[4-13]
「こんにちはー。カタログをご提示ください」
ヨミヒトとリリィは受付で事前に入手しておいたカタログを示す。
「はい、ありがとうございます。会場は三十九階の第二ホールです」
さらに軽い荷物検査を受け、入館証を受け取って二人はヤルダバオート本社のビルへ立ち入った。
特にドレスコードなどはなかったものの、エントランスにいる参加者たちはそれぞれスーツやドレスを身に纏い、オークションという非日常的なイベントに興奮気味の様子だった。ヨミヒトたちも浮かない程度に正装している。
「まずは第一歩、というところか」
「ええ。でも少し緊張するわね」
「俺たちはあまり表舞台には立てないからな」
「大丈夫よ、ちゃんとしなさい」
ヨミヒトの背後から目に見えぬ第三者の声がした。一瞬空間が歪むが、幸いそれに気づく者はいなかった。
二人はそれに答えることなくまっすぐに歩き、人目のない非常階段へと入る。そこでヨミヒトは展開していたスコープを収め、しゃがみこんだ。アンとシノユキが姿を現す。
「姿を消しているのに喋るやつがあるか、一瞬動揺して迷彩が崩れかけたぞ……」
「大丈夫よ、人はそれほど他人を気にしていないわ」
「それにしてもだ。会場に入るまでは頼むから大人しくしていてくれ。おそらく監視カメラには顔認証システムもあるはずだからな」
シノユキにも釘を刺され、アンは不満そうに唇を尖らせた。
ヨミヒトは再度スコープを展開し、四人で荷物搬入用のエレベーターに乗り込む。昨日の時点で会場への商品搬入が終わっていることを確認していたため、搬入用エレベーターに乗り込んでさえしまえば会場までたどり着くことは難しくなかった。
エレベーターが三十九階で止まり、扉が開く。すでに会場前も人で溢れていた。
『あの柱で』
ヨミヒトは目立たない程度の手話でそう伝え、支柱の陰に入る。少しすると柱の陰からアンとヨミヒトが姿を現し、すぐに人波に紛れて会場に入っていった。
間を置いてヨミヒトも柱の陰から出ると、リリィと合流して会場とは逆方向の通路を進んでいった。歩きながら携帯端末を取り出し、数タップの操作で烏山へと電話をかける。
「会場についた。そっちは?」
・・
「まだ待ち合わせ中――いや、来たようだ」
ヤルダバオート一階のカフェで外を見ていた烏山は、裏の駐車スペースに黒塗りの車が入ってきたことを確認した。スーツ姿のシンがドアを開けると、イーサンが車を降りる。
「イーサンを確認」
そのあとから、イーサンの側近と思われるメイド、さらにパーカーを着た青年が姿を現した。
「ヒノテもいる」
隣にいたチトセのカップを持つ手に力が入った。
『了解した、手はず通りに頼む』
烏山は通話を切ると、自然な動作で立ち上がる。チトセもコーヒーを飲み干して立ち上がり、烏山についていく。
二人がエントランスに入ると、それまで立ち話をしていたオークションの参加者たちが徐々に移動を始める。烏山たちもメインのエレベーターに乗り込んだ。
・・
ヨミヒトは次にセーラに連絡を取る。
『はいこちら美少女戦士セーラーサン』
「首尾は?」
『えっ、それ聞いちゃう~? システムの掌握準備はできてるよん。現地のスタッフも準備おっけー』
「わかった。これから会場に入る」
ヨミヒトとリリィが入館証を見せると、他の来場客とは別の動線へ案内される。そこは代理人が本人と連絡を取りながら入札をするためのスペースだった。これによって、ヨミヒトとリリィは怪しまれることなく外部との連絡を取ることが可能になる。
少し遅れて、入場してくる客の中に烏山とチトセの姿を確認した。ヨミヒトと烏山はアイコンタクトを交わす。
そして、会場がざわめく。会場中央のVIP専用シートにイーサンたちがやってくる。会場からは自然と拍手が起こった。
扉が締め切られ、来場客の全員が席に着いた。
「放送開始、十秒前ー!」
配信を管理している男が、カウントを開始する。カメラの赤いランプが点灯した。カウントがジェスチャーに切り替わり、最後の合図で勇壮な音楽が流れだす。
