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COLON:SERIES - アンネ・ラインハルトの記録  作者: 志室幸太郎
ANNE:2018 - アンネ・ラインハルトの福音
24/53

[4-6]

 ヒリフダ市は都心に負けず劣らずの都会だった。ホテルを出ると有名ブランドのブティックが立ち並んでおり、区画が変わるとレストラン街が。さらにヒリフダ市の外縁は居住区画となっていて、真新しい集合住宅や豪邸の並ぶ住宅地があった。

 市内には無料で乗車できるバスが環状に運行しており、交通の便も非常に良い。


「良い街だわ」


 アンは屋台で買ったクレープを食べながら、街をきょろきょろ見回して歩いた。


「口がクリームでべとべとになってるぞ」

「あら、失礼」


 クレープを食べきると、もらったナプキンで口回りを拭い、通り過ぎざまに包み紙と一緒にゴミ箱に放り込む。


「確かに良い街だ。ある意味ごちゃごちゃとした都心よりも整然としていて美しい」

「さっき市役所でもらった資料によれば、数十年前からヤルダバオート主導で時代に合わせた都市計画が進められているようね。この統一感のある街並みも、ある意味ヤルダバオートの独裁による賜物なのかも」

「確かに。ただ、悪い側面もあるにはあるだろうな」

「悪い側面?」

「次はここへ行こう」


 そう言って、シノユキが資料内のマップを指さす。そこは山に面した工業地帯だった。


 バスに乗って工業地帯に移動すると、街の様子は一変する。工業地帯周辺は整備が行き届いておらず、道路は土を踏み固めただけのもので、住宅も古びたプレハブ小屋がほとんどだった。


「いくら街が潤っていても、能力や財産を持たないものは恩恵を受けられない。当然のことではあるが、見ていて気持ちの良いものではないな」

「そうね……。でも不思議だわ」

「不思議?」

「見て」


 アンは工場の中で働く人々を指して言った。


「みんな楽しそう。なんというか……目が輝いてる」


 改めてシノユキも街の人々を観察してみると、確かに己の貧困を嘆いている様子はなかった。それぞれが自分の役割を全うしているとでも言うかのように、薄汚れながらも溌剌としている。

 たまたま傍の道路をトラックが走ってきて、アンはシノユキの脇を小突いた。そして手を振ってそのトラックを制止する。


「すみません、インタビューいいですか?」

「ヒリフダ市について取材している者です」


 アンの咄嗟の行動をカバーするように、シノユキが取材の許可証を見せる。


「ああ、構わないよ。あそこへ」


 トラックを運転していたのは、顔に深い皺が刻まれた褐色の肌を持つ男性だった。トラックは男が指した少し先の工場の敷地内に入っていった。

 追いかけると、待っていた男が笑顔で迎えてくれる。


「サイモンだ。よろしく」

「アンネ・ラインハルトです」

「長南です」


 二人はサイモンと握手を交わす。


「ここで立ち話もなんだから、休憩室で話そう。薄汚いところで申し訳ないが」


 サイモンに促されて、二人は工場の脇にあるプレハブ小屋へと入っていく。

 中は雑然としていた。使い古された長机とパイプ椅子が置かれ、錆だらけのロッカーが並ぶ。部屋の隅では油で汚れた冷蔵庫が、老犬の唸り声のような音を立てていた。

 小屋の入口にあった石油ストーブに火を入れると、サイモンはパイプ椅子を二人に勧めた。アンたちは会釈してそこに座る。

 サイモンは据え置かれているポットから紙コップにコーヒーを注ぎ、二人に差し出した。自分の分も用意して、二人の対面に座る。


「いやはや、珍しい。ここに取材に来るなんて。街の方はよくテレビに出ているのを見るもんだが」


 冷えた手をコーヒーで温めながら、サイモンは自嘲気味に言った。


「ヒリフダ市は豊かな街として有名ですが、もし問題を抱えているのであれば、そこにも光を当てたいと思ったんです」


 アンは慎重に言葉を選んで話した。


「お嬢さん、若いのに日本語が上手いね。私はもうここに住んで二十年以上経つが、まだまだわからない言葉も沢山ある」

「ありがとうございます」

「ええ、ええ。なんとなくわかりましたよ。街とこの工業地帯の貧困の差を、お嬢さんは憂えてくれているんだね」


 そのサイモンの穏やかな反応に、アンは面食らった。


「不満はないんですか? 生活水準の差は、目に見えてありました」

「いいんだよ。これが我々の“役割”なんだから」

「役割……」


 サイモンはわずかに震える手でコーヒーを啜る。


「今では外から入ってくる人も増えたがね。ここに住んでいる人たちは、みんなお互いのことを家族だと思っている。私は学がないから、沢山のお金をもらうような仕事はできないが、それでも自分にできることをやっているんだ。家族のためにね。絆なんだよ」


 その言葉で、アンは開きかけた口を結んだ。シノユキもコーヒーに視線を落としたまま沈黙を続ける。


「君たちが期待していた答えではなかったかな」


 一呼吸置いて、アンは首を横に振る。


「いいえ。私がいかに自分の基準で物事を測っていたか、思い知らされました」

「ああ、そんなに思いつめることはないよ。家族の在り様はそれぞれだ。わからなくて当然だよ」

「そう言っていただけると、助かります」


 サイモンは柔和な笑顔を見せる。


「心配してくれてありがとう。ただね、一言だけ注意させてほしい」

「はい、なんでしょう」

「あなたたちがこの街の揚げ足を取って攻撃しようとしているのなら、家族総出で阻止するよ」


 皺に埋まったその小さな双眸が、鈍い光を放った。

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