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ないものねだりが紡ぐ恋

作者: 飛鳥

 王の生誕パーティー。そんなものに駆り出されるのは、大変に億劫だった。

 そもそも何故今年で40にもなる父親の生誕日を国を挙げて一々祝う必要があるのか。毎年毎年、おおよそが媚びへつらう部下がヘコヘコ頭を下げに来るだけじゃないか。40と言えば大体人生の折り返し地点。命もピークを過ぎて、さて今から転げ落ちるぞという時の、一体何がおめでたいというんだ。めでたいのはおまえらの頭だ。光り輝いていればなおのことおめでたいな。

 呪いのように言葉をこぼしながら苛々と壁際を横断するのは、黒の国シャドゥ第二王子、クラッドである。仏頂面を隠そうともせず足早に進む彼に、声を掛けようとする猛者はいない。

 とはいえ、声を掛けないのは大体いつものことだ。クラッドはそもそも、この国の大半に受け入れられてはいないので。

 ヒソヒソと遠巻きに見ながら汚い声でさえずる駄鳥を睨み付ける。顔を青褪めさせたけばけばしい女たちが退散するのを鼻で笑って、クラッドは歩みを再開した。

 兄に随分遅れて生まれて12年、物心も付かぬ頃から向けられてきた陰口だ。今更傷付くことなどないが腹に溜まる濁気は嵩を増す。

 舌打ちと共に吐き出した毒に、通りすがる原色の塊たちが道を開けた。


 「誰が闇の王子だ。どこかのイカレ野郎の二つ名かという」


 黒い髪、黒い目は黒の国の呼び名を冠するだけあって、まあ、一般的な容姿である。

 クラッドの場合、加えて黒い肌を持って生まれた事実が、誕生早々の運の尽きだった。厳密に言えば褐色だったが、大別すれば黒である。

 どこから見ても黒い。後ろから見て黒いのは分かるが、前から見てもどこまでも黒い。黒い髪から覗く目が黒いかと思えば、しかしそれを縁取る肌も黒いので、白目だけが目立って怖い。

 加えてこの国は、闇の色濃い土地だった。夜の時間が短く、日中当たる日の光すら薄暗い。他国からの招待客に溢れるこの大広間に溢れる光は特別で、闇に慣れたシャドゥの人間たちは、普段は室内の明かりを絞って暮らしている。

 闇の王子。頭がおかしいその呼称は、薄暗い室内、下着一枚で地べたに座る幼児を見て、誰かが闇が鎮座しているようだと言ったのが切っ掛けであったという。

 そいつを今すぐ連れて来い。墨の中に突き落として1月ほど漬けておいてやる。何なら等間隔にテープを巻いてマスキングして、洒落たボーダー柄の肌にしてやっても良い。

 敗因は、両親の遺伝子が上手いこと黒を抽出してしまったことだろう。黒髪黒目に黄色の肌の典型的シャドゥ人の父に、白髪青目に褐色肌の砂漠の民である母が掛け合わさった結果、こうなった。

 なるほど、各国、各地域の特長というのは、混色しない方が無難であるということだ。これほど最悪な混ざりっぷりも稀ではあろうとは思うが。

 つまりは異形だと言うのである。いくら闇を親しむこの国であろうと、限度というものがある。これ本当に人なのか、新種の魔物とかじゃないのかと、散々に叩かれる陰口を聞かないほどがないほどに、クラッドの色は異彩であった。

 なお、両親はこの悪魔の悪戯もかくやという色彩について思うことはないらしい。こちらは完全に父の色彩を受け継いだ兄を見るのと同様、おまえもイケメンになるぞー、とことあるごとにこぼすほどの子煩悩である。アホとも言う。


 ガツガツと荒い靴音を立てて、クラッドはようやくお目当ての場所に辿り着いた。いつものことながら、無駄に広い場所である。

 花だの騎士像だのが寄せられた一角は、煌びやかではあるが人はあまり近寄らない。パーティーとは出会いの場だ。ものには興味がないということだろう。

 闇と遠ざけられる通り、この場にはわざわざクラッドを探してお近付きになろうという輩はいない。しかし、親の生誕パーティーという場にて、子供が全く席を外すのは好ましくない。

 となれば、目立たない場所で目立たないようおとなしくしているのが必定。ちゃっちゃと必要分だけ食べ物を確保して、いつも身を寄せる片隅へと足を運び──眉を顰めた。


 「……迷子か?」

 

