Round 1.Bout(バウト)
――二月二十八日(月)、午前八時。
「ええっー、は、八時ってなによぉ!?」 夕菜は、時計を確認して思わず声を上げた。
現在位置、舞川家夕菜の部屋。現在時刻、八時過ぎ。――原因、……二度寝。
夕菜は慌てて制服に着替える。髪も手櫛で梳かし、整える。そしてそのまま一階へ。
階段を下りてくる音を聞いて、陽子がリビングから顔を出した。
「あ、夕菜ちゃん、ちょっといい?」
「ごめん、お母さん。時間がないの、帰ってからにしてっ。――いってきますっ」
夕菜は陽子の声には耳を傾けず、玄関を開けて飛び出して行った。
「あっ、……もう、あの子は」
夕菜が家を出た直後、家の奥から一人の男性が姿を見せる。
「で、夕菜は例の話、なんと?」 その人物は、EXPERTの本部にいた、陸だった。
「夕菜ちゃん、話も聞かずに飛び出して行っちゃった。帰ってからにしてって」
「やれやれ。なんだってあいつはそんな時間まで寝ているんだよ?」
「あなたが帰ってくる前に日向ちゃんが一度起こしたんだけどね」
「それで、二度寝か」
「いつもなら出かけ前にもう一度日向ちゃんが呼びにいってるんだけど……」
「あちゃあ。……日向に話すタイミングが悪かったな」
「日向ちゃん、話を聞いたとたんにあれでしたからね。――無我くんの事」
「しかし、日向と無我が会ったのは七年前の一度だけだったはずだが? なんでそんなに嬉しいんだ?」
「私はあの日になにがあったか知らないけど、あの子にとってはきっと、かけがえのない出来事だったんでしょうね」
――ガーディアンスクール、2−A教室。
教室後方の引き戸が勢いよく開かれる。そして、夕菜が教室に駆け込んでくる。
「ま、間に合ったぁ」 胸に手を当て、息を整えようとする。
少し落ちつくと、夕菜は自分の席に向かう。
夕菜の席の一つ前、男子生徒が机に伏っして眠っていた。
「いい身分ね、こいつは。こっちは全力で走って来たっていうのに」
夕菜の席の前――、そこは法名 無我の席であった。
夕菜に一人の男子生徒が近づいてくる。
「起こすなよ? 無我、昨日は仕事で寝てねぇんだと」
桐生 幻斗、義務教育時代から無我と付き合いのある、無我の親友である。
「ま、時間ギリギリまでゆっくり眠ってた夕菜さんにはわからんだろうな?」 幻斗は、あきらかに皮肉った呼び方で夕菜に言った。
「悪かったわね、桐生。時間いっぱい寝てて。――別にこいつを起こそうだなんて思ってないわよ。ただ、ちょっとむかついただけ」
「そうか? 俺には無我を背中から刺そうとしているぐらいに見えたが?」
「なっ、――だったらあんたが最初の被害者になってみる?」 夕菜は冗談まじりに言葉を返したつもりだったが――
「冗談、だよな?」 なぜが真剣に聞き返す幻斗。
「当たり前の冗談を真顔で返すなっ!」
「はははは、やっぱ舞川をからかうと面白れーわ」
「なんなのよ、もう」
「じゃ、俺は戻るか。くれぐれも無我は起こさんようにな」 幻斗は自分の席に戻って行った。
「まったくあいつは。――でも、無我ってバイトなんてやってたんだ」
無我のバイト――ま、言わなくてもわかっているよね?
