[2-5]
ユウコの暮らす地下の家、その和室。三つの布団が並べられ、ユウコ、アン、リツコの順で横になっていた。
「なんだかわくわくします」
母親が一緒だからか、ユウコは年相応の素顔を見せる。アンは普段とのギャップに苦笑しつつ、慣れない日本の布団に若干の居心地の悪さを感じていた。
それを察してか、リツコが体勢を横にしてアンの方へと顔を向ける。
「眠れそうですか?」
「時差もあるから、ちょっと難しいかも。でも元々睡眠時間は長い方じゃないから大丈夫」
「それはよくありません。睡眠は大切ですよ」
「お母様、あの話をしてはどうでしょう」
ユウコの提案を受けて、リツコは「そうですね」と頷く。
「あの話?」
「私たちコロニストの家系に伝わる、おとぎ話のようなものです」
「……おとぎ話で寝かしつけてもらうような歳じゃないんだけど」
「聞き流していただいて構いません。背景音楽だと思ってください」
アンは渋々頷いて、天井を見て目を閉じた。
リツコが語ったおとぎ話はこうだった。
・・
昔々、この世界が生まれるよりも昔。
そこにはなにもありませんでした。
人や物はおろか、空間すら存在していませんでした。
しかしある時、“存在したいという心”が生まれました。
エーフェスという名のその心は、自らの居場所として、まず“イデア”という心の世界を創りました。
イデアはどこまでも続く白い世界でした。
エーフェスはイデアを漂いながら、永遠のように長い時間を過ごしていました。
その長い時間の中で、エーフェスの中にもう一つの心が生まれました。
エーフェスがその心を自分の心から取り出すと、それは“点”になりました。
しばらくすると、エーフェスの中にまた心が生まれました。
それを取り出すと、今度は“線”になりました。
さらにしばらくすると、またまたエーフェスの中に心が生まれました。
それを取り出すと、今度は“円”になりました。
エーフェスは自分の中に生まれてくる心を次々に取り出していきます。
こうしてイデアには、様々な形の心が満ちていきました。
しかしエーフェスは思いました。
「ここには沢山の心があるけれど、それ以外何もない」
そこでエーフェスは、その心たちを“実在”させたいと思い始めました。
ですが、そこにはなにもありません。
エーフェスは困ってしまいました。
それからまた永遠のように長い時間が流れ、ふとエーフェスは思いつきました。
「騙してやろう」
エーフェスはイデアを“正”と“負”に分けました。
すると、それまでイデアを漂う心でしかなかったものが、次々に実在し始めました。
エーフェスは驚きましたが、その実在が止めどなく大きくなっていくのを見て、とても喜びました。
こうして実在する“世界”が生まれたのです。
ところがそれは、イデアにあるものと比べると少し不格好でした。
なぜなら、実在は正を得るために、負も同時に獲得しなければいけなかったからです。
エーフェスは四苦八苦しながら様々な心の器を創りましたが、どうにも上手くいきません。
そこで、エーフェスはまた思いつきました。
「自分の器を創って、細かく手を加えられるようにしよう」
こうして、エーフェスは自らの器を創り始めました。
しかしエーフェスの心はとても複雑で大きかったので、これもなかなか上手くいきません。
実在するということがいかに難しいかを思い知って、エーフェスは創ることを止めてしまいました。
そして時は流れ、エーフェスがなにもしなくなってからしばらく経ったある時のことです。
エーフェスは実在の世界の中で、新しい心を見つけました。
それはとても小さな心でしたが、しっかりと実在する器を持っていました。
エーフェスはそれを“生き物”と呼ぶことにしました。
生き物の器が壊れると、エーフェスはその心をイデアへと連れて帰りました。
生き物の心をよく観察すると、点や線、円などの心が混ざった、螺旋の心を持っていました。
どうやらその生き物は、周りの環境によって無理やりその形に変えられてしまったようでした。
それを見てエーフェスは気がつきました。
「器を創るんじゃなくて、器が生まれる場所を創ればいいんだ」
エーフェスはそう考えると、様々な実在をぶつけ合って大きな球を創りました。
エーフェスはそれを“星”と呼ぶことにしました。
実在の世界に様々な星が生まれ、星には様々な生き物が生まれました。
エーフェスは星や生き物の心を観察して、どんどん複雑な心の器を創っていきます。
そしてエーフェスは、ついに自らの心の器となり得るものを創りだしました。
その器を“人間”と呼ぶことにしました。
人間にはしっかりと、エーフェスと同じくらい大きな心が宿りました。
それは、エーフェスにとって初めての“他人”でした。
しかしその器はとても脆く、あっという間に壊れてしまいます。
何度創り直しても、やはりすぐに壊れてしまいました。
そこでエーフェスはこう考えます。
「人間をもっと頑丈にしよう」
エーフェスは頑丈な人間を創りました。
しかし、頑丈な人間は身動きが取れませんでした。
「人間に身を守る力を与えよう」
エーフェスは人間に力を与えました。
しかし、力を持った人間は人間同士で壊し合ってしまいました。
「人間に身を守る知識を与えよう」
エーフェスは人間に知識を与えました。
しかし、人間はエーフェスも思いつかないようなものを沢山創りだして、創りだしたものに壊されてしまいました。
エーフェスは困り果てた上、次第に人間が怖くなってきてしまいました。
人間がすでに、エーフェスの理解を超えたものになりつつあったからです。
そこでエーフェスは、人間を管理する心を創りました。
エーフェスはそれを“神”と呼ぶことにしました。
神を人間に伝えるため、エーフェスはついに、人間として生活することを決めます。
これまでの経験をすべて詰め込んで、エーフェスはとても美しい青い星を創りました。
それからエーフェスは、人間として生きる練習をするため、イデアの中にエデンという場所を創ります。
エデンは青い星に似せて創られていて、その中に創った箱庭で、エーフェスは生き物の心を育てたり、植物の心を育てたりすることを学びました。
そしてしばらくエデンでの生活を送ったあと、エーフェスは青い星に生まれました。
エーフェスは実在することの喜びと苦しみを味わいながら、青い星で生きていきました。
エーフェスは青い星で暮らしていくうちに思いました。
「この世界はまだ本当の意味では実在していない。無から生まれたまやかしの世界に過ぎない。真の実在を創らなければいけない」
エーフェスは真の実在を求め、これからも生きていくのでした。