 心底面倒に思いながら、かと言って放置することもできずに問い掛けた。はっとしたように目を見開いた少女は、口を開こうともせず、ふるふると首を横に振る。

 随分不作法な娘だな、と眉を顰めたクラッドに気付いたのか、少女は少し困った顔をした。

 口を開いて、閉じる。のどに手を当てる。そんな動作を繰り返していたかと思えば、やがて視線をさまよわせ始めた。

 小柄な体格に似合う、子犬のような足取りで窓へと駆け寄る。逃げるのかと一瞬浮かんだ考えは、すぐに止まった足に否定された。

 何をするのか興味は湧いた。少なくとも、少女にはクラッドに対する怯えや拒絶の意は見られなかった。

 向き直った少女が真っ直ぐにクラッドを見て瞬く。ドレスの裾を僅かに持ち上げて、腰を折る。動作は割と洗練されていた。

 下がった小さな頭にあわせて、さらりと流れる金の髪。煌びやかな室内の明かりを反射して輝く、髪飾りに勝る美しさがふと一層輝きを増して、クラッドは娘の頭上を仰いだ。


 『不躾を致しまして申し訳ございません。本来、宮廷内での魔術の使用は禁じられておりますが、王より許可は頂いておりますため、どうぞご挨拶をお見逃し下さい』


 宙に現れた光の筆跡。夜にはっきりと映し出されていた文字は白い魔力だ。

 顔を上げた少女の髪に文字が重なる。少し下で光を弾く眼差しの色も、髪と同じく、目映いばかりの金色だった。


 『私、白の国ウィスプルが第3王女、ティグル・ラ・ウィスプルと申します。』


 筆跡の向こう側に見える輝く色彩に同化しがちな文字を追う。一文を綴るごと、少し前が消えていく。

 あら、と桜色をした唇が音をなさずに震えた。


 『位置を間違えました』

 「……位置?」


 一呼吸分考えて理解した。窓の前に立ったのは、白い魔力を見やすくするためだろう。

 金の髪、白い肌。それに合わせた淡いドレス。少女、ティグルを構成するどの部分が重なっても目に悪いばかりだ。

 そっと横にずれた少女は、確かめるようにまた筆跡を残し、クラッドを窺った。見えますか、という文字に頷き返すと、白いかんばせが楚々と綻ぶ。


 「声が出ないのか」

 『ド直球ですね』


 苦笑を返すティグルに嫌悪感は見られない。


 『声は生まれ付き出ません。おかげで文字を綴るために魔力を扱えるようになるのがとても早くて。以来、繊細なコントロールの訓練は、我が国ではコレですよ』

 「暢気なものだ」

 『根暗より良いでしょう』


 嫌みかとひきつらせた口元は杞憂だった。ただの正直な感想であるらしい。優しげな顔立ちを綻ばせたまま、ニコニコとクラッドを凝視する。気まずさに目を反らしたのは、たった数秒後のことだった。

 自分とは大違いの、洗濯物も嫉妬する白さを持つ少女に、八つ当たりじみた言葉を掛けた自覚がある。暢気だ、などとよく言ったものだ。喋れないことで当然、様々な気苦労があっただろう。だというのに、少女の中には、クラッドへの非難は見えなかった。代わりに届けられるのは、理由も分からぬ憧憬である。ひたすら忌避される人生を送るクラッドに、きらきらしい眼差しへの耐性があるはずもない。

 何だ、と渋々口を開いたのは、ジリジリとかさを減らす精神力の底が見えてきたせいだった。


 「なあ、白い姫。そんなに物珍しいか、俺が」

 『珍しい、といえばそうかもしれませんが』


 悪意はない。しかし、ときに無邪気な子供が人の心を切り刻むような遠慮のなさに、怒りのボルテージがだだ上がる。

 足下から陽炎のごとく生まれる闇の力に、遠巻きにしていた人々のか細い悲鳴が上がった。

 クラッドは目の前の少女と違い、魔力の制御を得意としていない。それは周知の事実だった。

 魔力の制御には凪いだ心が必要となるのだが、クラッドは、言ってしまえば短気である。破壊に特化した力が益々の恐れを生み、恐れを感じて苛立ち、またコントロールの術を見失う。

