邂逅編4
鍵はかけた。特に心配は要らないだろう。
玄関前の道に出ると風が一瞬、嵐のように吹き荒ぶ。四月中旬だと言っても肌を刺す冷気はまだ無くなることは無いようだ。
このあたりは住宅街で、道端の街灯や車のヘッドライト以外に特別明るいのは存在しない。故に玄関からアスファルトに出れば真っ暗なのだ。
コンビニは通学路沿いにあるので、朝来た道を通ることになるが、幾分も時間はかからない。
母が時々酒を嗜むように、自分にもこうして偶に外で気張らすのだ。大した目的も無く散歩するのはある種の趣味とも言えるかも知れない。
歩きながらも、のんびりと、頭の中の整理をしていくのは丁度、身体中の汗を洗い流す為に浴びるシャワーの感覚に近いものがあるのだ。
現のアスファルトを踏みつつも、脳内の情報を本棚に並べ片していく。
我が家は母子家庭である。
自分が幼い頃、とある事件を境に父親と離別。今日まで母の手一つで育てられて来たのだ。別れた父に対して、その子ながらにして一度も慕う事は無かった。高校に上がった今までは勿論のこと、幼少期にもそんな感情は生まれなかった。そして恐らくこれからも生まれる事は無い。
事件を思い出せば泣きながら必死に自分を庇う母、夜闇を背に広く燃え盛る豪炎。そして猛りながら母を殴りつける大男の姿が蘇る。
自分が2歳ぐらいのことだ。自分の妻を殴る最低クソ野郎が巨躯な男として脳裏に残ってしまっている。それが甚だ遺憾でならない。
もう一度だけ奴に遭遇し、その顔面に拳を捻り込んでやりたいものだと切に願って今に至るものの、そんな機会は訪れることはやはり存在せず、日本社会における一般小、中学生男子としての筋道に沿って生きているしかなかった。
学校での勉学、スポーツなどに励み、好成績を成しても、何も感じない。ただ当然の義務であるかのように執行し、終わらせるだけだ。
テスト勉強やは勿論、一夜漬けというのも経験した事はが無い。学校から出される課題と、最低限の予習復習で周りから羨望されるだけの成果が出ていた。しかしそれらは何一つ、自分の望みを叶える糧にすらならず、ただただ自分の身体の中に砂利のように堆積し、腐っていっていた。
友人と呼べるものも特に意識していない。朝会った海藤も自分から友達と呼ぶには些か疑問が残っている。
故に自分はこの世界から乖離して生きていると思ってしまうことがある。
ー真の理解も充足も得られないー
それは集団社会において、生きているといえるのか。
言い回しとして『死んだように生きている』 というのがあるが自分に限っていえば『生きているように死んでいる』というほうが正しく聞こえる。
それでもこうして今も,水を払う為犬が身体を震わすように、鬱憤を散らしているのだ。
ーこうでもしなければやってられないー
先刻の母の其れと同じだ。
つい口元が緩んでしまった。
もしかしたら、そう数奇なものでも無いのかもしれない。
「血は争えないとも言う‥か」
これが行動心理によるものだろうと、遺伝子によるものだろうと差異は無い。母は必死に此処まで、それも独りで自分を育ててくれた方だ。共通項の一つや二つの共通項に不快感を覚えるものか。
そんな母の為にも、まだ生きていなければ。
気づけば通学路の大通に交わる道にでており、コンビニはもう間近にあった。
同じ系列のコンビニであっても、時期やその場所によって、置いてあるデザートの種類は違う。
ここはよく品が変わる為、いつ来ても飽きはない。
さて、自分は特に心踊っているワケでは無い。
偶々通りがかっただけであるが、頻繁に変化するこの店の内情を近所の人間が知らないというのはいけないことだ。仕方なく中の様子を伺っておくとする。
決して甘いものが好きだからとか、そんな邪な理由からでは無い。