しばらくして、教室前方の引き戸が開かれる。
「よーし。皆、席につけ」 そういって入ってきたのは総真だった。
さて、ここで一つ説明が必要となる。EXPERTの人間は必ずしもEXPERTの仕事だけで暮らしているわけではない。早い話、総真はガーディアンスクールの教師も兼ねているってこと。
「さて、じゃあまずは――ん?」 机に伏っしている無我が目に入る。
総真がゆっくりと無我の席にむかって歩いてくる。無我の席の前にくると、手に持っている名簿を振り上げて――
乾いた音が響いた。名簿で無我の頭が叩かれたのだ。
「……ってぇ。なにしやがんだ、総真っ」
「タイムアウトだ、ちゃんと起きて話を聞け。二発目はココでいくぞ?」 背表紙部分を指差す。
「ったく、もうちょっと優しく起こせねぇのかよ?」
「なんだ? やさしいキスがお望みか?」
「やめろ、想像しちまうだろうが」
「安心しろ。俺だってお断りだ」
「だったら言うな。――さぁ、早く仕事に戻れ」
「お前が言うな、お前が」 教壇の方に移動する。
教壇に名簿を置くと、総真がこう切り出した。
「『Bout』については知っているよな?」
この学園には『Bout』と呼ばれている模擬戦闘を行うイベントがある。毎年この季節、卒業していく三回生を見送る催しとして二回生が実力を見せているものだ。
「今年はお前達がやる番ってわけだ。――そこで、このクラスの代表者三名を決めたい。ちなみに、優勝メリットなしの最下位にはペナルティありだ。さあ、立候補は?」
挙手はない。まぁ、はっきりとメリットなしペナルティ付なんて言われりゃねぇ。
「立候補者はなし、か。じゃあ、俺で決めよう。まずは――無我」
「断る」
「強制。……さて、あとの二人は――」
「総真、てめぇっ、話を聞けっ」
「あとはそうだな……。舞川、平田。お前らでいけ」
「は? なんでよっ」
「ははは。指名されちゃった」
「なに喜んでんのよ、平男」
平田 伸男(通称:平男)、なぜかいつもヘラヘラしている無我の同級生。
「ちょっと先生、なんでうちらなのよ?」
「なんでって、無我の前後にいて目に入ったからだ」
……ちなみに、席順は五十音順ですよ?
「はぁ? じゃあ、なに? うちらは無我の巻き添えってわけ?」
「ま、そういうこっちゃ。話は終わりだ、次の授業の準備をしとけよ」 総真、教室から退室。
引き戸が閉まる音と同時に、夕菜の怒りの矛先は――
「無我ぁ」
「待て待て、俺も被害者だろうがっ!」
一時間目が終わると同時に、無我が席を立つ。
「ちょっと無我、どこいく気なの?」
「悪いな。ちょっと用があるんだ」
「なに言ってんのよ? 第一、Boutのオーダーはどうすんのよ?」
「勝手に決めていい」 教室前方の引き戸へ歩いていく。
それを見て幻斗が無我に近づいてくる。
「おい、無我。あの二人をほっといてどこに行く気だ?」
「C組に用がある」
「C組? ――ああ、雨宮の頭のケガの事か」
「! お前、雫に会ったのか?」
「雨宮に用があるんだったら、もう少し遅く登校すればよかったんじゃねぇか?」
補足説明。幻斗はワケがあってEXPERT本部の上の階(ちなみに本部の上の階はEXPERT関係者が暮らす住居になっている)で暮らしている、雫は姉の霧と暮らしているので同じ場所に住んでいる(部屋は一人部屋なんで別の部屋になってるけど)。つまりはそういうこと(ちなみに無我がそこに住んでいるのはもう知ってるよね?)。幻斗のワケについては後にわかるからここでの説明は遠慮させてもらいますね。
「なになに? あたしの話?」 廊下から声がかかる。
雨宮 雫、もうわかってると思うけど、霧の妹である。頭部には包帯が巻いてあるようだが?