 ひたすら繰り返した円環はクラッドの辞書から自省の一言を削り、今では跡形もなくページすら切り取った。

 恐れるなら恐れれば良いのだ。自分の寄らなければ良い。気を損ねれば砕かれると知って、それでも寄るのならば自業自得である。闇に食い尽くされて、心の底から悔いれば良い。

 何故あんな忌み子に寄ったのか、と──。


 『見とれておりました。何という素敵な色を纏う殿方かと』


 ひたり、と浸食が止んだ。ざわめく周囲の声も止まる。何より静止を得たのは、クラッドの思考力だった。

 波が引くように闇が光に散らされるのを、痛む頭を押さえながら見送った。慎重に言葉の意味を咀嚼する。

 上げた視線の先で、目映く輝く白い姫は相変わらずの瞳を向けて立っている。怒りを感じなかったはずもないのに、目の当たりにした攻撃的な闇の気配に怯える様子もない。

 当然、バカにしているのか、と理解した。

 白い文字を思い出す。白い色、光の魔力。容姿に似合うその属性は、闇と相対するには有利に過ぎるシロモノだ。何せ先ほどのように、強い明かりに照らされただけでかき消されるのが闇である。魔力にて指向性を帯びた光に一喝されれば、己の闇など為す術もなく淘汰されることだろう。


 「嫌みか、それは」

 『何故嫌みなどと?闇の王子。結構ではございませんか』

 「はっ、お優しい光の姫君だ。全てを受け入れる慈愛の国に誠に相応しい」

 『できれば好き嫌いのないよう教育されてはいますけど、好みくらいはありますよ。お父様は暑いのが嫌いなので、火の国への訪問を実は極端にゴネられます』

 「いやそれ言っちゃ駄目だろ」


 えええ、と人混みの中から、ショックを受けたような声がした。赤い髪は火の国の人間に多く表れる特徴である。

 衝撃的な事実が国王に伝わるとまずいんじゃなかろうかと他人事ながら不安を覚えたが、ティグルは何一つ気にしていないらしい。挙げ句、お母様は泳げないので水の国が苦手だとか暴露する始末だ。


 『私、闇は好きです。夜は好きです。黒が好きです。休息を運んでくれる包容の黒。目を閉じると常に寄り添ってくれる優しい色』


 落ち込む火と水の国の貴人が肩を組み合う。属性の確執から険悪で有名な2国だが、これを機会に親交が深まるのかもしれない。

 視線を逸らして流れ弾を食った彼らを見ていたら、ふいに目の前に文字の羅列が躍り出た。肩を跳ねさせて焦点を合わせる。ちゃんと見ろとでもいうように、優美なフレームに覆われた文章。

 違う、これは、自分ちょっと良いこと言ってるよ、というアピールに相違ない。

 本人に目を向けると、茶目っ気を含ませた表情で笑みを深めた。ひどく優しげな金色が煌々と瞬く。

 光の中にたゆとう見辛い文字に目を細めると、海中を泳ぐ魚のように、白い曲線がティグルの頭上へと移動した。


 『王子の髪、光に透けると輪郭が薄い色に染まってとても綺麗。光の縁取りで色黒な王子の存在感が増すんですね』


 窓向こうの闇に、くっきりと縁取られる白い文字が高らかに賛美を綴る。湧き上がる感情は、道理の分からぬ時分以来のものだった。

 己が異端であると知る前、両親にあらゆる角度から褒められた幼子の思い出。面映さからわざとらしく顔を顰める。


 「だから何だ。カラスも驚きの黒さが際立つだけだろうが」

 『私の言葉もそうあれば良かった』


 ふと翳る、ティグルの笑み。

 頼りなく文字が揺れた。類稀な制御を得ていたはずの魔力が、自信なさげに縁を溶かした。座標を失って落ちた綴りが金色の髪に重なる。

 落ちていく光が眼前を伝い、色の淡い胸元へ垂れる。崩れた文章が意味を失い、ぶれて、そのまま掻き消える。


 『日が長い私の国、無窮の光の灯る室内、夜でも白く残る光は私の魔力を滲ませて』


 寄った細い眉の下、大きな瞳の更に下。何か言いたげにぽつりと開いた口唇からは、しかし吐息の零れる音すらも吐き出されることはなく、変わりにこぼれる魔力が歪に滴り落ちていく。

