契約の精霊巫女【56】
暗闇の、仄かな青白い光を放つドーム状の小さな結界――その中で。
ミリアは水筒を逆さにし、中に入った聖水を零した。
聖水が玉となって宙に浮かび、ミリアの胸の前で留まる。
宙に浮かぶその水の玉にミリアは手をかざし、そして静かに目を閉じると【契約魔法】を唱えた。
「水を司りし小魂たちよ。
我が名においてここに契約する。
悪しき心に水は無く
また、悪しき思想に水は沿わない。
水面をたゆたいしは 白き光。
我は汝にその白き光を与えん」
水の玉に仄かな光が宿る。
呪を唱え終え。
ミリアはゆっくりと目を開き、アデルへと言葉を告げた。
「アデル様」
「うむ」
アデルが頷く。そして近くにいた勇者たちに声をかけた。
「勝機はまだある。ドラゴンが一頭でも残っている限り必ず道は開ける。さぁ勇者たちよ、ドラゴンを呼ぶが良い。手遅れにならぬ内に」
勇者たちはアデルに一礼し、それぞれ己の持つ角笛を口にした。
吹き鳴らす。
角笛に音は無い。
しかしドラゴンの耳には届く音。
音無き音を受けて、上空を飛んでいたドラゴンが一斉にこちらに降下してくる。
それに連れるようにして土竜もその後を追いかけてきた。
――いざ、戦いの刻。
勇者たちが慌しく動き出す。すぐに素早くドラゴンに乗り込めるよう構える。
アデルが無言でミリアに目で合図した。
応えて頷き。
ミリアは目を鋭くさせると【契約魔法】の第二詠唱──【形成】の呪を口にした。
「我ここに命ずる。
我が前に立ちふさがりし者は悪なり。
汝の力は正義なり。
我が誓いのもと、小さき溜まりは水龍となりて
全ての悪を打ち砕かん!」
ミリアの足元に魔法陣が現れ、強い光を放つ。
その光を受けて、水の玉が呼応した。
水の玉から何本もの水脈が生まれ、濁流のようにして暴れ出す。
ミリアは最終詠唱の呪を叫ぶ。
「白光水龍!」
水の玉から勢いよく複数の水脈が飛び出していく。
まるで生き物のごとく、水脈は結界を抜けると同時に巨大化した水龍の頭となり、土竜めがけて一気に突進した。
水龍は土竜と相撃ち、次々と土竜を地面に落としていった。
その間にドラゴンが勇者たちのもとへと舞い降りてくる。
勇者たちは結界を出ると急いでドラゴンに跨り、空へと飛び去った。
※
空を飛んでいたカルロスのドラゴンと勇者たちが合流したのを見届けて。
アデルは呟く。
「手を貸せるのはここまでかもしれぬな」
「アデル様」
「む?」
ミリアに呼ばれ、アデルは顔を向ける。
ミリアはアデルを見つめて不安な顔で言う。
「何か妙ではありませんか?」
アデルは首を傾げる。
「妙だと?」
「はい」
ミリアは自分の胸服をきつく両手で掴んだ。
「さきほどから妙に──嫌な予感がしてならないのです。何か……闇の底へと引き込まれそうな邪悪めいた予感が……。
指揮の気配がありません。地から出てくるのは全て竜騎軍兵士ばかりです」
その言葉にアデルは険しい表情で腕を組んで唸った。
「やはり竜騎軍指揮。ただでは退き下がらぬ、か……。
――ミリア」
「はい」
「結界の一部空間の解除を」
「アデル様!」
「結界の一部分を解除し、そこに竜騎軍指揮を誘き寄せるのだ」
「ですが、アデル様! それでは──」
「良い。竜騎軍指揮に、あえてそこを狙わせるのだ。このまま長期化すれば勇者たちの体力も持つまい。それに──」
不安なる声でアデルは言葉を続ける。
「早めに事は片付けた方が良い。竜騎軍指揮の怨念満ちたあの様子、どうやら只事では済まぬようだ……」
「アデル様……」
「もはや竜騎軍に情けはかけぬ。こちらから先制攻撃を仕掛けるのだ。
ミリアよ、急ぎ結界の一部解除を。
竜騎軍指揮はそこを狙って姿を現す。――祖先の誇りにかけて。
ならばこちらも祖先の誇りにかけ、竜騎軍を迎え撃とうではないか。おそらく一撃しか、奴は隙を見せてはくれぬだろうが」
ミリアはアデルの言わんとする意を察し、頷いた。
「わかりました。私が必ず、一撃で止めてみせます」
ミリアの【契約魔法】の呪により、結界の一部が解除される。
それは結界に空いたほんの小さな穴。
同時、それは始まった。
闇の向こうから激しい嘶きが響き渡る。
狂い、苦しみ、憎しみをもって、断末魔のような声で発狂し、全てを闇に引きずり込まんとする声。
闇に紛れるように姿を見せたのは、赤い眼を光らせただけの巨大な黒い化け物だった。
微かに残るその原型は土竜の姿。
その体に蟻のごとく無数に取り憑いた魔物を連れて、黒い化け物は歩を進める。
ゆっくりと、結界に向けて。
ミリアは怯えるように一歩身を引いた。
「呪蟲……」
その忌み姿にアデルは悲愴な声を漏らす。
「竜騎軍指揮……。誇りを追い求め、目的を達成せんが為に呪われし魔物――デイダラに成り果てるとは」
黒い魔物は地から出てきた土竜を手当たり次第に喰らい尽くす。
まるで己の力に取り込まんとばかりに。
しだいに黒い魔物は、土竜を喰らいながらその身をさらに巨大化していった。
アデルは強く拳を握り締める。
「自軍すら分からぬ魔物と化したか、竜騎軍指揮よ」
「アデル様」
不安そうな目でミリアがアデルを見つめる。
アデルは勇者より譲り受けた帯剣を鞘から抜き放った。黒き魔物から目を離さず告げる。
「何をしているミリア。――水龍で竜騎軍を討て!」
「いえ、アデル様。先にここから避難を! このままでは闇に──」
「どこに逃げても闇からは逃げられぬ! 我輩は退かぬぞ、ミリア! さぁ早く指揮を討て!」
地上から次々と生まれて出てくる新たな闇の魔物ども。
まるで蟻の巣を突いたかのように膨大な数が地面から這い出て、大地を黒く埋め尽くしていく。
小さな結界で囲ったこの中ですら、足元の影から魔物が這い出てきた。
「アデル様! 後ろ──」
ミリアの声より早く、アデルは背後に反応して魔物を剣で斬り倒した。
アデルはミリアに向け叫ぶ。
「何をしている、ミリア! 水龍を放ち、指揮を討つのだ!」
そのことでアデルに生まれた一瞬の隙。
斬り損じた一頭の魔物が、アデルの肩に喰らいつく。
「アデル様!」
ミリアは悲鳴に近い声でアデルの名を叫んだ。




