邂逅編2
学校までの所要時間は20分といったところ。ー我が家はJRと名鉄本線の間に位置しており、国府宮神社に続く東西の道に入れば後はほぼ一直線である。
この道は駅前と比べれば自動車の交通量も然程多くも無いので学生らの通学路としては十分な役割を果たしていると思われる。
コンビニを通り過ぎた所で、灰色の大きな鳥居が見え始めた。鳥居の付け根まではまだ2、300mくらいあるにも関わらずこちらの目を捕らえ続ける。焦点を外す事は許されはしたが、その巨躯の醸し出される存在感は視界から拭い去るのは不可能であろう。
この街のシンボルとしての役割は大いに買って出てくれていることだろう。
「よーッ!タツキーーーー!!」
…無視だ。
自分の名前に似たような奇声をあげている奴を認識した。否、させられたと言ったほうが妥当か。
しかしあえてここは触らぬ神に祟り無し。気流に逆らわず揺れ動く柳の如く、近づいてくる戯言全てを背中で受け流した。
歩数の拍を気持ちばかりか早めてしまうが首は前を向いたままだ。やり過ごす事は出来る筈だ。
息を、後ろへの意識を圧し殺し、進み続ける。
………………ついさっき母親に対してやっていたツッコミなんか、出来る筈が無い!
「オ、オイ。聞こえてんだろ!返事しろやー!」
馬鹿みたいに甲高い声が迫ってきてたと思えば、それからまもなく自身の横切った自転車がドリフトからのブレーキを極めて魅せた。
誰にでも出来る筈のない技なのに、何故か安く見えてしまった。
技術の華も使い手によるものか。一抹の同情も禁じ得ないくらいだ。
「はぁ…はぁ…おめえ、ぜってェ気付いてんだろ…。」
「よう海藤なんのことか知らないが、こんな気持ちのいい日にむさくるしい事するなよな。」
返しのおはよう、よりも早く小言が出てしまった。
「おまえは…相変わらず…堅い奴だな……はぁー…。」
途切れ途切れながらも海藤は言い終え、最後に深呼吸する。これで息が整うか。
落ち着いたのを見計らって、海藤の肩に手を置いた。口元に笑みを浮かべて、優しく諭してやる。
「あと、オレの名前は龍樹だ。決してタツキと呼ぶんじゃない。」
「お…おお。わざとなんだ安心しろ…よ。」
「わざとならいいとでも…?」
「いえ‥。あと目、笑ってないっすよ…。」
海藤史彦。クラスメイトだ。快活にして活発。元気と呑気という言葉を辞書からそのままもってきて、引っ付けたような性格の持ち主である。教室内では一番喋る部類の人間。
そのような彼とはは学校内ではよく話すのは確かだ。自分はそこまで人と話すことは無いのもあって、彼との付き合いは校内で最も深いものであると言っても過言ではない。
だがこれはあくまで相対的な比較をした場合の話。学校が終わった後は、会ったことも無かった。つまり、学校以外において彼との交流は皆無と言える。
時に海藤の能天気さは少し頭を悩ますが、特別毛嫌いするでも程ではない。ここで邪見にしても、なにも生まれないのだ。
「…いくぞ。遅刻はしたくない。」
「わかった。」
歩行を再開。学校を目指す。
線路沿いの信号を抜け、更に進むと平和堂が見えた。学校までの距離としては残り3割程にまで迫ったのを確認したが、安堵はできなかった。平和堂近くの公園に建てられる時計に目をむけると集合時間まで15分も無かったからだ。
「チ…」
不覚にも悪態が体から滲み出てしまった。海藤にからまれたからとはいえ、彼にそれを押し付けはしない。
少しばかし彼にもの言いたいのは確かだ。おまえと絡んでたら、遅刻しそうになったじゃないか。のような垂れ込みたくなるのも存在する。
感情は自身で処理すべきなのだ。そうするということが、社会で生きると云うことそのものなのだ。
そう、社会に教え込まれたのだから、間違いはない。
吸気と息衝き一拍子にも満たない間に行う。そのまま足取りを早めると海藤がそれに気づく。