 光を反射するほどに磨き上げられた床の上で跳ねた言葉を見落とさなかったのは、多分、クラッドの目が光を見詰めることに慣れていたせいだ。

 妬ましさと憧憬を押し殺して、そんなもの羨ましくないと自分に言い聞かせながらも、美しさを横目で拾い集め続けていたためだ。

 どんな小さな光であろうと、ないものねだりが図に乗って手を伸ばすことがないよう、意識し続けてきた成果だったのだと思う。


 『黒い髪が欲しい黒い肌が欲しい光を翳らせる闇が欲しい』

 『この文字を躍らせるための土台(キャンバス)が欲しい』

 『光の中では、私の言葉は見えなくて、誰にもひとつも届かない』


 自覚したくないと目を逸らし続けてきたその執念を、今は少しだけ、受け入れてやっても良い。


 『私はあなたが羨ましい』


 目から鱗が落ちる思い、とはこのことだった。

 光の中で生きる綺麗な生き物が、世界に賞賛される生物が、己を羨ましいとのたまう。誰にも聞こえない(みえない)ような音量(フォント)で、ひっそりと文字(こえ)綴る(あげる)

 まさに、ないものねだりである。クラッドの「ないもの」を全身で体現しているというのに、クラッドが忌むべきものをティグルはひたすらに欲している。

 ぽかんと開いた口から、凝ったものが出て行くようだった。長い睫に覆われた目から雫が落ちないのが不思議なほどに歪んだ顔をどうにか戻そうとする少女に、嫉妬を覚えていた自分が馬鹿みたいだと思う。いや、まあ、あからさまに年下の娘に八つ当たりかます自分は、実際馬鹿極まりないのだが。

 緩みかけた口を指先で覆う。はらはらと見守る周囲の緊張感は、大方、クラッドが機嫌を損なったとでも勘違いしているのだろう。常時右肩下がりの機嫌から導火線に点火しやしないかと、集団で結界の準備を整えていることの方が余程腹立たしいのだと分からんものだろうか。

 大きく息を吐いて、ブーツの底を鳴らした。ほろほろと崩れた文字の残骸に触れる浅黒い指先が、光に彩られて輪郭を濃くした。

 高揚を抑える気は起きなかった。いっそ哄笑を上げたいほどの気分だった。子供らしくない傾いだ笑みが顔を埋める。それすら何年ぶりのことだろう。


 「……隣にでも立ってれば良いのか?」

 『え?』


 すました笑顔の名残が、この期に及んで張り付いている。しかしひび割れて剥がれた隙間から見える不安定さは存外悪くなかった。

 遅れて綴られた疑問符に鼻を鳴らして答える。そうガタイのよろしくない子供であるクラッドより、随分と下にある目を覗き込んだ。金色の中に移り込む色濃い影を見るだけで満足を覚える。


 「キャンバスが欲しいんだろう。確かにいつでも暗い場所があるとも限らんしな。俺が隣に立っていれば、おまえは満足なんだな?」

 『……あれ、ちょっとした独り言くらいのつもりだったんですけど、もしかして、見えましたか?』

 「暗いところで本を読むと目を悪くするというが、あれは嘘だ」

 『なるほど、常々そうではないかと。光が紙面に反射して目がチカチカするんですよね、明るすぎると』

 「おまえの魔力も明るい場所では目に悪そうだな」

 『メガネは見る分には素晴らしい小道具だと思いますが、自分で装着するのは煩わしいものですよね』

 「自分の文字だ。長く見ることになるだろうし、まあウィスプルで過ごすなら、いつかはメガネが本体になるかもな──それで、おまえは俺の隣に立つ気があるか?」


 身を乗り出して鷹揚に告げる。

 口説き文句にしか聞こえない言葉を口にするのに、羞恥もクソも感じなかった。


 「キャンバス(おれ)を寄越せとねだるなら、アトリエ(くに)ごとくれてやる。この国の特産物はな、長い夜、おまえの望む深淵の闇だ」

 『まあ、すてき』


 これはないものねだりの解消で、言ってしまえば傷の舐め合いに近しい行為だ。

 ティグルは、言葉を描く闇が欲しい。光の中に溶け込んで消えてしまう想いを、人の目に留めるための黒を切望している。それは近ければ近いほど良い。逡巡の時間を消して、いつでも想いを表すことができるから。

