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平日ということもあってバスは首都高を軽快に走り、ヒリフダ市に向かう高速道路へと乗った。シノユキはまたお気に入りのSF小説を読み返していたが、不意に口を開いた。
「彼はエドワードの恩師か?」
「……ええ」
アンはぼんやりと窓の外を流れる景色を眺めながら答えた。
「ウィリアム・ジェームズ教授。エドワードから話を聞いたことがある。管理対象の回収に協力してくれたそうだな」
「本人にその自覚はなかったでしょうけどね。今考えればエドワードに利用されていたようなものよ」
「仕方ないだろう。仮に本当のことを言えば、機密漏洩ばかりか彼に危険が及ぶ可能性もある」
「私には鍵をくれたけどね」
「お前を信頼していたということだ」
「……どうかしらね」
「どういう意味だ?」
シノユキの質問に答えることなく、アンはまた窓の外を眺めたまま黙ってしまった。
いつの間にか眠ってしまっていたアンは、シノユキに小突かれて目を覚ます。不機嫌そうな顔でシノユキを一瞥してから、窓の外の景色に気づいた。
少し先に見える盆地に無数の高層ビルが立ち並んでいる。それらはすべて黒く塗装されており、墓標のような不気味さがあった。
中央にそびえる一際高いビルが、ヒリフダ市を支える大企業“ヤルダバオート”の本社。
「これからあそこに潜にゅぐ――」
シノユキの手で口を塞がれて、アンは抗議の表情を浮かべたが、シノユキはそれ以上に怖い顔で睨み返してきた。
「もう作戦は始まっている空港で会った時の警戒心はどうした余計なこと言うな役割を演じろ」
一息で言われて、アンは若干涙目になりながら小刻みに首を縦に振った。
バスは何事もなくヒリフダ市内に入り、バスターミナルで停車する。東京の郊外にも関わらず、新宿のバスターミナルに劣らない規模の大きさがあり、商業施設も充実していた。それはいかにこの都市が潤っているかを示している。
標高が高いためか気温は低く、バスを降りたアンはコートを着込み、マフラーを巻く。
休日や祝日は観光客でごった返しているが、この日はビジネス目的でやってきたと思われるスーツ姿の人がほとんどだった。
アンたちは荷物を受け取ると、バスターミナルを後にした。
「よし、先に現地で取材を進めている同僚と合流する」
タクシーを拾ってやってきたのは、ヒリフダ市内にあるビジネスホテルだった。
二人がエントランスに入ると、切れ長の目の男と眼鏡の女性が近寄ってくる。
「よう、お疲れさん」
「お疲れ様です」
「ああ、そちらも。シン・ズーシュエンと天口ユキだ」
紹介を受けて、アンは二人と握手を交わす。
「アンネ・ラインハルトよ。よろしく」
「よろしくな。ここで立ち話もなんだ、さっさとチェックインを済ませて部屋に行こう」
シンに促されて、四人は足早にエントランスをあとにした。
四人がシノユキの部屋に集まると、最後に入ったシンが鍵をかける。
「ここでは演技不要だ。盗聴・盗撮の心配なし。隣接する部屋はすべて機構で押さえてある」
「それはありがたい」
椅子に腰かけたシノユキは顔をしかめて首筋を揉んだ。
「リラックスするのはもう少し待ってくれ。仕事の話をする。改めましてだが、俺は諜報部のシンだ。彼女は暦史書管理部の天口」
「異能対策室の長南だ。こいつはアメリカ支部からの監視役」
「ちょっと、聞こえが悪い言い方しないでよ」
「まあ、事実ではあるしな。特に文句はない」
「取り急ぎ、先行して調査にあたっていたペアが得た情報を共有します」
天口はそう前置いて、ファイルから取り出した資料を二人に配る。
「現在ヒリフダ市内には十二組二十四名の機構職員が潜入しています。それぞれ設定された役割を演じながら、作戦通り情報を収集中。しかし今のところ、どこを突いても目ぼしい情報は出てこないですね」
アンは話を聞きながら資料に目を通していくが、ブリーフィングで配られた資料以上の情報は特にないようだった。
「ヤルダバオートも?」
「なにせヤルダバオートは一大総合商社です。この人員では、氷山をアイスピックで切り崩していくようなものでしょう」
「とはいえ、人を増やせば警戒されかねないというわけね」
天口は無言で頷く。
「ですが、一つだけ有力な情報が入っています。二枚目の資料を見てください」
言われて資料をめくると、“ヤルダバオート主催・チャリティーオークション”という項目が目に入る。
「二週間後、“恵まれない子供たちにクリスマスプレゼント”をという名目の元、ヤルダバオートが所有するコレクションが出品されるオークションが開催されます。そこに何冊か、稀覯本が出品されるという情報を得られました」
「なるほど。カタログは?」
「出品物のほとんどはウェブサイトやヤルダバオートのSNSアカウントで発表されているのですが、一部は当日まで公開されないとのことです。話題性を生むためでしょう。オークションの様子は動画サイトで配信されることも決まっているそうですからね」
「とは言え、盗品であるカヤの書を出品する可能性は低くないだろうか」
「仮に出品されたとしても、私たち暦史書管理機構は表立って盗難の罪を問うことはできません。万が一カヤの書だった場合は機構が意地でも落札しますから、一方的に利益を得られるというメリットはあるでしょう」
「エトセトラが関わっている以上そう単純な話ではないと思うが……警戒するに越したことはないか」
アンは話を聞きながら、右手を細かく動かす。
「ということは、現状そのオークションまでは自分の足で情報を集めるしかないということね」
「ええ、そうなります」
「わかった。シノユキ、街の様子を見に行くわよ」
「あてはあるのか?」
「ないわ。でも街の空気感や、人の営みから得られるものもあると思う」
「一理ある。行こう」
・・
「お前、なにか隠しているな」
エレベーターの中、シノユキは正面を見たままそう言った。
「役割はどうしたの?」
「重要なことだ。話を聞きながら、手でなにをしていた」
一呼吸置いて、アンは左手をシノユキの前に差し出す。
「“イデア”を見て」
言われてシノユキは即座に意識レベルを低下させる。白昼夢を見るように、ぼんやりとした像が姿を現す。
「手帳……?」
アンの手のひらには、黒い表紙の小さな手帳が載っていた。アンはそれを開くと、右手に持った万年筆で“アイデア・ノートと呼んでいるわ”と書きこんでいく。それは紛れもなく、アンのイデアに対する干渉能力であり、ジーニアスであることの証明だった。
シノユキが意識レベルを戻すと、そこにはアンの手のひらしかない。
「お前、イデアル・ジーンを……」
「ええ。でもただの無限メモ帳よ。記録する、という暦史書管理機構の理念にはぴったりの能力だけどね」
「……なるほど、承知した。だがやはり重要なことだった。できればそういう情報は共有してくれ。一応はペアなんだからな」
横目でシノユキを見る。相変わらずの仏頂面だったが、アンは頷いた。
「ええ、そうするわ」
エレベーターの扉が開いた。