それと同時に、司会の男とオークショニアが舞台に現れる。来場客はそれを拍手で迎えた。
「さあ、ついに始まりました。第一回ヤルダバオート主催のチャリティーオークション。有名画家の名画から、出自不明の珍品まで、様々な商品が登場いたします。まずはそれら奇特なコレクションを手放すことを決めた、イーサン氏に暖かな拍手を」
司会の軽口で小さな笑いが起こるとともに、来場客は再度拍手をイーサンに送る。イーサンもまんざらではなさそうに立ち上がり、軽く手を挙げて応えた。
「それでは会場の皆様、配信をご覧の画面の前の皆様、オークションをお楽しみください。どうぞ」
司会が舞台を明け渡すと、オークショニアは微笑んで答え、最初の品を読み上げた。
・・
「始まったわね」
「ああ」
アンとシノユキは、最初の品である“初代ニッキーマウスの着ぐるみ”への入札をぼんやりと眺めながら話していた。
「上手くいくかしら」
「自信があったんじゃなかったのか」
「あるわよ。でもどんなことにも不測の事態はあると思うべきだわ」
「それはその通りだな」
「あら、素直じゃない」
「俺はなにも、お前に嫌がらせをしたいわけじゃない。ただ絶望的に感性が合わないだけだ。同じ意見であればそれを否定したりはしない」
「ふーん。あなた、あれ欲しい? 今九十万円」
「いらんな」
「同意見よ」
舞台の上で、初代ニッキーマウスがにっこりと笑っていた。
・・
その後も滞りなくオークションは進んでいく。名画が高額で落札されたり、珍品がまさかの数百円で落札されたりと、イベントとしてのオークションは盛り上がった。
しかしオークションが佳境へと向かっていくほど、ヨミヒトとリリィの緊張は高まっていく。
烏山の視線はカタログと舞台を行ったり来たりしている。
チトセがちらりとVIPシートを見ると、ヒノテはフードを被ったまま、退屈そうにうなだれていた。
そしてついに、カタログには掲載されていないシークレット商品の紹介が始まる。
「シークレット一つめの商品はこちら、出自不明の本です」
運ばれてきたのは、どう見ても本には見えない人型のなにかだった。
「まさか本当に出品するとはな……」
ヨミヒトがヒノテの様子を横目でうかがうと、ちょうど同じように周囲の様子をうかがっていたヒノテと目が合った。かなり距離があったにも関わらず、ヨミヒトは一瞬でその燃えるような視線に呑まれそうになる。が、なんとか表情には出さずに他の客へと視線を移した。
ヨミヒトは生唾を飲み込む。ヒノテの目は、常人のそれとは一線を画す迫力があった。
探している。仲間を奪った犯人を。
そして怒っている。必ず見つけ出して捕まえると。
その動揺を意に介すことなく、ゆっくりと入札が始まる。
「一万。一万三千。電話の方が二万。はい、二万千」
明らかに価値に見合わない入札だった。
「この金額、本の内容についてはわかっていなさそうね」
「うちに高額で買い取らせるつもりか、あるいは……」
オークショニアは入札を煽るものの、金額は伸びない。ヨミヒトとリリィも当然のように入札をしなかった。
痺れを切らしたかのように、ヒノテがハンドサインを出す。
「パーカーのお方、百万です」
会場がざわめく。だが、それ以上入札されることはなかった。落札を決定するハンマーの音が響く。
ヒノテは思惑が空振りに終わったことを嘆くように、大きく息を吐いた。
ここが限界だった。その思いを悟ったかのように、ヨミヒトの内ポケットで端末が振動する。
「俺だ」
『終わったわ』
ヨミヒトは朦朧とした意識の中で薄く笑った。そして、オークショニアにハンドサインを送る。
「それでは、本日のオークションは以上となります」
その一言で、来場客は雑談をしながらあっという間に会場を出ていった。
残されたのはヨミヒトとリリィ、烏山とチトセ、そしてイーサンとメイド、折紙ヒノテだけだった。
「……まだシークレットの商品が数点残っているはずだが?」
イーサンは自分が計略の中にいることを悟りながら軽口を叩く。