 クラッドは、この身を照らす光が欲しい。闇の中で同化する身を、浮き立たせる光を手の届く場所に置いておきたい。それは近ければ近いほど良い。異端と呼ばれる照らされたこの身が人型だと、誰にでも知らしめられるように。

 クラッドの答えを促す仕草に、ティグルはぱちりと瞬きを返す。ゆったりと差し伸べられた細い手を受け取り、皮肉げに歪めた口元を寄せた。


 「光の姫、ウィスプルの最たる白、ティグル。どうかこの国で、俺の光となって共に歩んでくれないか」

 『闇の王子、シャドゥの漆黒、クラッド様。どうぞあなたの優しい闇で、私を包んで下さいな』


 こうして──記録的短時間で完結した出会いから続くプロポーズは、後世に残るほどに周囲を置いてけぼりにして確約を成されたのだった。

 人の輪を掻き分けて転がり出たクラッドの親類が手を叩いて喜んだ辺りで周囲の硬直が僅かに綻び、人ごみを飛び越えて喝采を叫んだティグルの親兄弟が光のオンステージを開催した辺りで混乱がピークに達し、ティグルがクラッドの胸に飛び込んだところで、ようやっと仰天の轟きがホールを満たした。

 とはいえ、本人たちは周りの反応など知ったことではない。続々と背を叩いては祝福を告げる血筋に手を振り替えしつつ、長い髪を絡ませる。

 指に巻き付けた光の束に人相の悪い笑みを深めるクラッドの腕の中で、ティグルが「嬉しい」と文字を走らせた。くっきりとした白い筆記が胸元を飾る。光りものがとんと似合わない身だが、これはそんなに悪くないんじゃなかろうか。有言実行、早速クラッドの身体をキャンバスにし始めた婚約者を映す目は優しいものだった。元が極端に悪い分、足して引いてもなお悪いが。


 『シャドゥで暮らすの、各国の特色を知ってから、ずっと夢だったんです』

 「そうか、良かったな」

 『クラッド様はウィスプルに行きたいと思ったことはないんですか?』

 「行ったことはあるんだが、どうにも明るすぎて身に合わん。まだ明るい内から夕餉だと言われても、腹が順応しない」

 『慣れればどうってこともないですけど。あ、でも、ウィスプルみたいに日照時間が長い国だと、早い時間からお酒飲むの気が引けるんですよね。ちょっと困ります』

 「……おまえ結構なんかアレだよな」

 『何ですか、その何から何までモヤモヤな表現。怒らないのではっきりどうぞ』

 「いや、味があって良いと思うぞ。蓼食う虫も好き好きというか」

 『不思議で堪らないんですけど、よく言われるんですよね、それ。私は人畜無害でちょっとばかり好奇心旺盛なだけの無害な少女だというのに』

 「2回も無害だと言われると、むしろ不安になるのは何でだ」

 『ちょっとばかり好奇心が旺盛なだけの』

 「止めろ、畳み掛けるな!」






 それから6年の月日が経った。

 まさかの齢9歳であったティグルがすぐさま結婚に至れるわけもなく、国交という名目でシャドゥに留まることになった彼女と長々とした付き合いを重ね、ようやく漕ぎ着けた結婚式。残り1月を切った今、城では上も下も、随分と慌しい毎日を送っている。

 ここまで、何もかもが順調であったわけではない。異形と畏れられていようと、クラッドはあくまで王族であり、また、ティグルは各国から人気の高い光の国の姫である。青少年に向けるにはきつすぎる横槍の数々に、悪魔も泣き出すほどにブチ切れたことすらあった。クラッドもだが、ティグルも。

 笑顔で放出される無数の文字が、物理的に魔術の弾丸に変わり壁に穴を開ける様子は壮観だった。怒れる様子は珍しかったが、そもそもこの結婚は双方が望んだことだ。なるほど、ならばクラッドの堪忍袋が弾け飛ぶのと同様、彼女が光を撒き散らす破壊神と化しても仕方がない。と、涙ながらにティグルの制止を懇願する人々から意識を逸らしながら納得した。

 兎にも角にも、今となってはこの儀は馴れ合いなどではなく、ゆっくりと育んだ尊い想い──いわゆる『愛』とかいうやつだが──を互いに確信している。どうにかゴタゴタを鎮めて、改めてプロポーズを申し入れ、恥じらいを含んだ笑みと共に肯定を頂戴したのは1年前。

