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夕闇の猫  作者: 風浪
一章 ギルドと独立遊撃部隊
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初めて会った時と同じように、

 初めて会った時と同じように、彼はとても楽しそうに笑っている。

 唯咲が絶句した。全身の鈍痛もすっかり忘れて後ろを仰ぎ見ると、やはり満足そうに目を細めて笑う彼が危なげなく手綱を操っている。彼は唯咲と目が合うと、にやりと笑って勝ち誇ったように言い放つ。

「やはり猫を被っていたな! しおらしくして騙そうとしても、そうはいかんぞ」

 悪戯好きの悪童のような顔で笑いながら、弾ける声で笑い続けるヴィハーシュ。

 唯咲はあんぐりと口をあけた間抜け面で、ヴィハーシュを見上げた。

 どうやら彼は信じ難いことに、唯咲が大人しくしているのが気に入らないらしい。唯咲が反抗してくるのが面白くて仕方がないと、笑っているように見えるのだ。

 なぜ?

 唯咲が声を失ったままぽかんとヴィハーシュを見上げ続けていると、彼は笑いの衝動が治まりきらない様子で吹き出した。

「イサキ、年頃の女の顔じゃないぞ!」

 その上、年頃の女の子に言ってはならないレベルの暴言を吐いてくる。

 唯咲は我に返って憤然と言い返した。

「失礼な! 誰のせいだと思ってんですか!」

「あっははははは!」

「聞け!」

 噛み付くようにヴィハーシュを怒鳴りつけてから、はたと口をつぐむ。前言撤回。ちっとも我に返れてなかった。

 だが唯咲の予想を裏付けるかのように、ヴィハーシュはけらけらと笑いこける。唯咲が粗相を重ねるごとに、大喜びで爆笑するのだ。

 唯咲は身体を揺らして大笑いしているヴィハーシュの機嫌を損ねる事を覚悟して、思い切って訊いてみた。

「なんで、笑うんですか? ――私が、煩わしくないんですか?」

 声が震えないように、気をつけた。

 じっと彼を見つめると、彼も笑いを引っ込めて唯咲を見つめ返してくる。じっと真剣な眼差しで唯咲を射抜く金灰色に、今の所怒気は見られない。

 唯咲が息を詰めて返事を待っていると、ヴィハーシュは大真面目な顔で、厳かに忠告してきた。

「身体。痛むのではなかったのか?」

 思い出した。

 途端に軋み出す全身に悲鳴を上げながら、唯咲はなんとか前方に向き直る。先刻とは明らかに違う意味で涙が滲んだ。

 またくつくつと喉の奥で笑って、ヴィハーシュは唯咲を抱き直す。

 それから掠れた重低音で、唯咲が求めた答えをくれた。

「煩わしく思っていたら、わざわざ俺の前に乗せてやるものか」

 後ろから降ってきた掠れた重低音が、背中を通って奥に染み込んだ。

 それは、つまり。

 唯咲は息を呑んで、大きく目を見開いた。

 それは、つまり。少しは好いてくれていると、そういう事でいいのだろうか。

「たい、ちょう」

 掠れた声で囁いて、唯咲はしまったと思う。

 泣きそうになっている事が、悟られてしまわないだろうか。

「あの、わたし、」

「ヴィハーシュだ」

 唯咲とは違いそもそも掠れた声質の彼が、自分の名で優しく唯咲の言葉を遮った。

「ヴィハーシュ・イクサ。……俺の記憶違いでなければ、名乗ったはずなんだが。忘れていないか?」

 悪戯っぽく言われて、唯咲はあっと思い出す。


 ――唯咲です。古村唯咲。最初に名乗ったの、忘れてるでしょう


 彼と初めて会った時に、唯咲が言った言葉になぞらえたのだ。

 そして、この行為が意味するものは。

「……ヴィハーシュ……隊長?」

 名前で呼ぶようにという、指示。

 控えめに、躊躇いながらその名前を口にする。

 名を呼ぶことを許された、それだけで心が舞い上がる。それを隠すように、そっと彼の名を呼んだ。

 しかし彼は満足しなかったようだ。ゆっくりとした重低音で、さらに訂正を加える。

「隊長は、いらない。イサキは、まだかろうじてだが、俺の隊に所属しているわけでも、俺と同じギルドに登録しているわけでもない」

「ヴィハーシュ、さん」

 壊れ物を扱うように、その名前をそっと大切に音にした。

「それでいい」

 今まで聞いた中で、一番満足そうに告げるヴィハーシュ。きっと、口元を緩めているんだろう彼の名を、唯咲はもう一度呼んでみた。

「ヴィハーシュさん」

「なんだ?」

 上機嫌で返事をするヴィハーシュに、唯咲はそっとため息をつくように言った。

「先程の『まだかろうじて』発言について詳しく説明してください……」

「ああ、その事か。イサキはニホンから来たばかりだろう? ならコムラと同じように行く宛がないはずだから、俺の所に来ればいいと思った」

 それで、ここまで連れてきた。

 何でもない事のようにそう言って、彼はそういえばととぼけた声をあげた。

「お前の意思を聞いてない。一応確認しておいてやろう」

「あのですねヴィハーシュさん。その言い方だと拒否権が存在しないような」

 即座に切り返すと、ヴィハーシュは愉快げに笑った。

 どうやら正解だ。何が彼の琴線にふれたのか分からないが、唯咲はヴィハーシュに気に入られたらしい。で、誰の物にもならずに落ちてたから拾って帰ってきたと。そんな捨て猫やジャンク品じゃないんだから。

 ヴィハーシュは笑うと少しだけ声が高く明朗になる、と要らない知識ばかり増やしながら唯咲はため息をついた。

「辛気臭いぞ、イサキ」

「ヴィハーシュさんのせいです」

 こんなに生意気な口を利いても、彼は笑って許してくれる。

 それがとても心地良くて、唯咲は実際ため息をつくほど嫌とは思っていなかった。

「それより、まずはイサキの今後の話だ」

 ヴィハーシュは忘れる所だった、というような口ぶりで話の軌道を修正した。そのまま楽しげに、唯咲の後ろから問いかける。

「では訊こう。イサキ――俺の元に来い」

 イエス、と答えることを確信しているような声だった。

 自信に満ち満ちたその重低音に答えて、唯咲は口を開く。

「……はい」

 奇しくもプロポーズを受けているような言い回しに、なんとなく気恥ずかしくなりながらはっきりと返事をする。

不束者ふつつかものですが、よろしくお願い致します」

「――良い子だ」

 ヴィハーシュは実に満足そうに、短く応えた。


「勢い込んで否定した割には自ら嫁に来たようだが、イサキ」

「違いますそういう意味じゃないですそのからかい方まだ続くんですか勘弁してください」

 とりあえず唯咲はこの世界の常識と、ヴィハーシュの扱い方から学ぶ事にした。

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