「無我、雨宮に用があったんじゃねぇのか?」
「ん? 無我があたしに? 珍しいね」
「廊下に出よう。入り口付近でたむろしてちゃあ邪魔になる」
無我と幻斗が教室から出る。
「で、無我。あんたの用ってのは何?」
「いや、な。お前が昨日の列車事故に巻き込まれたって聞いてな」
「ああ、それね。見てよ、この包帯。まったく、散々だったわ」
「おい、無我? 列車事故って、昨日のアレか? 大丈夫なのか、雨宮?」
「大丈夫じゃないわよ。ほんと、思いっきりぶつけたんだから」
「……?」 無我はなにか雫に違和感を感じていた。
「どうしたの、無我? 急に黙っちゃって」
「……お前、なんか無理に明るく振舞っていねえか?」 その違和感を口にする。
「え? ……ははは、まだ本調子じゃないのかもね。――用って事故の事だけ? じゃあ、あたしは教室に戻るね」
雫が2−Cへと向かって行った。
「? どうした、無我? 心配事は消えたんだろ?」
「ああ。だが、なにかが引っかかるんだよな?」
「考えすぎじゃねぇのか? ――俺たちも教室に戻るぞ」
雫が2−Cの教室に入り、引き戸を閉める。そして、引き戸にもたれかかり――
「私の演じる雫じゃあ、無我くんには気づかれちゃうのか。……だけど、今はまだ雫の事を話すわけにはいかないの。――あれが完成するまでは」
無我が幻斗を連れて自分の席に戻ると、Boutのオーダーは確定していた。
「無我。あんた、大将ね。文句は受け付けないから」
「別に文句はねぇよ」 席を外した無我に、文句を言う権利はない。
「それで、夕菜さん。無我は大将に決まったのはいいとして、残りの先鋒と副将はどうなったんだ?」
「とりあえず私が先にいかせてもらう」
「で、僕が副将だよ、桐生くん」
「ふーん。先鋒が夕菜さんで、次が平男か。下手すりゃ無我にまわる前に負けが確定しちまうってことか」
「なによ、私らが負けるとでも言いたいわけ?」
「自覚してるんなら話は早い。なんなら俺が代わってやろうか?」
「くぅぅ、言わせておけばぁ」
「ははは。落ちついこうよ、舞川さん」 平男が夕菜をなだめる。
「そ、そうね。……挑発に乗っちゃダメ」 自分に言い聞かせるように小声で呟く。
(もう充分乗ってるよ) その一言に心の中でつっこむ無我。
「――ところでアンタたち、もうフォースウェポンは決めてんの?」
はい、補足説明。フォースウエポンってのはガーディアンが無から自分の武器を生成する力の事。ほとんどのガーディアンは、自分の得意な武器を生成し使用している。つまり、最初に生成するフォースウェポンはけっこう重要なワケ。(ちなみにフォースウェポンは、ガーディアンスクールの二回生の授業で習得します。つまり、基礎はもう習得済みなワケなんです)
「はぁ? ――それって、夕菜さんはまだ決めかねているってことですかねぇ?」
「なによ、桐生? だったらアンタのフォースを見せてみなさいよ」
「いいぜ。だが言っとくが、真似ようたって無駄だからな?」 幻斗の右手の甲に光が集まる。
そして、光が篭手を生成し始める。右手に篭手が現れると、今度はそこから刃が伸びてきた。
「な、なによ、その武器?」
「こいつはジャマダハルタイプのカタールを俺独自にアレンジしたものだ」
「ジャ、ジャマ……え? な、なに?」
「ジャマダハル。剣の取っ手を拳で握り込んで使う剣のことだ」 無我が補足説明に入る。
「俺は、その握り手部分を篭手状にしてより扱いやすくアレンジしたってワケ。満足いったかい、夕菜さん?」
「……ま、まぁ桐生の武器はわかったわ。――平男、アンタの武器は?」
「ははは。見てみる?」 平男が手の平に光の玉を生成する。
それは徐々にナイフの姿に変わっていった。少し取っ手のカタチが変わっている事を除けば、ただのナイフに見える。
「ナイフ? ただのナイフなの?」 夕菜にはただのナイフにしか見えないようだが――
「いや、これはスプリングナイフだな」 幻斗はナイフの形状を見てそう即答した。
スプリングナイフ、取っ手の部分に引鉄がありそれを引く事によってナイフの刃部分を飛ばす事の出来るナイフ。
