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ANNE:2018の前日譚として下記作品をご覧いただけると尚お楽しみいただけます。
Automata:2018/06/03 - 02:02:17
https://ncode.syosetu.com/n4632eu/
十月某日。
「それでは、“第一次カヤの書奪還作戦会議”を始めます」
張り詰めた空気の中を、風鈴のような声が転がった。
老若男女が集められた会議室。その構造は会議室というよりも映画館に近く、資料を映し出すスクリーンと壇上の少女を一同が見つめていた。
「本作戦の指揮を執らせていただきます。有栖川ユウコです。まだまだ若輩者ではありますが、どうか皆さんのお力を貸していただければ幸いです」
そう言って頭を下げる少女は、暦史書管理機構日本支部のトップである有栖川家の長女だった。顔を上げると、綺麗に切り揃えられた黒髪が揺れる。
「まずは本作戦の概要を説明します」
ユウコが傍の職員に視線を送ると、スクリーンにはくたびれた顔の中年男性、そして人の形をした焦げ茶色のなにかが映し出された。
「今年六月二日。真に残念ですが、一冊の異端書が機構内から盗み出されました。元情報部副部長、林田氏の犯行です。タイトルは“カヤの書”。特定機密書物第一類に該当する、本来ならば表舞台には決して出してはいけないものです。セーラさん、説明をお願いします」
「はいはいー」
名指しされて、最前列に座っていた白衣の女性が壇上に上がる。
セーラ・シュタイン。暦史書管理機構第一研究室の主任であり、唯一の研究員でもある。抽象的な情報から物事を分析する能力に長けており、研究のみならずこういった場にも頻繁に顔を出していた。
アンダーリムの眼鏡の位置を指先で直すと、白衣のポケットからレーザーポインターを取り出す。スクリーン上の人型の物体を光点が指した。
「発掘されたばかりの土偶みたいな見た目だけど、これで一応ちゃんと本なんですわ。ま、私も実物を触ったことはないんすけどね。発見されたのは大西洋。俗に言う“バミューダトライアングル”のあたり。一八八九年の五月。洋上をぷかぷか漂っていた、焼け焦げた船の中にあったらしいっすね。次のスライドどぞー」
職員が端末を操作すると、スクリーンの画像がカヤの書を開いたものに変わる。表紙と同じく人型の古ぼけた紙に、紋様のような文字が胸のあたりから放射状に描かれていた。
「皆さんおわかりの通り、地球上には存在しない言語で書かれてますな。一応三十年くらいかけて解読は先代方がやってくれてます。使い方は単純で、アダムが持っていたとされる塩基配列“イデアル・ジーン”を受け継ぐものの血を吸わせればいい。次へ」
スライドは暗視装置を使用して撮影された写真へと変わった。
場所は埠頭。解像度が低くぼんやりとしたシルエットしかわからないが、全長二メートルは優に超える巨体の姿が捉えられていた。会議室の一画がどよめく。
「これによってカヤの書は起動し、使用者を守る強靭な兵士へと姿を変える。これは執行部がカヤの書の奪還に向かった際に撮影されたものですがー、予備動作なしで二十メートル近い跳躍を見せて、すたこらさっさと逃げられやした。ま、しゃーないっすね」
ここで話を聞いていた一人の男が手を挙げた。
「どうぞ」
「異能対策室の長南シノユキです。確かに外に持ち出されてはまずい本ですが、各部の部長やユウコ様までが動くほどの事態ですか? 情報部と異能対策室にお任せいただければ――」
「ちっちっち。甘いなぁユッキー」
「シノユキです」
「いいから説明を最後まで聞きたまえ。本題はここからなんで。以後の情報はトップシークレットっす。絶対他言無用でおなしゃす。次へ」
セーラの指示で、スクリーンには動画が流れ始める。
