バレンタインとホワイト
妻からチョコをもらった。
ピンク色の紙に包装された、大きさとしてはまさに板チョコほどのチョコレートを渡されたとき、僕は妻に尋ねていた。
「どうして、いきなり」
妻は、ニヤニヤと目じりが下がった顔をして、答えた。
「今日は、バレンタインディよ」
2月14日。
ああ、そうか。納得し、頷く。
僕は、僕と妻は、イベントごとにはやや疎い。どちらかが覚えていたり、忘れていたり、二人とも忘れていたり。
そんなゆるいところがあるから、僕らはお互い様だねと気を許せているのかもしれない。
「ありがとう」
バレンタインチョコをひっくり返したりしながら、妻に礼を言う。
妻は相変わらずニヤニヤと僕を見ながら、「早くこたつ入りなよ」と玄関に突っ立つ僕を促した。
外が寒かったおかげで、手はチョコレートを溶かさない程度に冷え切っている。
コートとスーツを脱いで、妻にもらったチョコを片手にコタツに足を突っ込む。
そして、向かい側に座る妻を見もせず、チョコレートの包装を、僕は結構不器用なのだ、びりびりと破り捨てた。
無残にも役目を終えた包装紙はコタツの傍らに落ちる。
そして包装紙の下には、お目当てのチョコが・・・・。
【私の愛情 85%】
シックな包装の、明らかに【カカオ】を塗りつぶして書かれた、ピンク色の妻の文字。
反応できない僕の耳に、妻の意地の悪い笑い声が聞こえた。
そういえば去年はチョコを貰わなかったなとか、私の愛情85%って残りの15%は何だよとか、いろいろな思考が巡る。が、それら全てを覆して出てきた言葉は、
「これは、苦そうだ」
苦笑いをこぼした僕に、妻は何故か頬を染めた。
「早く食べてよ」
あいかわらず意地悪な目で僕を見つめてきて、僕は仕方なく、腹を決めて、最後の包装を破った。
85%は、本当にひどい味がした。
もはや食べ物じゃないと思いながらも顔をしかめて食べる僕が面白いのか、コタツの向かい側で妻が笑い転げている。
僕はそんな妻を恨めしく思いながらも、本当に面白そうに笑うものだから、ついついチョコを食べてしまう。
まぁ、こんなバレンタインも悪くない。
もう二度と、85%は食べたくはないけど。
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3月14日。
あ、ホワイトディだ、と私はバレンタインディと同様、偶然にも思い出した。
まぁ、ホワイトディだから、私から何か送ることもないのだけれど。
電車に揺られながら、2月14日の記憶を探る。
ああ、そういえばあの人にはカカオ85%のチョコレートあげたんだっけ。すごく面白かったなぁ。
そんなことをしみじみと思い出しながら、唐突に不都合なことを思い出す。
私の夫は、これ以上ないほど律儀な人、だと思っている。
あげたものは同じ分だけ返してくれるし、いままでのバレンタインだって、お互いに忘れていたときもあったが、彼の性格が律儀にも発揮されていた。
例えば、私が手作りのクッキーをあげたら、ホワイトディに彼は同じように手作りのクッキーを持ってくるのだ。
手作りなら手作り。市販なら市販。クッキーならクッキー。チョコならチョコ。
一度、どうして同じものを返すの?と尋ねたことがある。
すると、何を返せばいいか思いつかないんだ、と恥ずかしそうに頬を染めていた。
最初は手抜きなんじゃないかと思ったけれど、手作りのものをあげたら、彼の手作りのものを食べられるので、黙っておいた。
しかし、今回はそれが仇になりそうだ。
ブルルと身を震わせてしまう。
なんだか家に帰るのが怖い。
忘れていてくれたらいいのに、とため息をついた。
けれど彼はやっぱり律儀な人だった。
バレンタインは忘れるのに、と不満に思いながら、黄色の包装紙に包まれた板チョコを受け取る。
チョコを片手に佇む私に、彼はそ知らぬ顔をしてコートとスーツをハンガーにかけた。
そして、何も言わない私に笑いかけて、「ほら、コタツ入りなよ」と、復讐とばかりにけしかけるのだ。
仕方ない、報いは受けようと、仕方なく、腹を決めて、勢いよくコタツに入り込む。
そして躍起になって夫の顔も見ないまま、黄色の包装紙を無残に破り捨てた。
隠されていたそこには、
【ホワイトチョコレート】
と書かれた包装紙。
予想外の展開に、思わずひっくり返して裏面を見たり、包装が二重になってないか慎重に覗き込んだりする。
けれど、やはり手元にあるのは、普通のホワイトチョコレートだった。
え?え?なんで?
あ、もしかして『私からあなたへの想いはもう“真っ白”です』みたいな。それは辛い。
わけがわからなくて、夫を仰ぎ見れば、彼は私の反応が面白かったのか、目を細めて笑っていた。
そして、私が求めていた答えを告げた。
「さすがに、85%はかわいそうかなって」
この時になって、私は夫が優しいことを実感した。
私は、あんなに大笑いしていたのに。
夫の優しさがジワリと良心に染みてきて、自分が恥ずかしくなった。
少し、泣きたくなってしまい、うつむく。
夫は追い打ちをかけるように、
「僕は、良子さんのおいしいって笑ってる顔の方が、好きだから」
「ずびまぜん」
その言葉で、私の涙腺は決壊した。
私は、彼の優しさにかまけて、なんて仕打ちをしてしまったのだろう。
「いいよ、食べて食べて」と笑う彼はなんて優しいのだろう。
私は涙を流したまま、最後の包装を破る。
そうして出てきたホワイトチョコレートを、食べた。
「甘い」
「うん」
そうつぶやけば、彼は冷たい手で涙を拭い取ってくれる。
ああ、手が冷たい人は心が温かいという言葉は、本当なのかも知れないと彼の手が離れていくのを惜しく感じる。
「ありがとう」
早くも止まった涙に、後は涙の跡が乾くばかりでチョコを平然と貪る私は、少し、ほんの少し、人より薄情なのかもしれない。
けれど、チョコをもぐもぐと食べる私を穏やかに見守ってくれる人を、手先はすごく不器用だけれど心は温かい人を、こんなに優しい人を、私は確かに愛しているのだ。