 やっと、正式に比翼となるのだと思えば、政務に結婚式の準備が加わった死活問題の仕事量も、こっくりこっくりしながら堪えられるものだ。

 これで、今一番に頭を悩ませている問題が解決すれば、なお良いと思うのだが。


 「ティグル!」


 破壊に似た音を立てて開け放った扉の中では、ドレスを抱えたデザイナーが泣きそうな顔で佇んでいた。オロオロと手を彷徨わせるメイドが土下座の体で崩れ落ちる。机に伏した煤けた背中の女性は教育係か。窓枠に手を掛けて空を眺める神父の横顔は完璧に悟了を済ませている。

 ティグルの本日の予定に関わっていた全ての人間たちだった。


 「……すまん」

 「いえ」

 「クラッド様は何も」

 「その、ティグル様は、あの」


 思わず落とした謝罪に、皆が皆、仏の顔で首を振った。いっそ哀れみすら感じられる。

 引き攣る頬をどうにか固定して、メイドの上げた震える指先へと目を向けた。

 天井。集めた視線を発動条件に、ゆったりと見慣れに見慣れた白い文字が流れ出た。一行が綺麗に一列に整列して、フェードインするように、無駄に壮大な感じで。


 『あなたが選んでくれたドレスですが

  そんざいかんがハンパないと思うの

  ん

  できればもうちょこっとシンプルな

  く

  るるんぶ』


 「縦読みを仕込もうとした瞬間に諦めるなああああああああああッ!」

 「本当にアレな、いえ、自由な方で……」

 「も、申し訳ございません、わたくしが、うっかりレースをヒラヒラさせすぎたばっかりに……!」

 「あ、いや、なんかほんとすまん。俺は良いと思うぞ。思ったよりボリュームが増してて、本体がどこにいるのか分からなくなりそうな感じではあるが」


 日が落ちるまであと数時間。切羽詰った書類を片付け、あとはそう緊急でもない政務を処理しておくかと思ったところに、ティグル失踪の知らせが入った。急行してみればこれである。

 いつものこと、いつものことだ。眉間を揉んで身を翻す。


 「迎えに行ってくる」

 「クラッド様」

 「何だ、神父」


 穏やかに呼び止める声に視線だけを向けた。慈愛の瞳が非常に心地悪いのでさっさと退散したいところだが、婚約者の我侭(・・)で待ち惚けを食らわせた相手に対してこれ以上礼を失うのも横暴が過ぎるだろう。

 神の印を切った男は、いたずらっぽく笑った。


 「優しい方です。あまり、お叱りになられませんよう」

 「……言われなくとも、分かっている。だから俺が謝罪をしたんだろうが」

 「おや、出すぎたことを申しました。それではお気を付けて」


 深く吐いた溜息に混ざる疲れの音色。思ったより濃く滲んだ疲労に、クラッドは髪を掻き毟る。

 ティグルが政務を手伝うことはまだないが、進行状況は睦言に混ざって、問題がない程度にこぼしていた。ああ見えて回転の速い頭だ。政務の進み具合など、そこらの文官より正確に把握しているはずだった。

 6年間、支え合い、お互いの思考を擦り合わせてきたのだ。

 クラッドがどう動くのか。クラッドをどう動かすか。なぜティグルが動くのか。何を考えているのか──世界でたった一つの互いの居場所の行動原理は、今更考えるまでもない。


 いわく。






 「神父様、つまり、どういうことでしょう?」

 「クラッド様はああ見えて非常に真面目でお堅い方でしょう。仕事途中に休憩しましょうと言ったところで、素直に聞くものですか」


 首を傾げた教育係に、神父はにっこりと笑って言った。


 「愛とは、時に傍迷惑なことですねぇ」

 「それってつまりわたくしがダシに使われたという……」

 「まあそれはそれで本心かとは思いますよ」

クール美形を書こうと思ったけど出足から間違えた気がしたのでクールはクールに去りました。

クールってどう書くんでしょう。誰かご教授ください。

あと天然な感じの女の子って可愛いなと思うんですけど、いつも「お前の書くおなごは絶対に腹が黒い」と確信を持って意義ありされます。

しかたねえよ、見本になるような、怪しいお粉みたいに真っ白な人間が周囲にいないんだもの。

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