「アレ、もう時間ねーか。」
「ああ。」
「歩きの登校は大変だな。」
海藤もそれにあわせて、自転車の漕ぎのペースを若干早めた。今にも彼から、オレはさほど問題にはなりませ~ん、とでもハミングしだす風すら醸し出しているように見てとれてしまう。自身のおかれている状況もそう認識してしまう原因となっているのかもしれない。
「ああ、誰かと違って、余りのんびりは出来ないな。」
海藤の言い方に、頭の中を曇らせたがやつの中に悪意がないことを察することは出来る。
ここは、彼の無垢さに免じて皮肉一つですませよう。
「どうだ龍樹。その重ーい鞄持ってってやろうか。」
彼の唐突な差し入れに一瞬思考を奪われるも、クラスメイトとはいえ完全には捨てきれぬ猜疑心も携え応えた。
「…ただの善意じゃなさそうだな。」
「いーや、そんなことないぞ。ただ、ちとばかし昨日やり忘れた宿題をついでにみせてもらおうかなんて考えても無いぜ。」
「考えてるじゃないか…」
海藤史彦はあまり隠し立てするのはあまり好まない。俗にいうクッション言葉なども、使うのを見るのは少なくなかった。
それは自身の善意も悪意も同様なのだ。言うこと成すこと大概が率直。
自身の欲望に関しても、裏に潜めておくのは嫌う傾向があるようだ。
「けど言ってたろ。…遅刻したくないってさ。」
「…。」
そうだ。まだ一年生たちの入学式を終えて一ヶ月経ってもいない時期に早々、遅刻するのはあまりに忍びない。周りからすれば一種の拘りに見えなくないだろうがそれでも、積み重ねてきたのをここで捨てたいと思うことはない。
息を吐いた。
「仕方ない…。今回は任せたぞ。」
「まいどォ。じゃ、急ごうぜ。さすがに少しやべえ。」
海藤に鞄を渡し、気持ち上に飛び跳ねる。下半身の関節部の伸縮を確かめ、間もなく訪れる動作のその時に備える。
早歩きしながらも息を吸い込み、頭の中で秒を刻む。
3…2…1…
0を払い捨て、一気に加速。右足で大地を蹴り込み、その反動で左足の膝を前に突出す。以後それを繰り返し、更なる加速を体に要求していく。
無論、海藤のお蔭で自由になった両腕も振るい、それの助けとする。
「さっすが。2A-3トップクラスの運動神経だな!」
素直に褒められると、その場のみでの噺だとわかっていても、悪い気がしなくなる。
「ふ…、調子に乗ってると、いつの間にか抜かされてるかもしれないぞ。」
こうつい豚もおだてりゃ木に登ってしまったような軽口が出てくるのも致し方ないと思う。
「馬鹿言うなよ。もう行くからな。先に教室で待ってるぞ。」
「ああ。」
海藤が立ちこぎをし始めると、そのまま自分との距離を段々と開かせていった。まあやつは集合時間の5分前には辿り着くだろう。着いてからは宿題の複写に追われること請け合いであるが。
海藤が見えなくなりかけた所で、跳ねついた自分の意識が薄らいできた。
「はあ…」
跳ねついた意識を拭い飛ばし、心で呟く。
走って火照っている身体とは裏腹に、頭の中は段々と冷たくなっていくようだ。
何熱くなってたんだ俺は。
何調子乗っていたんだ俺は。
冷えた頭に、今度は羞恥の念が生まれてきた。
海藤も鞄を持ってやろうかと言ってきたのもその実少しでも宿題を写せる時間を延ばそうという魂胆があったのではないのだろうと思う。
ー世の中善意だけで動く人間などいないー
そう弁え生きてる筈なのに、気持ちは酷く浮ついてしまう。
施し奴が損をする、そんな世界だろ此処は。
忘れるなよ龍樹、今までのこと。そしてこれから事も。
もう、バカを見るのは御免だ。
そう考えながら走るウチに、学校敷地内の時計が見え始めた。
時計の針を見るに、8時7分。
あと3分で遅刻してしまう。
今はこっちに集中しなければ。
そう自身に言い聞かせてると更に速度を上げ、校門に向かった。