「残念だったわね」
最後の客が会場を出て、入れ替わりでアンとシノユキが入ってくる。
「……君たちか。只者ではないとは思っていたが」
「オークションはまだ続いているわよ。第二会場でね」
会場の様子を見回して、イーサンは首をかしげる。
「第二会場はここだ。内装でわかる」
「ヨミヒト、もういいわ」
声をかけられて、ヨミヒトは気を失った。リリィが慌てて受け止めるが、その顔にもかなりの疲労が浮かんでいた。
それと同時に、バロック調だった会場の内装がシンプルな木目の現代的デザインに変わる。イーサンは立ち上がり、その魔法のような光景に感嘆の声を上げる。
「……これは驚いた」
「超能力者はあなたたちだけじゃないのよ、エトセトラ」
ヒノテはゆっくりと立ち上がり、会場の隅の方へと歩いていく。そして、水滴が満遍なくついた壁に手で触れる。
「蒸し暑いと思っていました」
「どういうことだ?」
「あなたくらいの富豪なら、ウォータースクリーンのショーを見たことがあるでしょう。正確にコントロールされた水のスクリーンと光の投影。意識しなければ幻影と気づくのは難しい」
「シンガポールで見たものも素晴らしかったが……比較にならないな」
「それを二時間弱……大した干渉深度ですね」
「二人がいなければ成立しない作戦だったわ。“困難は分割せよ”ってね。カヤの書は無事に中古車くらいの値段で落札できたし、ここではあなたたちを確保できた」
「来場客や放映のスタッフもエキストラか――機構職員というところですか」
「ご明察よ。一般人を巻き込むわけにはいかなかったから」
「商品の模造品、あれもジーニアスが?」
「あれは3Dプリンターよ」
ヒノテはうんざりしたようにため息をついた。
「まったく、やられましたよ」
吐き捨てるように言って、ヒノテは振り返り、ヨミヒトとリリィに手をかざした。
それを見てチトセが立ち上がり、ゆっくりと歩いて間に入る。
「君も機構の人間ですか」
「あなたの妹です」
なんの脈絡もない告白だった。しかしその一言ですべてを察したように手を下ろす。
「折紙カナエの娘、なんですね」
「はい」
もう一度、ヒノテは手をかざす。
「こちら側に来るんだ」
「それはできません」
「なぜ?」
「尊敬できる人の下で働いているからです」
簡潔で一切遊びのない会話がそう締めくくられて、烏山は複雑そうな顔をする。それをヒノテは横目に見ていた。
「君は外の世界を知らない。カナエは教えてくれなかったのか?」
「母のことは、あまりよく覚えていません」
「カナエはいつもこう言っていたよ。“自分の役割を知れ”と。こちら側に来なかったとしても、一度その組織の外側を見てから、自分の意志で決めるべきだ」
「そう言うのであれば、あなたも僕たちのしていることをもっと知るべきじゃないでしょうか」
「……僕たちを機構に引き入れたいのか」
今度はチトセが、ヒノテに向けて手をかざす。
その説得は、ほとんど無意識の“唯一の家族を守りたい”という気持ちに他ならなかった。それをヒノテも感じ取ったのか、じっとチトセを見つめる。だがすぐに、首を横に振った。
「それはできない。僕たちの行動は、僕だけじゃない、エトセトラ全体の意思なんだ」
「僕もあなたも、譲れないものがあるということですね」
「残念だけど、そういうことだ」
ヒノテの周囲の空気中の塵が発火し始める。チトセも手をかざしたまま、ヒノテの攻撃を打ち消そうとしているようだった。
「ここまでね。シノユキ」
その様子を見ていたアンが静かに言う。シノユキはあらかじめ出現させておいたエイシストールの書を取り出し、指先を噛み切ろうとした。
「それ、実は物凄く痛いでしょう。これ使って」
アンは自分のピアスを取り外し、針をシノユキに手渡す。シノユキは静かに受け取ると、いつかアンがそうしたように指先を刺した。表面張力で球のようになった血を本に吸わせる。
「アン」
「なに?」
「良いアイデアだった。――“エイシストール《心停止》”」