「ははは、すごいや。一目見てわかるんだ」
「いや、普通わかるぞ? ――夕菜さんはわかってないみたいだけど」
「桐生、またアンタはそうやって――、……で、スプリングナイフって何?」
夕菜のその答えに、幻斗と無我が呆けている。
ただいま先ほどのスプリングナイフ説明文の内容を話しております、しばらくおまちください。
「なんで二人ともそんなすごい武器を思いつくのよ? ――こうなったら無我、あんたの武器も見せてもらうわよ」
「ほれよ」 無我が一本の糸を夕菜の目の前に出した。
「糸? コレがなによ?」
「俺の武器だ。見たかったんだろ?」
「無我。お前もまぁ、なにも素直に本当の武器をださんでも……」
「! ――あ。さてはあんたら二人で私を担ごうと――」
「ははは、それは違うと思うよ。――これ、すごいよ」
「? どういうこと、平男?」
「これは『斬糸』って言ってね、現役のEXPERTの人でも使ってる高度な武器なんだ」
(その現役EXPERTってのは俺の事なんだろうな)
「高度ってどういうこと?」
「早い話が使いこなせる人間が少ないって事ですよ、夕菜さん」
「ははは。でも、桐生くんは法名くんの武器を知っていたんだね?」
「ま、付き合いが長いからな、無我とはな」
ここで休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。
――今日の授業の全てが終わり、A組Boutメンバーの三人が無我の席に集まる。
「じゃあ、後はオーダー表を提出するだけね」
「舞川さんにお願いしていいかな?」
「ま、出しに行くだけだからね。OK、平男。任された」
「ははは。じゃあお先に帰らせてもらうね」 平男が荷物をまとめて教室を出て行った。
「さて、俺も帰るか」 無我も帰宅しようと席を立つ。
「……待って無我」 と、夕菜が帰ろうとする無我を呼び止めた。
「無我。参加の過程はどうあれ、やるからには勝ちに行くからね。アンタもふざけずに本気でやってよね?」
「ま、真面目にやるってのには賛同してやるよ」
「じゃ、明日ね」
無我が夕菜と別れ、昇降口を出た時だった。誰かからのテレパシーを感知した。
(緊急通信!? 誰だ?)
《こちらNo.42。No.9に救援を要請》
(No.42……凪 (なぎ)か)
《凪、何があった?》
《現在、高ランクテットと交戦中。想定ランクは――SS》
《SSだとっ!? お前、今なにと戦っている?》
《私だけじゃもう、手に負えない……》
「くっ」 無我が走り出す。向かうは職員室の方向だ。
職員室の校庭側のガラス戸が勢いよく開かれる。
「総真、預かれっ。緊急だ」 鞄を総真向けて投げ放つ。
「む、無我?」 そこにはBoutのオーダー表を提出に来ていた夕菜もいた。
《おい、無我。緊急ってなんだ?》 近くに夕菜がいるためか、総真は無我にテレパシーで語りかけてくる。
《凪からの救援要請だ。もう自分だけじゃ手に負えんってよ》
《凪ほどのEXPERTがか!?》
「悪いな、急ぎだ。鞄は俺の机にでも置いといてくれ」
無我の足もとの砂が砂煙を上げる。
「おい、待て無我っ」
総真の制止を聞かず、無我の身体は空へと上昇していく。
「レ、レビテーション!? なんで無我がそんな超高等スキルを使えんのよ?」
レビテーション、自在に宙を舞う高等スキル。ちなみにスキルとは特殊能力全般の事。レビテーションは高等スキルに分別され、テレパシーやテレポーテーションはさらに上のEXPERTスキルに分別されている。(なお、EXPERTスキルはEXPERTでないと使用できず、特にテレポーテーションは一般人の前で使用するのを禁じられている。[* EXPERT制服着用時は除外])
「あのバカが」
「先生、あいつなんであんな真似が出来るんですか?」
「……あいつは強えぞ? たぶん、ここの三回生よか遥かに」 総真はどう答えるかを考えた上で、とりあえずそう言いつくろった。
「……」 それでも夕菜には少し衝撃的だったようで。