「これはカヤの書のページをすべて透過させ、三次元的な図形にしたやつ。いやはや本当、美しいっすよね。イデアを感じる」
「それがなんです?」
「単刀直入に言おうか。これは“神の設計図”なのだよ」
「……神の設計図?」
「完全なアダムの塩基配列。それが記録されたものさ」
質問した長南シノユキ本人を含め、その場にいた事情を知らなかった面々も、ようやく事の重要性を思い知った。
「並の言語学者や化学者が集結しても読み解かれる情報ではないけれど、万が一ということもあるんでね。もしも解読されて遺伝子操作技術なんかとごにょごにょされたら、異能力者――“ジーニアス”を人工的に生み出すことも可能になってしまう」
「納得しました。それで、カヤの書の現在の在処は?」
「それについてはわたしゃ専門外なんで、ユッコちゃんに説明してもらおうかね。お粗末!」
そう言って、セーラはぴょんと壇上から飛び降り、自分の席に戻った。
舞台の隅に控えていたユウコは、再び中央へと戻る。
「諜報部の調査の結果、カヤの書が持ち込まれた可能性があるのは東京都“ヒリフダ市”。東京都西部に位置する、日本最古かつ最大の移民街です」
声に合わせるように、スクリーンにはヒリフダ市の画像や基本情報が一斉に表示された。
「ヒリフダ市は総合商社“ヤルダバオート”によって支えられています。ヤルダバオートは、戦後の混乱の中、日本にやってきた九人の外国人によって創設され、現代まで発展を続けてきました。今では海外にも逆輸入のような形で支社を持ち、日本のGDPにも大きく貢献しています。エンターテインメントから金融まで幅広く取り扱う、日本人なら誰もが知る大企業でしょう。……しかしここ数年、内通者から不穏な動きがあるとの報告が定期的に上がっていました。“エトセトラ”との接触です」
その単語を初めて耳にした一部の面々が顔を見合わせる。
「ご存じない方もいるでしょうから、説明します。エトセトラはジーニアスを含む偶発性コロニストの集団です。暦史書管理機構の接触に応じず、異能力を私利私欲のために使いながら生活しています。これまでなかなか尻尾を出しませんでしたが、ある意味カヤの書が持ち出されたことで誘い出せたわけですね。その首謀者の一人が彼――」
スライドは再び先ほどの埠頭の画像に変わり、巨人の足元にいたフードの男がアップになる。
「折紙ヒノテ。約三十年前、暦史書管理機構から姿を消したジーニアス、バニッシュメントこと折紙カナエの実子と思われます」
その名前は近代の暦史書管理機構最大の汚点として語り継がれていた。一同が溜め息を漏らす中、席にいた一人の少女がきゅっと口を結ぶ。
「先ほどの報告にあった不穏な動きというのは、おそらく異能力を使ったビジネスのようなものを画策しているのでしょう。今回折紙ヒノテが表に出てきたのは、このヤルダバオートの後ろ盾があるからなのではないかと推測されます。そこで……皆さんにはそれぞれヒリフダ市に潜入してもらい、多角的に情報を集めていただきたいのです。そして本作戦にあたり、いくつか新しい手法を導入します。アンさん」
最前列にいた豊かな黒髪の女性が立ち上がり、淀みない足取りで壇上に上がる。
「なっ――」
思わず長南シノユキは声を上げた。その女性はシノユキを一瞥、というより一睨みすると口を開く。
「アンネ・ラインハルトよ。暦史書管理機構アメリカ支部から派遣されて来たわ。よろしく」
流暢な日本語でそう言うと、ユウコに笑みを向ける。
「今回のオペレーションは、暦史書管理機構アメリカ支部と協同で行います。これは私の発案です。日本支部の内部から盗難があった以上、我々を監視する第三者が必要だと考えました」
「というわけでアメリカ支部から私を含めて数名、ヒリフダ市の調査に同行するわ。そしてもう一つ。今回の作戦は全員ペアで行動してもらいます。これは相互監視のためよ。このあと端末にユウコが決めた組み合わせが送信されるから、確認して顔合わせを」