俺に自由はないのか?【62】
俺は食堂の裏手にある、トイレのドア前でずっと待たされていた。
トイレのドアの向こうからおっちゃんの声が聞こえてくる。
『いいか。俺が出てくるまでまだ絶対そこを動くなよ、絶対だぞ』
俺は頭を抱えてドア前で蹲った。
なぁ、おっちゃん。俺をいくつだと思っている?
『いいから黙ってそこに居ろ。一歩たりとも足を動かすな。思考読めば動いたことがすぐ分かるからな。絶対そこを動くなよ。あと五分だ。あと五分で出る』
最近やたらと心配しすぎてないか? おっちゃん。
『早死にするタイプなんだ、ほっといてくれ』
害がなければほっとくよ。だけど、なんで俺の行動までいちいち制限かけられなければならないんだ? 俺の方こそ放っておいてくれよ。どこで何しようと俺の勝手だろ。あとトイレくらい一人で行けよ。
『そうだな。お前が誘拐される心配がなければここまで神経質にはならなかっただろうな』
誘拐されるって誰にだよ。
『教えない』
だからなんで教えてくれないんだ? 秘密にする意味が本当にあるのか? もういいかげん──
『知らない方が安全だって言ったのを忘れたのか?』
トイレでクソしている奴に言われたくない。
『うるせー。話しかけてくるな。クソに集中できなくなる』
俺は無言でクトゥルクを手の平に集中させ、拳を固めた。
『その怒りは一旦静めろ。厄介事を増やすんじゃない。今この状況は俺にとってあまりにも過酷だ。とりあえずクソを出したら話してやる。落ち着け』
……。
真剣な声音で必死こいて言ってくるおっちゃんに落胆のため息を吐きながら、俺は退屈気味にクトゥルクの力を手の中から消した。
無になったその手の平を握ったり開いたりして見つめながら、俺は尋ねる。
なぁおっちゃん。
『なんだ?』
頼むから別の場所で待たせてくれないか? 俺、絶対迷子にならない自信あるし、誘拐されないように気をつけるし、知らない人にもついていかないようにするからさ。
『ログアウトはまだか?』
まだ……だと思う。たぶん。
『たぶんだと!? おま──もういいかげん向こうの世界に帰ってくれ! これじゃ安心してクソもできねぇじゃねぇか!』
帰れたらとっくに帰っている!
カチンと頭にきた俺はその場から立ち上がった。
内心苛立ちに煮えたぎりながら口調強く言葉を返す。
もういい、わかった。それじゃぁおっちゃんはこのまま思う存分一人でクソしていてくれ。俺は別の場所で待たせてもらう。
『な!? お前、そこから一歩も動くなっつってんだろうが! いつ拉致られるかも分からん状況なんだぞ!』
クソしている奴に言われたくない。
『うるせぇッ! クソは自然の摂理だ、逆らえるか馬鹿野郎!』
なぁおっちゃん。頼むからこういう束縛みたいなものやめてくれないか? 俺、もう二度と勝手にクトゥルクを使わないようにするし、拉致られないようにもするから。
『余計心配になってくるだろうが! ったく。待て、あと十分だ。十分で出る』
――って、時間延びてんじゃねぇか! もういい、勝手に一人でクソしてろ。俺は行くからな。
『あぁ!? 馬鹿、コラ! 待てっつってんだろうが! いいからそこ動くな、絶対だぞ!』
だったら早く出て来い! 五分だ!
『五分で出るか、十分だ! 十分待て』
はぁ!? ふざけんな、五分で出て来いよ! 五分で!
俺は言葉とともに激しくトイレのドアを叩きまくった。
『うるせー! ドアをがんがん叩くな! クソに集中できねぇだろうが!』
叩くのを止めて。
俺は顔に片手を当てるとため息を吐きながら、ずるずるとその場にまた座り込んだ。
はっきり言ってどんだけ自分勝手で我がままなんだよ。
振り回される俺の身にもなってほしい。
もういいかげん精神的にも疲れてきた。
一人で待ってろって言ったり離れるなって言ったり。自己中すぎるんだよ、このおっちゃん。
『オイ、お前の内心は全部筒抜けで聞こえてるぞ』
あーうん。わざと言ったんだ。
『このクソガキ……!』
――ふいに。
トイレに誰かが入ってくる。
知らない異国の身なりをした貴族風の男だった。
男は俺を見てシルクハットをちょいと挙げ、紳士的に微笑んでくる。
あ、どうも。
思わず俺は反射的にぺこりと頭を下げて挨拶した。
男はちらりと俺の背後――トイレのドアに視線を向けて言ってくる。
「ご使用中ですか?」
まぁ……そうですね。俺は使わないですけど。
「すぐには入れそうにない感じですね」
たぶん。
大用のトイレは一つしかない。しかも今おっちゃんが使っている。
俺は申し訳なく言葉を返す。
もうそろそろ出てくるとは思いますが。
『馬鹿言え、あと二十分だ』
――って、また時間倍に増えてんじゃねぇか! もういいかげんふざけんな! とりあえず一旦トイレから出て来い! 今すぐにだ!
俺は再びトイレのドアを叩きまくった。
おっちゃんが具合悪そうな声で答えてくる。
『今は無理だ。……俺の人生が終わっちまう』
人生が終わるほどのどんなクソしてんだよ!
「どうかお気遣いなく」
会話を割って、男が申し訳無さそうに俺に声をかけてくる。
「別のところで済ませますから」
そう言って、男はすぐに踵を返して出て行ってしまった。
――あ。
男が出て行く途中、俺はその人のポケットからハンカチが落ちたことに気付く。
待ってくれ。
呼び止めたが、その人はハンカチを落としたことに気付いていないようだ。
俺はすぐに落としたハンカチを拾い上げた。
後を追いかけようとしたが──
『ほっとけ』
なぁおっちゃん。
『なんだ?』
このハンカチすげー高価だ。
『だからなんだ?』
俺、ちょっと届けに行ってくる。
『おおお前、ちょっ、待て! マジで言ってんのか、それ!』
今行けばまだ間に合う。ちょっと行ってくる。すぐ戻から。
『おい待て!』
制止もきかず、俺は外へと飛び出した。
※
店を飛び出し、人通りに出て。
俺はハンカチを落としたあの人を懸命に目で捜した。
きっとまだそんなに遠くに行っていないはずだ。
――そんな時だった。
路地裏の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「そんなところで何をしておる? 小僧っ子」
声を目で追い、すぐにその人物を見つける。
そこにある小猿の姿。
小猿は俺を無言で手招く。
ディーマン!
俺は親しげに小猿のところへと駆け寄った。
それは路地裏に入ると同時だった。
突然背後から忍び寄ってきた複数の男たちに囲まれ、俺は口を布で塞がれた。抵抗できないよう体を捕らわれ、そのままさらに路地裏の奥へと連れ込まれていく。
多勢に対し逃げる術もなく、すぐに両手首を重ねるようにして後ろで縛られ、頭から真っ白い布袋を被せられて、あっという間に全身を袋の中に入れられた。しかも口を塞がれた際に当てられた布に薬品みたいな匂いを仕込まれていたせいで、急に猛烈な眠気に襲われた。
されるがままに抵抗もせず、俺は袋の上から自由に動けないよう両足と胴を縄で縛られていった。




