りてきたテクノカットの男は、惨状を見てこぼした。


「……助かりました」


 背後からヨミヒトとリリィも顔を出す。バックアップとして参加していた長南シノユキと、異端書“エイシストール”の時間を止める力によって、二人が肉片になることはなかった。


「なぜ……ここまでの干渉能力を持っているなんて……」


 リリィは水を操ってガラス片や瓦礫を両脇へ押しやり、道を作りながらこぼす。


「薬物だ」


 即座にシノユキが出した答えに、リリィは息を呑んだ。

 ヨミヒトも男が吸っていた煙草のようなものを思い出し、興味深そうに頷く。


「なるほど、偶発性ジーニアスに薬物の組み合わせ……。トリップ状態だったとすれば、干渉深度は一時的だが飛躍的に増すだろうな」

「最悪ね……」

『こちらセーラちゃん。目標は北に向かって移動中でっす。画像データは新人ちゃんに送信済みよん』


 通信が入り、シノユキはインカムに触れてミュートを解除する。


「おそらく人気のない裏の駐車場側から逃げようとするはずだ。ニーナ、対応を頼む」

『了解です』

「俺たちもすぐに向かう。時間を稼ぐだけでいい。無理はするなよ」

『はい』


    ・・


 男は目を見開き、奇妙なフォームで走りながら出口を目指す。振り返ってみると、誰かが追いかけてきている様子はなかった。安堵の表情を浮かべ、奇妙なリズムでステップを踏みながら足を止める。運動と薬物による異常な発汗で額にはりついた髪を、右手でかき上げた。

 そして優雅な足取りで複合施設を出ようとして、今度は驚きと共に足を止めた。

 自動ドアを開けて、外から一人の女が入ってくる。

 ワイシャツにベスト。一見するとバーテンダーのような恰好のその女性は、豊かな黒髪のポニーテールを揺らしながら男に迫っていく。


「お、おい。来るな――うっ」


 鋭い痛みを覚えて男は視線を下げる。いつの間にか、胸には黒塗りのタクティカルナイフが突き刺さっていた。


「このっ――」

「“あなたは他人を攻撃できない”」


 男は干渉能力を行使して目に見えるあらゆるものを女に叩きつけようとした。しかし、そのすべてのベクトルは女の周辺で捻じ曲げられ、あらぬ方向へと飛んでいった。


「な、なんだ……バリア……」

「違いますよ。あなたの意志で私を攻撃しなかっただけです」


 一瞬呆けたように口をぱくぱくとさせていたが、突如半狂乱になった男は、胸に刺さっていたナイフを引き抜き女へと肉薄する。

 ――ボンッ、という気の抜けた音がした。

 男は途中で小さな悲鳴をあげ、床に顔から叩きつけられた。鼻血を垂らしながら顔を上げる。立ち上がろうとするが、足が動かない。

 見ると、両足に粘性のある餅のようななにかがまとわりついており、それは動かそうとすればするほど固まっていく。


「どんなもんじゃーい!」


 一つ上の階、吹き抜けから見える位置。セーラ・シュタインがトリモチを放ったバズーカを掲げて踊っていた。


 諦めたように動かなくなった男の前に、乾いた足音を響かせて女がやってきた。


「君は……」


 女は腰のホルスターからナイフをもう一本引き抜くと、躊躇うことなく男の背に突き立てる。


「“あなたは十二時間眠る”」


 そう言われると、男は意識を失い、寝息を立てはじめた。


「ニーナ・ハートリンド。能力はネイルガン。――“釘を刺す”ことができます」

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