彼は愉快げに
彼は愉快げに喉の奥でくつくつと笑った。
「そうか、お前、あの男の娘か」
馬上の影が揺れ、気が付いたら彼はひらりと唯咲の傍に降り立っていた。がじゃん、と金属の擦れ合うような音がする。
「確かに、お前の肌の色はコムラに良く似ている」
ふっ、とかがんだ彼が唯咲の頬を撫でる。唯咲は近付いた彼の顔とまっすぐ向き合って、息を呑んだ。
金灰色、とでも言えばいいのだろうか。琥珀に銀を溶かし込んだような、不思議な色合いの瞳が二対、修羅のような光を放っている。
凄惨な生き地獄を山ほど映してきた者独特の凄みがあるその瞳を、唯咲は息をするのも忘れて見つめた。
我に帰ったのは、掠れた重低音がからかうように話しかけてきた時だ。
「見惚れたか?」
そこでようやく、唯咲は慌てた。かっと顔に熱を上げて、早口でまくし立てる。
「す、すいません初対面でじろじろ見て失礼でしたよねすいません! でもあんまり綺麗だったから!」
恥ずかしい。礼儀のなっていない娘だと思われただろうか。父よ、顔に泥を塗ったらごめん。
けれど彼は、なんてはしたない娘だと憤る代わりに、まじまじと唯咲を見つめた後思い切り吹き出した。
「…………え、と」
唯咲は困ってしまった。なにか面白かったのだろうか。顔か。この顔が面白おかしかったのか。
そういえば目の前の彼のお顔は、良く見なくても整っている。すっと通った高い鼻筋、面白そうに端をつり上げる大きめの口元、若干面長の輪郭。鋭く切れ上がったまなじりに、器用に跳ね上がる眉。野性味と色気と甘さを足して二で掛けた感じの、芸能人も真っ青な男ぶりである。甘辛風味でお届けしております、みたいな。
つまり、大変整った御尊顔の彼からしたら、唯咲の顔面なぞちゃんちゃらおかしい豚猿に見えたのかもしれない。
くそ、美形が馬鹿にしおって。
「……そんなにこの顔がおかしいか色男」
若干、いやかなり恨めしそうに唯咲が唸ると、彼は腹を抱えて爆笑した。それはもう、文字通りの大爆笑だった。良く見たら彼の背後に少し離れて控えている、馬上のおっさん共まで爆笑していた。馬から転げ落ちる馬鹿までいる。
唯咲がむっとしていると、彼が息も絶えだえの様子で唯咲の肩をがっしと掴んだ。
「っく、くく……いや、確かにお前はコムラの子だ! 間違いない!」
唯咲は痛みで飛び出かけた悲鳴をぎりぎりで飲み込んで、胸の中で毒づいた。父よ、何をした。
もしかしたら父もくたばれ美男的な発言をしたのかもしれないと思うと、唯咲はちょっと残念な気持ちで胸を満たされた。
「……だったら、お前もニホンとかいう国から来たのか?」
「え、あ、はい」
笑いすぎていまだに声が震えている彼に頷くと、彼はなんとか息を整えて立ち上がった。
「コムラの娘なら、こんな危険な場所に放置する訳にはいかんな。娘、立てるか?」
にやりと唇を歪めて唯咲を見下ろす彼の前髪が、ひときわ強く吹き抜けた風に翻弄される。舞い上がるダークブルーが、後ろで長く三つ編みに編まれていることに今ようやく気付いた。
父の綴った日記の中に彼が出てきた気がして頭を捻ってみたが、残念ながら何も思い出すことはできなかった。
唯咲はあっさりと諦めて、長身の彼を見上げる。
「唯咲です。古村唯咲。最初に名乗ったの、忘れてるでしょう」
コムラの娘だのお前だの、ろくな名前で呼ばれていないのが少し気にかかったのだ。試しにもう一度名乗ってみると、ああ、と納得するような顔をされた。
やはり忘れていたようだ。
「イサキ、だな。コムラ・イサキ。……名前が後に来るのは、やはり身に馴染まんな」
やはり彼らは、アメリカ人のようにファースト・ネームがファーストに来るのだろう。
立つ気配のない唯咲に何を思ったのか、彼は唯咲の傍に膝をつき、そのままひょいと横抱きに抱え上げた。
「え、」
声も出ない唯咲に構わず、すたすたと愛馬の傍まで歩いていく彼。唯咲にしっかり捕まるよう促し、今度は唯咲を片手で支えて騎乗。流れるような動きで自分の前に唯咲を座らせ、左腕を唯咲の腹部に回して固定。
「え、いやあの」
若干焦りを見せる唯咲に勘違いをしたのかマイペースなのか、掠れた重低音は唐突に自らの名を明かした。
「俺はヴィハーシュ・イクサ。ギルド《ガット・ディ・セラータ》通称《ガディー》独立遊撃部隊隊長だ。コムラは市街警備部隊隊長だった」
言い終わるなりヴィハーシュは唯咲をぐっと抱き寄せ、耳朶に唇を寄せてきた。
耳に唇が触れるか触れないかの距離で、掠れた重低音に囁かれる。
「……少し痛むが、我慢しろ」
耳に直接声を注ぎ込まれて、首筋と背中がぞくりと粟立つ。
聞き捨てならないセリフに問い返す暇もなく、ヴィハーシュは馬の腹を蹴った。
「帰るぞ!」
楽しげな号令に応、と口々に声を上げて続いてくる地鳴り。
唯咲は息を忘れて目を見張った。
顔に当たる風は心地よく、飛ぶように消えていく景色も新鮮で、鼓動が高鳴るのを感じる。どくどくと脈打つ心臓が、隠し切れない気分の高揚を物語る。
――馬に乗るって、こういうことなんだ。
唯咲は感極まって、自分を抱き抱えるヴィハーシュの腕にしがみついた。
ただし全身打撲傷の時に乗っていいものではないと思ったし、少し痛むどころの騒ぎでなく痛かったので、若干の怒りを込めて彼の手の甲をつねっておいた。