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そして春になり、アンの日本での研修最後の日がやってきた。
アンはユウコに招かれ、地下の有栖川邸を訪ねる。チャイムを押すと、施錠機構の動作音と共に中からばたばたと足音が聞こえてきて、勢いよく扉が開いた。
「お待ちしていました! どうぞ上がってください!」
「ちょ、ちょっとユウコ落ち着いて!」
いつにも増して楽し気なユウコに引っ張られて、アンは転びそうになりながらブーツを脱ぎ捨てて玄関を上がった。
そして客間の前まで来ると、今度は急停止する。
「な、なによ」
「ふふふ……。開けてください!」
「ちょっとどうしたの、元気過ぎて気持ち悪いわよ……」
「気にせず気にせず!」
ユウコに迫られて、アンは恐る恐るドアノブに手をかけて引いた。
中の様子が見えてくると同時に、複数の破裂音が一斉に鳴り響いた。それは図書館の帰りに聞いた不快な音ではなく、聞き馴染みのあるクラッカーの音だった。
そしてユウコが「せーの!」と音頭を取ると、「研修お疲れ様でしたー!」という声が続く。
中には研修中に世話になった暦史書管理機構の職員や、リリィ・アダムズ、セーラーサンことセーラ・シュタイン、有栖川リツコ、長南シノユキの姿もあった。
アンはしばらく呆然としていたが、不意に小さく噴き出した。
「ごめんなさい。こういう時の反応、ちょっと苦手です。でも、ありがとう」
アンの日本語での反応に一同は顔を見合わせて笑った。
「日本語上手くなったよアンー」
「アメリカ帰っても元気でね」
「うん。本当にありがとう。絶対に忘れない」
特によく一緒にアンと作業をした機構の職員は、目に涙を浮かべてアンと抱擁を交わした。
「兄の思い出を共有できて良かった。私はもう少し日本にいるけど、向こうで会ったらご飯でも食べに行きましょう」
「いいわね。いつでも誘って」
リリィとアンは硬く握手を交わし合った。
「あなたもありがとう、セーラーサン」
「おっ、君もセーラーサンに会ったのか。いやあ、彼女は素晴らしい助言をくれるよね」
「あなためんどくさいわね」
「それほどでもないよ」
セーラはにんまりと笑って、指で眼鏡の位置を直してみせた。
「セーラーサンに会いたくなったら、また日本に来るといい! あと体調悪くなったらいつでも相談したまえ!」
「ええ、そうするわ。これ、セーラーサンに返しておいて」
アンが例の本を差し出すと、セーラはそれを押し返す。
「選別に取っておきな。きっとまだ役に立つ」
突然セーラの口調が真剣なものになる。アンは戸惑ったが、大人しく本をバッグに収めた。
有栖川リツコは、アンと視線が合うなり頭を下げた。
「研修の最初からあなたを利用するようなことをしてしまったこと、改めてお詫びします」
「……意味があってのことなんでしょう?」
アンが表情を変えることなく答えると、リツコは顔を上げて、アンを見つめ返した。
「ええ。もう一度言いますが、あなたには知る権利があるのです。あなたは――いえ、これもその時が来たら、自然とあなたが答えを見つけるでしょう」
「そうだといいんだけど。まぁいいわ、美味しいサンドイッチをありがとう」
「あら、今日のは娘が作ったんですけどね」
リツコの背後から顔を覗かせたユウコは、得意気に笑っていた。
そして視線は、仏頂面でソファに座るシノユキへ移る。
「……あなた、人を送り出そうっていう気持ちがあるの?」
「あるように見えないか?」
「見えないわね」
シノユキはため息をつくと、読んでいた本をポケットにしまってソファから立ち上がる。
「研修ご苦労だったな。アメリカに帰っても元気でやれ」
「どうも」
二人の間にはまた気まずい沈黙が流れ、アンが踵を返そうとした時だった。
「おい」
「なによ」
「……エドワードの墓参りに行ってやれよ」
「言われなくても、行くつもりだったわ」
アンは振り返ることなく、ひらひらと手を振ってその場を離れた。
そして出された料理のほとんどを食べたアンが動けなくなったところで、送別会はお開きとなった。
翌日の飛行機で、アンはアメリカへ帰国する。